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2016-03-30 08:48:00

先に、立花 隆『滅びゆく国家』日経BP、2006年 の内容紹介をしよう、と約束した。この本の内容が小泉時代を構造的に紹介し議論するものだったので、この内容をいまの安倍時代に重ねると、より視野の広い構図がわかると思うからである。

しかしそれに先立って、この本が成り立った時期を調べておこうと思った。

この本は日経ウエブに立花が書いている『立花 隆のメディア ソシオ-ポリティクス』というウエブページに由来すると、立花はこの本に書いている。10ページ

であれば、この立花のウエブページが今日どうなっているかを見るのが先決だろう、と思った。それらしきものの残置は、みられる。しかし本が出版された翌年である2007年の途中で、止まっている。日経BPは今も、ブログを開く手助けをするサービスをしているが、いま立花のブログがそこで動いているというのではなさそうだ。

この当時小泉首相は、郵政民営化一本に絞った構造改革を世に問うていた。今の私たちには分かるとおり、郵政民営化は実現した。ところで、立花はこの『滅びゆく国家』の中で不思議がっている。いったい小泉氏は、郵政民営化一本に絞った経済政策提起ばかりしているが、郵政民営化が実現した後の経済政策はナニを考えているのか、驚いたことに何も分からない。資金量350兆円の郵便局を潰した後はこの回転力に頼っていた日本経済の部分についてはどうするのかぐらいは明らかにすべきだと思うが、それもない。322‐323ページ。

私たちはこの後2008年に世界的なリーマンショックが日本を襲うことを知っているし、日本の政局は小泉首相が引退し、安倍、福田、麻生という3人の自民党の政治家が相次いで急遽首相になり、自民党が引いて民主党が政権につくことを知っている。

2007年に立花氏のブログが突然停止する。この頃目立ったニュースというのは、ひとつは立花氏自身がガンにかかったこと、立花氏はガン闘病生活に入る。 もうひとつは立花氏がその頃安倍氏遺産疑惑問題に興味をもって関わっていたことで、父親である著名な政治家安倍晋太郎氏から死の直前に自己の政治団体への寄付という形で安倍晋三氏に6億円が渡るのは相続税制違反ではないのかという話題で、某週刊誌と安倍氏事務所が係争中であった。さいきんこの件に関連して「甘利政治資金疑惑」と関連付けた短い記事が立花の名でネット上にみられるだけである。まー10年も昔の話なので安倍氏の「禊」は払われたと、みんな思っているのだろう。

10年前に日本の政治と経済の構造にあれほど興味をもって関わっていた立花氏の姿は、今日出版でもネットでも影が薄いといわざるをえない。立花氏は存命中であるから、もし私がいま書いていることが不当と思われるのなら、どうぞいつでもネットに現れていただきたい。

小泉、今の安倍と重ねて、構造的にみると、ここに大きな構図が浮上してくる。小泉氏が「郵政民営化の後にやるのは憲法改正だろう」と、小泉氏の親友といわれる政治評論家淺川博忠氏が述べていた由。前掲立花著297-299ページ 小泉氏はまず選挙で大勝利をし、自分の独裁的発言力を党内でも確立した上で、憲法改正に臨むつもりだったのかもしれない。しかし当時ではこのように記録しておきながら立花の目ではとても小泉時代にそうなるという現実味がなかったのだろう。

選挙で大勝利し、更に又来るべき選挙で問答無用の大勝利をした後で憲法改正の政局に臨むのは、いまでは安倍内閣の正夢になっているではないか。安倍氏の党内独裁力もいまなら最高に高まっている。まさに安倍晋三氏は、小泉氏の第1の後継者であった。

このように小泉、安倍と並べての構造的改革とみると、もうひとつの、立花氏がみたくてもみえなかった郵政民営化の後の経済政策というのが国民に見えてくる。

いま日本銀行のマイナス金利政策で、日本の金融構造がいたるところで軋みを生じているが、なかんずくとうてい放置できない危険域に入っている箇所がふたつある。ひとつは地方銀行である。知ってのとおり地方銀行の多くが、地元での貸付先を見つけるのがいまも昔も大変で、勢い溢れる余裕資金をコールに出したり日銀に預金したりして凌いでいる。今回のマイナス金利はこの余裕資金運用の道をほとんど奪ってしまった。(とつぜん地方銀行の合併がまたまた取りざたされるのもそのためである。)もうひとつはいっそう深刻である。郵貯銀行である。ここは資金の7割を国債運用していた。マイナス金利で国債市場はただならぬひん曲がった市場になった。今更急に郵貯銀行が、「多様な運用」を工夫する時間的・体制的ゆとりがあるのか。このような不安定なときであるから、ほんの僅かな不手際でも容易ならぬ大事に繋がる危険がある。

