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2025-07-01 05:47:00
6/30 21:30 草の実堂 配信。「イスラエルとイランは、かつて『仲間』だった?~1970イラン革命以前の関係とは」。/これは現在のイスラエル・イラン関係を理解する上で大変に貴重な配信記事である。/私のいう最近80年間の世界の姿を理解する上でも非常に貴重だ。/ただ、私は、この記事を読んだうえで、私の観点や知識を追加した「感想」を、以下に簡単に述べる。上記「草の実堂」の記事をよくお読みの上、以下を読まれよ。/1979年ホメイニ(師)革命以前のイランは、国王専制国家である点では他の中東イスラム国家と同様であったが(ただ、イスラム教派としては独自だった)、イスラエルと友好関係にあり、イスラエルから農業技術を輸入したりして、親西欧的であった。それが1979年のホメイニ革命で、一転して反イスラエルに変わった。(他方でイランは、イラク同様、非国王イスラム国である。つまり一種の「明治維新」を行ったイスラム国だ。)トフラー氏は中東諸国で知識・情報産業がはなはだ遅れていることを嘆いているが、私見では「明治維新がない」ことが問題の背景にある。(日本人にしかわからない「言論」で、ごめんなさいね。つまり私は、イスラム教国共通の遅れを「明治維新がなかったこと」と考え、米国の中東政策はあえてこの「遅れ」を維持するようにさせた、汚い政策だと考えている。逆に「明治維新を敢行してしまった」イランとイラクに米国は厳しく当たる。)これがイラン、イラクが経済構造を突出させるようになった背景であり、今日、イランが核化政策をとろうとしている背景である。かつてブッシュ氏がイラクを完全に武力制圧したように、トランプ氏の今日の非公式の野心もブッシュ氏の先例にならってイランを完璧に武力制圧することかもしれない。こうして今日のイスラエルとトランプの蜜月が現れると。/この「明治維新」というのは、近代欧米社会の場合には何に相当するのだろうか。私見では、「ドイツの市民革命」だろうと。はて、ドイツに市民革命などあったかしらとあやしまれるだろう。でも20-21世紀のドイツ人は間違いなく合理的な近代人だよね。ではドイツ人はいつたいどこで中世的秩序から脱しているのか。これは有名なマックス・ウエーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫、1998年に聞いてもわからない。ドイツ人の著者ウエーバーは正真正銘の近代人。世界の近代人たちに近代人とは何かという教えを垂れている古典的名作だ。むろんウエーバーその人も自分が近代人であることを露疑わない。そのドイツで「市民革命」に当たるものは何なのか、どうしてどのように、それが市民革命に当たるのかと問われるなら、おそらくウエーバーは本能的に答えたくない、のではなかろうか。それを私は「ドイツの市民革命」と呼ぶのである。なに、日本人だって同じ事さ。「どのような日本の市民革命」があなたがたを近代人にしたのかと問われると、「うーん」とうなって、答えにくいだろうね。ウエーバーとて同じこと。/ハンナ・アーレントは、ある意味で、この難問に応えている面がある。彼女は、どうして、いかにして、このドイツという国家と政治がありえたかを、一生懸命問い続けた。 /圧倒的大多数の日本人は、それが「新日本と新憲法」だろうと、何の躊躇もなく答える。そしてこれが現憲法下の法的正義であろう。それでいいではないか。ところが選挙のような、人心が動きやすい時期が近づくと、「現憲法にたいする疑問」なるものをあの手この手でぶちあげる人というものが現れやすい。この輩は、根本的選挙違反を犯すことになると思うがね。まして、今の日本は、憲法上軍隊はないはずなのに、すでに相応の軍事力を有し、これだけ原発があるので、核兵器化はその気になれば大変にたやすい、そしてGNP2%に近い軍事予算を既得権にしており、トランプ氏に強請されて万やむなく5%・それとも3.5%に負けさせたと誇るのかしら・を数年後に達成するんだと。なんか変な選挙演説を聞いたときには、真っ先にこの手の言論を疑うがよい。いわく、普通の国、日本、再軍備は当然の権利うんぬん。
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