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2019-04-30 15:30:00
こういう話題自体、今やたいへん月後れで、平成回顧のブームに紛れ込まないと、未来永劫出番がないかもしれない。★1980年代末になってパソコンを通信手段にするありようが少しずつ開けてきたが、官庁や学校が参加しているだけという電話線を媒体にするコンピュータ通信が存在していた期間が数年ある。これはその時代の話。★当時専門図書館協議会では、国立国会図書館から地方に送られてくる毎月そこそこの分量の「ピリオディカルズ」のカタログを傘下図書館に毎月送り、傘下図書館がその中で必要と思う冊子を専門図書館協議会に取りに来ていた。私はたまたまその任にあって(それ以前は北海道産業経済調査協会がそれをやっていた)、カタログを毎月発行したが、いっそ思い切って、この官庁・学校のパソコン通信に毎月カタログを流し、必要な傘下図書館が必要な誌名と部数を専門図書館協議会にこのパソコン通信で言ってよこせば、事柄がたいへんスムースではないかと思いついた。そこでわざわざカタログをキーインして数か月流していた。(いい思い付きだと思っていたよ。それに、遊びに類するように思われているパソコン通信が、業務に役立つではないか。)★しかしある使用者から、毎月1回固まった大量のデータが画面に現れるので、うざくてしかたがないという苦情が出、せっかくのアイデアも挫折し、郵便でカタログを送り、傘下図書館が必要な資料を取りに来るという、いつものルーティンだけに戻った。★まずあっちこっちのコンセンサスがないと、なにごとも始まらないのだ。そのコンセンサスが、容易には得難いけどね。だから既成事実をまず作り、「それもわるくないね」となって、長続きするのだが。★思えば、国会図書館自体がこれを思いついて、地方にそういう情報をコンピュータ通信で流せばいいわけだ。どれほど業務が合理的に運ぶかしれない。そして地方が具体的に必要とするピリオディカルズだけを拠点図書館に郵送すればいいのだ。そしてこのコンピュータ通信は官公庁なら使用できたものであり、専門図書館の地方組織はたいていこのコンピュータ通信網の範囲内にあったはずだ。★しかし誰も当時そんなことはおもいつかなかった。これが業務用に使えるという考えがなかったし、それにあっても、担当者に余計な仕事が増えるだけのことである。★図書館コンピュータ化の大ブームがやってきたのは、それからほんの数年後である。平成とはこういう時代だった。
2019-04-30 09:11:00
2019年4月30日・火曜日・曇・札幌。★今日で平成という年号が終わる。おもうところあって、明日からは、このブログ(お知らせ)は、年号の使用をやめることにする。明日は2019年5月1日という趣旨で、「190501」のように表記することになる。★このところ「平成回顧」という話題が続いていた。パソコン回顧なら「ウインドウズ回顧」が欠かせないと思うが、AIの主流はもうパソコンではなくてスマホだろうという見識が主流なら、それも致し方ない。「インターネット回顧」が必要だろうという人が多くなるのだろう。★実は私は、ある意味でインターネット先覚者なのだ。時計を20‐30年昔に引き戻すと、当時はパソコン時代。ベーシックという言語を使っていた。私は当時パソコンのRS232Cポーという端子の箇所の利用に熱中していた。2台のパソコンが、パソコン同士の通信ができないかという考えに取りつかれていたのである。当時電話線を利用したパソコン通信(むろんこれもRS232端子を使って行う)が発達中であったが、それとは別にRS232C端子で直接にパソコン同士が繋がったらどうだろうと考えた。★電子回路を研究している友人にそのアイデアを話したら、「できるか、できないか、できてもどの程度できるものか、考えてみる値打ちはあるな」と同意してくれた。なお当時はパソコンの専門家などという者は世にない。電子回路の専門家などが、一番近い専門家たちの一つである。★むろん途中にサーバーを挟めば、ずっと容易だ。(そのサーバが高価だった)電話線を挟んでも、ずっと容易だ。(それが当時のネット通信。むろん通信速度は「這うように」遅い。しかしデータをセーブしたりアップロードしたりするのに、当時は当然のようにカセットテープを使っていた。これまたまさに這うように遅い。半日かかったりする。)★答えは、万が一これでつなげても、恐ろしいほど不安定である。途中にサーバを挟むしかないのだ。★こういう呑気なことを考え付くのも、当時のパソコンは何十台も一度につかっているとき、プリンター(これも高価だった)を使用するのに数台で1基のプリンターを併用していて、実際上プリンター使用は大混乱を来したものだったというありさまだからだ。★やれやれ、「平成は遠くなりにけり」かな。
2019-04-29 09:17:00
2019年4月29日・月曜日・曇・札幌。★十連休の三日目。家族に、病院へ行きたい者が出たが、十連休が終わるのを待っている。★ソフトバンク対日本ハムの最終戦。札幌ドーム。午後2時。テレビBS朝日と、UHB。ラジオHBC、S.T.V。★今日の道新。13-14頁に道内中心の平成回顧年表。このほうがぐっと身近だ。★欲を言うと、北海道日本ハムフアイターズの平成史を回顧する表を、作ってほしい。その間ポピュラーだった選手、役員、解説者たちの写真入りで。
2019-04-28 13:08:00
2019年4月28日・日曜日・晴れ・札幌。★10連休の2日目。ソフトパンク対日本ハム。札幌ドーム。午後2時。テレビHBC、BS-ТBS。ラジオHBC、S.T.V。★今日の道新、平成を時系列的に、空間的に、回顧するようなまとめ記事が並ぶ。個人が平成を回顧する記録を作るときにいい参考になる。こうやって示されてみると、自分も忘れてしまった、ないしは思い出せない、多くの記憶があるんだな。「長期債務残高1105兆円」(5頁)、「IТ革命手の平に」(14頁)、「札幌圏の平成」(17頁)、「平成を振り返る<国内>」(18頁)、「平成を振り返る<国際>」(19頁)。★こういうことをするんなら、ウインドウズもまとめて回顧したらどうだ。私は「普游舎」の「2017ウインドウズ100%最終号」をもっている。これはウインドウズの20年間を回顧総括していた。
2019-04-28 00:41:00
私が特に万葉集に詳しいわけではない。大学1年の時に取った教養科目の国語で、万葉集をテクストにしていた。講師はアララギ派の歌人といわれる扇畑忠雄という人。巻頭第一巻第1号(国歌大観第1号)雄略天皇御製をまず講義なさった。★籠もよ、み籠持ち、堀串もよ、み堀串持ち、この岡に菜つます子。家宣らへ。名宣らさね。空見つ大和の国は、おしなべて吾こそ居れ。しきなべて吾こそ座せ。吾こそは宣らめ、家をも名をも★私がこれを引用した折口信夫訳『万葉集』河出書房新社、平成三年の7頁は、折口先生が現代語訳して示している。私が学生の時に習った本は、どのような版だったかももう忘れてしまった。★歌の意味はたいへんはっきりしている。天皇が岡で会った娘に「じゃれている」やりとりで、僕は天皇だが、君は誰だい。君の電話番号教えないかと言っているようなもの。★私の記憶では扇畑先生は「堀串(ふぐし)、箆の意」のところにいやにこだわって、この「ふ」というのは現代にはない発音で、強いて言うと「ぷ」に近い発音だという考証を延々と話していたのが印象に残っている。★その後の人生で私は取り立てて万葉集を学習したことはない。せいぜい岩波新書『万葉秀歌』を手にしたぐらいのものだ。★それにしても新年号を万葉集から採ったというから、機会があればもう少し万葉集に親しんでみようと思う。
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