私はマイナス金利という政策は、郵貯銀行を立ち往生させて何者かにのっとりやすくさせようという大陰謀ではないかと疑う。

みんな郵貯銀行を欲しがっていたが、なかんずく米国金融資本が非常に欲しがっていた。

郵貯銀行がぐらつくことは、郵貯銀行だけでは済まない。日本の国債発行体制を揺るがしたらどうする。

 

2016-03-29 11:02:00

2016年3月29日。今日、安全保障関連法が施行を迎える。思えば戦後70年の歴史は、日本国憲法第9条の内容を改正して最初の姿の正反対のものに変えてしまおうとする運動が着々と成功する足取りの歴史だった。戦後の日本の政治史はこの件を軸として回転してきたと言って過言ではなかろう。この運動は日本の変わらぬ「同盟国」米国が陰に日向に日本に対して希求してきたことも確かである。しかし世界は米国と日本だけで成り立っているわけではない。いつの日か、世界が世界の世論を挙げるときには、日本国憲法第9条の内容を骨抜きにしてきたこの戦後70年の日本の政治的歩みは、戦前に日本がいわゆる15年戦争に突入したさいの「画期」を、盧溝橋事件(その後日中戦争になる)とハワイ空襲(太平洋戦争始まる)に比すべき「画期」と評価するかもしれない。

日本国憲法第9条自体の条文を見れば、この「画期」の姿がはっきりする。

周知のとおり日本国憲法第9条はこうである。

第2章 戦争の放棄

第9条「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」

① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸空海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この第9条が「戦争の放棄」をうたっており、「戦争の放棄」の具体的内容として、「戦力の不保持」と「交戦権の否認・いわゆる不戦」を定めていることは明らかである。

戦後我が国の政治史は、まず「戦力の不保持」という規定を空洞化することに熱中した。その「画期」が「自衛隊の創設」(最初警察予備隊の創設として出発した)なのが明らかだろう。その場合の憲法解釈は、「自衛隊は憲法第9条にいう戦力ではない」であった。(だから戦車ではなく特車であり、軍艦ではなくて自衛艦であった。ただ、海外では軍隊として処遇されていた。)日本国憲法に言う「戦力」は自衛のために日本がもつ戦力を含まないと解釈しているのである。

次にわが国の政治史は、「不戦条項・交戦権の否認」という規定を空洞化することに熱中した。それが近年の激論である。自衛権を集団的自衛権に拡大し、さらにこの集団的自衛権を海外にまで拡大して、「わが同盟軍を海外でも守る戦闘行動」にまで及ぼしたのが、今回の「画期的」な安全保障関連法である。このように集団自衛権で日本国憲法を解釈し、かつそのような自衛権が発揮される場を海外にまで広げることは、この運動以前の運動ではなかったことであった。その意味で今回の安全保障関連法は二重に画期的である。

しかし日本国憲法第9条を骨抜きにするような政治過程を、戦前の日本の政治史とだけ比較するのは無理。むしろ1930年代-1940年代に起こったドイツでの、ナチスドイツ勃興の政治史と重ねるほうが親近性があろう。とりわけ当時のドイツが、第1次大戦の敗戦後に成立した「ワイマール憲法」と「ワイマール体制」下で、形式的には「ワイマール体制」下の合法性に従いながら、実際には「ワイマール体制

とは似ても似つかない「第三帝国」を作った歴史と、事ある都度比較されることになるだろう。

ただ、ドイツ第三帝国には、宗教的要素というものが皆無で、指導者ヒトラーといえども神ではなかった。その点で日本は今も昔もおよそ近代とはかけ離れた宗教的要因が強く政治に持ち込まれている。あの戦時中でさえ、宮中を遥拝している日本の庶民に、ドイツの外交官が声を掛けて、「ツアーがどこかの窓から見ているのか」といったというが、天皇がみていようが見ていまいがそちらの方を拝むという日本人の行動は、日本人にはあたりまえでも、ナチスドイツの外交官には奇異であったろう。

日本にファシズムが成長するとしても、ナチスドイツ型になるのか、宗教的要素を根強く帯びたものになるのか、いまはそこまではわからない。しかし今の政治過程は単純な戦前復帰ではなく、日本に独自のファシズムが誕生していることを、想定していいのではないかと思う。

ドイツが敗戦してナチスが消滅したとき、ナチスが数百万人という人間を殺害したことが誰にも明瞭になったが(敵対するもの、邪魔なもの、を殺害したのである)、「こういったことをいったいドイツの普通の市民はまったく知らなかったのか」という怒りの声に対して、ドイツ市民は「知らなかった、知らされなかった」と応えた。しかし、「うそをいいなさい。しらないはずがあるものか」と言われて沈黙するしかなかった。政治過程の狂気は容易にみとおせることである。あまりにも単純な狂気ではなかったのか。

