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2018-08-31 13:02:00
2018年8月31日・金曜日・雨・札幌。★日本ハム対ロッテ。午後6時半。ゾゾ千葉球場。テレビBS日テレ。ラジオHBC、SТV。★道新1頁。「河川、ダム復旧6割 作付一体いつに」(岩崎あんり記者)。このリポートを読んで驚いた。北海道内では、2016年すなわち一昨年の連続台風による河川やダムの復旧工事がまだ6割しか済んでいないのだ。将来の被害防止どころではないのか。しかもこの一昨年の被害。作付けができない農家を数多く今に残しているという。★道新35頁。「道、水位計設置拡大へ」。これも驚くべきニュース。河川の水位を見る水位計を、安い値段の水位計で多くの河川に設置するという話だが、河川の水位を見て危険を判断する責任はだれが果たすのか、洪水危険を住民に知らせる公的な仕組みはどうなっているのかと考えると、この記事をみる限りそのような責任も、通知の体制もほぼゼロではないかと思える。★これでは洪水ハザードマップだの、洪水危険通知体制だのといっても、道内では話がかみ合わないはずだ。おそらく道新の記者も、それどころか道庁等の役所の担当者たちも、問題の所在を十分に察していながら、問題提起はできないでいるのか。これは政治の貧困ではないか。
2018-08-30 23:06:00
日本が対米戦争を行わなかったら(2)。ハル・ノートが示す米国の対日要求は、1941年当時の日本が受け入れがたいとするものばかりだったが、しかし日本側にまつたく考慮の余地のないものであったのかというと、そうとばかりは言えない。★日独伊三国同盟への共鳴は、日本の軍部が熱心であったが、親英米の有力な政治家が日本にいなかったわけではない。それにしても前者(日本軍部)の指導力は強硬であった。松岡外相はこの傾向を代表する政治家であった。★日本は三国同盟に傾斜していたが、他方で日ソ不可侵条約を結んでいる。日本の外交自体大いにねじれていた。★日本は満州まで放棄する気はなかったとしても、中国本土への進出はさすがに満州よりは基礎がもろく、日中講和のためには中国本土からは撤退する政治的決断は、まるで不可能だったとも言えまい。日本は中国と果てしない戦争を続けることが、対ソ、対米いずれにせよ負担になると判断していたはずである。★近衛内閣は「もはや蒋介石は相手にせず」と声明したが、そして汪兆銘など日本が相手にしやすい「まとめ役」を求めようとしたが、うまくいっていない。蒋介石の重慶政府との日中講和は、あり得ないことではなかろう。ただ、蒋介石がどうそれに応じるのかは、微妙であろうが。★このような次第で、ハル・ノートの対日要求の線までは行かなくとも、それぞれの項目でかなり思い切った「妥協」がまったくあり得なかったとは私は思わない。ただ、あらゆる項目でもつとも強硬な国策を主張している日本軍部の意向が、容易に妥協を許さないものだったとは言える。★要するに、1941年当時の日本の「国家権力」を誰が主導していたのかという議論になる。端的にはそれは日本軍部であろう。しかしこれをドイツやイタリアのように「ファシズム」と呼んでいいのだろうか。軍部を中心とする日本当時の権力構造はたしかに当時のドイツ、イタリアと通じる点もある。しかしドイツ、イタリアとはずいぶん違う性質もある。「日本のファシズム」と呼ぶなら呼んでもいいが、しかしずいぶん日本独特の性質の強いファシズムということになる。この「日本独特」の点をよく吟味してみる必要があるのではないか。
2018-08-30 19:48:00
日本が対米戦争を行わなかったら(1)。日米戦争を避けるために日本から野村大使・来栖大使が送られ、米国でハル国務長官と会談を重ねていた。1941年11月に、ハル国務長官は米国側の基本的態度を示す文書を手交してきた。いま中村隆英『昭和史上』東洋経済新報社、2012年を参考にして事態をまとめてみよう。11月6日に示されたハル・ノートの主要な内容は次のようなものであり、結局「日本が1931年の満州事変以前の状況に戻ることがハル・ノートの趣旨だったのである」(387頁)。「日、米、英、ソ、中、オランダ、タイとの多辺的不可侵条約の締結、日本の中国(満州を含む)、仏印からの一切の軍隊の撤退、重慶政府のみを中国の正統政府と認めること、日独伊三国同盟の否認がその主要な内容であった。」(387頁)★これは第1に、日独伊三国同盟をやめて連合国側につくように求めており、第2に、日本の中国(満州を含む)からの撤兵を求めており(関東軍を廃止せよというようなものだ)、第3に、蒋介石の重慶政府を中国の政府と認めてそれと和平交渉をせよといっている。★1941年当時の日本がとうてい飲めそうもないとした提案であったが、1945年夏に敗戦した日本であれば、「ああ、あのとき、もっとやりようはなかったのか」とうめくことになる歴史的経過である。(折を見て続けよう。)
2018-08-30 12:08:00
2018年8月30日・木曜日・雨・札幌。★日本ハム対オリックス。午後6時。京セラ。テレビBS12.ラジオHBC、SТV。★最近、家族でさきの戦争を話題にすることが多い。誰かが、「もし日本が、あのとき戦わなかったら、どうなっていただろうか」と言った。私は考えた。あのときスペインは結局戦わなかった。共和制を内戦によって覆したスペインのフランコ政権は、枢軸側で戦うだろうとみられていたが、結局第2次大戦では中立を維持した。その結果スペインは参戦せず、フランコ政権は大戦後もかなり長く続いた。★第2次大戦に際して、日本の場合、参戦しなければ、中国本部の占領地(華北など)を失い、満州国(現中国東三省)を失うことになっただろう。そして台湾、朝鮮、樺太、千島、南洋委任統治領を維持できたかもしれない。★あったことを、なかったとすれば、という話題は、現実にはあり得ないことである。しかし時にはそういうことを考えてみるのも、一興であろう。(後で続ける)★今日は午後から札幌は激しい雨になった。気温は低温。★今日の道新。「庶民のサンマ復調」。今年は道東でサンマが好漁で、昨年の2倍以上の水揚げがある。サンマ1匹、安いときは100円以下で食べられそうだという、私たちの腹とサイフに素晴らしい贈り物。昨年のサンマは高くて、簡単には食べられなかった。
2018-08-29 20:47:00
2018年8月29日・水曜日・曇り・冷涼・札幌。★昨8月28日の日本ハム対オリックス戦。4対2で順当に日本ハムの勝。大田が戻ってきた。これだけの勢いがあれば、今年の終盤戦、期待できる。
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