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2017-02-25 15:38:00
今日、北海道大学の入試です。合格発表は3月7日だと言われます(私の記憶違いで、8日かな)。いずれにせよここ10日間ほどが、北大受験生には運命の時期でしよう。★受験生の父兄の中には、今のうちにアパートを予約してしまおうとする人が現れます。(でも、契約条件が怪しげになるので、おすすめは出来ません。)北大の付近でアパートを探せば、部屋代だけで4万円とか、5万円とか、なるのが相場でしょう。★当アイランドコーポに来ませんか。8.5畳の洋個室、月1万5千円で提供しますよ。(水道代と共益費 小計5千円をプラスすると 月2万円になる。9.5畳の広い部屋がよければ月1万8千円です。駐車料は月1万円です。)★北大周辺に住むのとの違いは、南北線中の島駅から、同じく北18条駅(または北12条駅)まで10数分間地下鉄にりることになるだけです。月6-7千円の地下鉄定期券を買うことになりますね。ところでこの中の島駅から北18条駅の間に、札幌駅、大通り、すすきの、中島公園という市内主要な場所を経由することになるので、この地下鉄定期券1枚あると普段とても便利ですよ。居住費を激安にした分、札幌市内観光にも費用を当ててくださいませんか。ご興味があれば「お問い合わせ」欄にメールしてください。
2017-02-25 15:07:00
前回、最近の経済社会の現象の中に、「損をしても儲かる」とか、「公益的内容の手数に対しては料金をとらない」というような現象があると書いた。これは端的にはグーグルを指している。グーグルの検索に対して、グーグルは料金を取っていない。(それはある種の広告掲載の仕方でじつはグーグルは儲けているのだという人もいる。)ウイキペディアというネット上の百科事典はどうだろう。項目を引いて、内容を読むのはタダだろう。(特別の基金組織があるんだという人もいる。)UNIXという系統は多くのエキスパートが無償で参画して成立し、UNIXは無償で利用されている。などなど。従来であればかなりの料金を伴ってもおかしくない技術が、人々に無償で利用されている。これはIТという領域が発展した結果起こっている事柄で、ありようによっては「無償で利用できる公益事業」がこの領域では今後ともいろいろできるだろうと思われる。★こういう事業主体が「株式会社」である場合、株式会社の公益性を時代に併せて考える新たな機運になるだろうと、私は考える。グーグルが公共図書館に所蔵されている書籍をコピーしてそのデータを大衆に提供しようということを考える時(なに、もうすでにかんがえているわけだが)、「公益性」というものの内容をどう評価するのかは、喫緊の課題となっている。★このような現実が目の前にあるからこそ、株式会社の公益性という歴史的にはずいぶん錯綜して現代に至っている現象を、いま考えるはずみ、きっかけ、があると私は考える。遺伝子の方面にも同様の事例がある。
2017-02-25 14:37:00
株式会社は本来は公益的事業にのみふさわしいものというのが、19世紀までのイギリス資本主義の認識であった。19世紀までは、私的営利的事業に株式会社を当てるのは、「不適当」であり「無責任」であると社会的に認識されていた。株式会社制度についての19世紀のこの「縛り」が、何故、どのように、解除されてしまうのかいう議論は、どこかに風化してしまって、20世紀になると株式会社制度が「当たり前」のように私的・営利的事業に広く適用されるようになる。(株式会社の元来の公益性という問題は、法人企業のパブリック・リレーションズというものの存在を考察するときにのみ、今日でもなんとか公衆の念頭に残っている。しかし元来株式会社が公益的性質をもっていたという記憶が社会的に薄い日本のような国では、パブリック・リレーションズ?広告のことだろ、という程度にしか一般に認識されていないのではないか。)なにしろ法人企業の株主総会を数分で済ませることに経営陣が情熱を傾ける国だからね。★通例は営利的事業をのみ旨とするような株式会社に、事業の経営合理性を実現するために、公益的内容の事業をあえてやらせる(これが近年日本ではやった官業の民営化だろうけどね)と、株式会社の制度的ねじれは再転してさらにひどくなる。公益的事業にふさわしい政治的・行政的運用が、すっかり宙に浮きあがってしまう。これは内容的には政治的無責任である。★もちろん最近の新しい経済のありようの中には、「損をしてももうかる」とか、「公益的内容に対して料金を取らない」とか、従来にはみられない領域が現れてきていることも、私は念頭に置きながら、こう言っている。
2017-02-24 20:42:00
世の中はいま曲がり角ではないか。そして、曲がるべきものなら、いま妥当な曲げ方が必要であろう。★日本を代表とする大企業として、国民は最近久しく、自動車、電機の二大産業を数えていたと思う。★ところが国民の認識が戸惑っている間に、日本の「電機」は霧散しようとしている。★その極め付きが最近の「東芝」である。しかも東芝は単純に「電機」産業として滅びようとしているのではない。「原子力産業の維持」にどっぷりひたりこんだ結果、いまの惨憺たる有様を迎えている。(東北大震災によって福島原発がどうしようもなくなったという国民的教訓を、どうしてまともに受け取って、原子力発電の廃止に、国と社会が踏み切れないのか)★「電機」産業の悲運は、ひとつにはアジア諸国がまさかの勢いで産業発展してきて、日本の「電機」産業の一人勝ちにすっかり息の根をとめたという経済社会の競争上の問題があることは明らかである。しかし「企業の悲運」は、たんに競争上の問題だけではない。★「法人企業」が「公的」「公益的」「国家的」性質の事業を内容としていて、その「国家的」性質の事業を「法人企業」が十分に責任をもっておこないうるのか、というより根本的な問題が控えていると思う。★その場合、政治の貧困、政治の無責任が、礼式の上で「法人企業」の経営問題とされる。こういう無理を、根本から改める必要があろう。★東京電力が、福島原発を背負えるものか。JR北海道が、北海道の鉄路を背負えるものか。大学法人が、大学の財政を背負えるものか。この種の問いは、とめどもなく続く。ここに出会うのは、政治の貧困という課題である。
2017-02-23 21:54:00
天皇の権威に暴力は伴わなかったと書いた。こう聞いて、おやおやとんでもない、と思う人がでてくるだろう。★戦時中の天皇制のあの姿は、あれはいったいなんだと。天皇は現人神(あらひとがみ)と奉られ、天皇にたいする国民のあらゆる言動は、「不敬罪」という特別の犯罪の咎めを受けたであろうが。日常不断の国民生活の中で、「最敬礼」という号令がかかった時には、うむをいうことなく、90度の拝礼を行うしかなかった。(もしそれをしなかった場合、これはテロどころの扱いではあるまいよ。「非国民」という扱いが行われる。)★問題はこのように国内的には極端な暴力によって天皇制の権威を高めたとしても、この日本丸はまったくの国際オンチで、(アジアの覇王たることしか考えていないのだった)「日本丸」の重心が極めて高いところに置かれているので客観的に日本丸が不安定でもろいというところにある。★天皇の権威に暴力が伴わなかったというのは日本史全体をおおざっぱに見ての話で、近代の日本、特に戦時中の日本は、日本史全体からみれば極度に暴力がまかり通った時代であったが、いまの問題は、現在の自民党安倍内閣は、この戦時中の日本の姿が権力構造としてまったく正当で、日本の国勢が最高に高まる、いわば日本固有の歴史的姿であるという認識と感情を捨てることができないのではないのかという点である。★そうみないと、現在の政治に、わからないところが多すぎる。早い話、どうしてあの大阪の豊中の「独特の」私立小学校を、礼賛することになるのか。
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