 

 

 

 

 

 

2016-03-24 11:58:00

2016年3月24日、木曜日、正午、札幌の天候、晴。ただし午前中数センチの降雪があった。その雪は、太陽が出たらほとんど溶けてなくなった。

昨日およびそれ以前にお約束している立花 隆『滅びゆく国家』日経BP、2006年の紹介であるが、その第3章「靖国論・憲法論」中で目立ったのが、憲法第9条成立過程についてのエピソードである。憲法9条が我が国にとって超重要な話題であるだけに、この話は内容的に、たんなるエピソードというような軽いものではない。

要点をずばり言うとこういうことだ。憲法第9条に規定される永久平和主義は、1946年冬に、当時の内閣総理大臣幣原喜重郎が、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーに直接に意見を具陳して、マッカーサーの同意を得たものだ、というのである。

憲法成立史を辿ってゆくと、いったい、いつ、誰が、この憲法第9条の成立についてたいへんな力を発揮したのかが、謎である。これほど重要な条文が、忽然と現れている。私は以前日本国憲法を勉強していて、この謎に出会った。憲法に興味をもつ程の人なら、みなこの謎に出会ったのではなかろうか。

私は、これほどの謎にインターネットが何らかの情報をあたえていないはずはなかろうと思った。

そしてインターネットを引いてみて、この件は、ネット上では、「幣原喜重郎、憲法第9条」という組み合わせで引くと、主要な記事が出てくると感じた。まずこの辺から手がかりをえられたらいいのです。

1. 平野三郎文書。「ちょっと便利帳。幣原喜重郎元首相が語った日本国憲法・戦争放棄条項等の生まれた事情について」参照。

幣原喜重郎がその死の10日ほど前に、かれの元秘書、平野三郎に語った談話記録。第9条の戦争放棄条項が、マッカーサーに対して1946年冬、幣原喜重郎が提言したことが語られている。

2. ワカベン。金森徹雄のブログ。

3. 米国の女性のブログ。

マッカーサーも後年、日本国憲法第9条があのようになったことについて、幣原喜重郎の名を挙げて証言している。

ところで、私が読んだ立花 隆『滅びゆく国家』については、いまネットでひいても第9条関係としては現れない。もちろんこの書名でアマゾンを引けば、売られていることが分かる。

立花が引用した堤 尭『昭和の三傑』集英社インターナショナルは、これもアマゾンでは売られていることが分かる。

立花は、この「先輩」堤の本を引用しながら、幣原喜重郎が戦争放棄条項をマッカーサーに提言したことを、「ゲオポリテーク」だといっている。この奇妙な批評は、褒め言葉か、けなし言葉か。どうも堤も立花も、立花に言わせると「ゲオポリテーク」に生きる人間のようであるから、「最大の褒め言葉」かもしれない。ずばり、立花の批評で言うと、したたかな外交官上がりの幣原喜重郎が、一世一代の大芝居で、ナイーブな軍人であるマッカーサーを欺いて、この第9条の文言を憲法に明文であらわした「大謀略」であったという。つまりは、この文言のおかげで、日本国はその後今日に至るまで、米国がいかに日本国に、軍事的に米国を支援するように脅迫しても、日本国歴代の首相はこの文言を盾に「うん」といわなかった、というわけだ。そういう外交的一大ポイントを幣原喜重郎に稼がれていたというのだ。

たしかにねー。この半世紀余を生きてきた日本人は、トリックと言われようが、謀略といわれようが、よくぞやってくれたと幣原喜重郎氏に感謝する。

交際していて、同年輩の韓国人やオーストラリア人の知己に、あの「ベトナム戦争に従軍していた」ことに気がつかされる場面はありませんでしたか。私たち日本人ははそれをしないで済んだ。この第9条のせいです。戦い終わってみれば、ベトナムとベトナム人が、ベトナムで武勇を振るった韓国と韓国人に対して、冷たく対応するのを、いま複雑な心境でみるわけです。韓国の運命は日本と日本人の運命でもありえた。

 おもうにこのようなことは世界史でも事例は多くはない。ナポレオンが敗戦した後のフランスで、この敗戦国フランスを代表して縦横の腕をふるって祖国フランスの国益を守った外交官タレーランの名が取りざたされる。平和だ、中立だといっても、武力で国益を決するのが相場になっている国際社会ではそれが容易なことではない。あらゆる外交手腕を尽くすのが平和を擁護するありようになるが、それが容易なことではないのはしれきったこと。新憲法発布の頃、わが国は「東洋のスイスたれ」という言葉がよく口にされたが、むろん簡単に「東洋のスイス」になれるわけがない。

