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2016-09-06 19:53:00
9月6日・火曜日 午後8時。台風13号はいま沖縄にいるが、明日7日には四国南方、明後日8日には関東南方、9日には北海道東方沖にあるだろうが、そのころは熱帯低気圧になっているだろう。ただ、まったく本州に上陸しないで太平洋上を東北に進むのかどうかは、今はわかるまい。★ 台風12号は9月6日に日本海上で温帯低気圧になりながら北海道方面に向かっていた。9月7日・今日・全道的に大雨が降り、風はないが、雨の害ということでは、台風並みの被害を北海道の広い地域に及ぼしている。とくに収穫期が近かったので、田畑の被害は心配である。9月7日に旭川で行われる予定の日ハム・ロッテ戦は、大雨で中止になった。8日に札幌ドームで行われる。★ なお、ソフトバンクは7日負けている。ソフトバンク・オリックス戦は、行われたのだ。
2016-09-06 13:07:00
ドナルド・キーン『古典の楽しみ』(大庭みな子訳)、JICC出版局、1992年。この企画「古典に親しむ」は、もともとがこのドナルド・キーン著前掲書に私が出会ったことから始まったのである。キーン著第1章が『徒然草』を、日本人の美意識が凝結しているものとして紹介していた。それを読むために日本の『徒然草』の原文を読もうとした。そこからスタートした。だから前掲キーン著のあらましだけでも前もってここに示しておきたい。★ この本は次の5つの章から成っている。第1章 日本の美学-暗示/不均整/簡素/無常 第2章 日本の詩 第3章 日本の詩の有用性 第4章 日本の小説 第5章 日本の演劇。それ以上の詳細は省略しておく。前掲書はのちに2000年、宝島社から出たとされている。★ 原書タイトル The Pleasures of Japanese Literature by Donald Keene, 1988, Columbia University Press. ★ドナルド・キーン氏(1922-)はウイキペディアに、「米国人で日本文学と日本文化の研究者として、第一人者」と書かれている。若いときにアーサー・ウエーリー訳の『源氏物語』に出会ったのが、日本文学研究者となったきっかけだ、とされている。日本文学と日本文化に関する英文・日本文の著書多数。★ 私の中には、米英人からみた日本文学がどのように理解されているのか、という興味がある。
2016-09-06 10:03:00
『徒然草』第112段 「明日は遠国へおもむくべしと聞かん人に」 要約「諸縁を放下すべきとき」(この俗世のいろいろなかかわりを、すべて放棄するとき) 第一段では、「明日は遠国へおもむくべしと聞かん人」、「にはかの大事をも営み、切に嘆く事もある人」、「年もやうやうたけ、病にもまつはれ、いはんや世をものがれたらん人」という三つの場合を例示して、いずれも遠慮なく、直ちに、「諸縁を放下すべし」という。★ 第二段も結局同じ趣旨のことを言っているが、私の心に残る語句は、ここだ。「一生は雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん。日暮れ塗(みち)通し。わが生すでに瑳陀たり。諸縁を放下すべき時なり。」「瑳陀」は原文の漢字がないのでこの字で間に合わせている。「さだ」。「つまずいておもうようにすすまないさま」。「日暮れ道遠し」という有名な文句は、白楽天の引用だとのこと。★ 「情け知らずと、笑はば笑へ」という流行歌の文句は、この第二段中の次の文句から出たものだろうかね。「情けなしとも思へ。謗るとも苦しまじ。」かの流行歌のその次の文句は、こうだった。「人にや、見せない、男の涙。」★ 兼好さんに逆らうのではないが、私は上記「一生は雑事の小節にさへられて」について、別の考えももっている。まさにこの「雑事の小節」の積み重ねこそ、人生そのものではなかろうか。「雑用などしたくない」という若い人に、私はこういうのである。「サルに玉ねぎを与えると、サルは早速皮をむきはじめ、やがて何にもなくなると、怒るのだそうだ。」玉ねぎの実体はまさに一枚一枚の「皮」にあるが、サルはそれを悟らない。オマエはサルか。
2016-09-05 21:34:00
『北海道新聞』2016年9月5日号1ページによると、いまやハローワーク(公共職業安定所)の窓口に座る職員自体が、9割方、非正規労働者だという。「職安窓口 非正規が9割」という見出しの記事。★ そもそも普通の勤労者が、賃金待遇が低く身分保障もない「非正規」という地位で安んじられるわけがない。そこで多くの人々が、たとえ多少賃金が安くてさえ、正規雇用の勤務先を求める。社会のありようとしてこれがおかしいということにはならない。正規雇用を求める要求は当然である。おそらくハローワークに詰めかける求職者も、二言目には「正規雇用を」求めるであろう。そのときに窓口の担当職員が、「じつはわたしも非正規雇用なのですよ」、「1年ごとの更新は2度まで、3回目は一般公募とおなじになるんです」というわけなのか。暗に、窓口にくるあなたたちが、こぞって正規雇用を求めるのは、非現実的ですよ、と「言え」というのだろうかね。公務員がいまではずいぶん非正規雇用者で成りたっていることには、以前から少しずつ気が付いていた。社会の労働規律から言って、公務員が非正規になることすら問題だ。よりによってハローワークもとはね。シェーム。
★北海道新聞の取り上げ方は、法秩序的取り上げ方で、それで正当だとおもうよ。もうひとつ、経済的取り上げ方があるが、こっちのほうが立論が難しいんだろうね。ことは現代の会社制度のありようにかかわる根本的問題だと思うが。
会社法人を単純に営利事業者としているかぎり、この問題に解決はない。先進国で悲惨な非正規労働者の割合が増えてゆくだけだ。それにしても公務員制度はあまりにも無自覚だ。公務員労働を二重化してなんとも感じないとは。
2016-09-05 20:19:00
小西甚一『古文の読解』第1章「むかしの暮らし」・「寝殿づくりのウソ」。★ この箇所で小西さんが指摘している「平安朝のものとして描かれた寝殿づくりの図のウソ」というのは、江戸時代の国学者沢田名垂(なたり)の著『家屋雑考』に描かれていた寝殿造りの図(想定図)が、部分的には間違っていたという話である。小西さんがいうのは、寝殿作りの泉殿(いずみどの)とは「井戸を伴う建物」なので、これは決して池の上にはない。(私はこれを書くために三省堂『古語辞典』の642頁、寝殿造り読解のために、をみた) さあそこまではよくても、それなら「泉殿」は一体どこにあればいいのか。井戸さえあればどこにあってもいいということなのか。『古語辞典』をあちこちながめたが、ついに泉殿(いづみどの・旧かなではこうかく)の所在がわからない。池の上に出ているのは、釣殿(つりどの)だけだというのだ。★ ここでの例文 「今は長雨がちなり。しづやかに降りくらす日、時鳥(ほととぎす)かすかに鳴きわたり、月ほのかに見えたり。三ところながら、しづかに弾きあはせたまへる、いとおもしろし。こなたかなたの人は、泉殿に出でて聞く。」(宇津保物語・楼の上・下巻) ここに泉殿が出てくる。確かにこの泉殿が池の上に出ている場所だとしたほうが「それらしくなる」ところだが、そうではないというのだ。★ なおここで「おもしろし」ということばは、interesting ではなくて、wonderful という趣意だと、小西さんは親切な注を付けている。「三ところ」は、三人ということ。つまり(琴の)三人での合奏。