米国側ははやばやとこの「トリック」に気がついて、これを大きな声で「日本の安保ただ乗り」だといった。そんな大きな声でいわなくたってよく聞こえているが、歴代の日本の首相は「耳が遠い」ようすを装った。憲法第9条、どんずまりまで維持しませんか。いまさらトランプ米国大統領の指揮下で、シリアに一大平和境を建設するという地上派遣軍に編入されてたまりますか。

なお、堤氏は、「つつみかくさず」という動画シリーズをネット上に出しています。堤氏が国民学校3年生のときに戦争が終わった。この年齢はついに証言者の年齢になってしまったのか。まだゲートルも巻いたことがなかったのにね。(しかし歴代天皇の名は暗記したし、教育勅語も暗記した。)

 

 

2016-03-22 16:26:00

2016年3月22日、火曜日、札幌の天候は晴、ときどき曇り。

昨日、立花 隆『滅びゆく国家』日経BP、2006年 の要点をご紹介するとお約束した。この「小泉内閣時代」についての政治的スケッチは、現在の安倍内閣時代の政治経済的構造の観察にも大筋で一致していると思うからである。(そのわりには立花 隆が回顧されることが少ないと思う。)今日のタイトルにしたのは、実にこの本の第2章の題そのものである。

立花が戦後の天皇制を考えるポイントははっきりしている。立花は、戦後の天皇制は主権在民の日本国憲法の下に置かれていると考える。それゆえ、皇室典範も(根本的には)現在の国会が審議して改変しうるものであると考える。無論単純多数決で。

皇室の後嗣が不安になってきた(当時そのような不安が強く存在した)ことについて、もともと「男子相続」というありようは、たくさんの側室を天皇が持つというようなことでもしなければ無理で、皇室は側室を認めないというありようだから、それならば「女子相続も可」のように皇室典範を改めればよいと立花は考える。

一刀両断真っ二つ。この立花のような判断でよろしいと、私も思う。

今日、男子相続も可能な状況があるかもしれないが、この問題は早晩、現在の天皇制が存続する限り根本的に消えない「現天皇制の弱点」である。このように原点に立って考えることにより、この弱点を軽減するのが、今日でも正論だと思うが、如何に。

なお詳細の議論を知るには立花の前掲書をアマゾンからでも買ってよくお読みになることだ。

 

2016-03-21 21:31:00

2016年3月21日、月曜日、午後9時、札幌の天候、曇り、午後ときどき雪。ただし積もるほどではない。

マイナス金利の天気予報。今日は 立花 隆『滅びゆく国家 日本はどこへ向うのか』日経BP、2006年 を紹介しよう。これは10年前の小泉内閣時代に書かれた本だが、今日の安倍内閣時代が、まさにこの時代の後を継ぐものだということがよくわかる。この本にある問題意識は今日もすっかり有効である。詳しい紹介は次回に回して、ここでは本文各章のタイトルだけ書いておく。

第1章 ライブドアショック---会社とは何か

第2章 天皇論---女性天皇・女系天皇の行方

第3章 靖国論・憲法論---なぜ国立追悼施設はできないのか

第4章 小泉改革の真実---その政治手法と日本の行く末

第5章 ポスト小泉の未来---キングメーカーの野望

第6章 イラク問題---ブッシュ政権の欺瞞と日本の責任

第7章 メディア論---耐震偽装・NHK問題の本質

本書のもとになった材料は、2005年3月から、日経BP社のウエブページで連載がはじまった「立花 隆のメディア ソシオ-ポリティクス」だという。「これは一言でいえば゜、時々刻々のメディア報道をベースに書かれた日本社会論、日本政治論である」と。10ページ

「書き方としては、即物的な最新情報をいっぱいに詰め込んだページとして展開するのではなく、むしろ目の前の現実から一歩引いて、より広い視野からそれを捉え直したときに、何が見えてくるかを中心に書きたい」と、10ページで、著者はこのウエブページについて述べていた。

私は目を開かされた。これこそ私がこのようなブログを書くときに狙っていた境地そのものではないか。

そうすると、「株式会社論」では、あまりにも「目の前の現実から歩を引く」度合いがひどすぎるね。

まあ、よく考えさせていただく。

この本の第1章に、当時「ライブドア」社長ホリエモンこと堀江貴文氏が、ニッポン放送株を買い占めることによって、ニッポン放送が支配するフジテレビを手に入れようとした一件が述べてある。ここに「会社は誰のものか」というおなじみの議論が登場する。

 「会社は株主のものである」と「会社は経営者、従業員その他会社関係者のものである」。ホリエモンはもちろん「会社は株主のものである」とする。しかしフジテレビ側は、フジテレビは経営者と従業員のものである(わざわざいままではなかった組合まで作って、組合のものでもある)等々と主張した。

 

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