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2022-10-26 18:24:00
文字というありよう(4) 文字認識に伴う大きな問題。 10月25日、NHK、BS3、「ヒューマニエンス 人類と文字との出会い」を視聴しての感想。文字の認識は、人間の脳に非常な負担を強いているという。この負担を軽減するために、人間は文字認識の上での「はやとちり」を行いやすいのだという。端的には、間違った内容のものでも、本来のその文字であるかのように「読んでしまう」のだと。つまり、誤読が起こるのは、ある意味では正常な現象だと。漢字をみていろいろ誤認識を起こしている人の割合というのが、(デイスクレシアと呼ばれている)漢字のよみ、書きで、それぞれ8パーセントはあろうというのだから、これは大変だ。あらゆる小学生が、目の前の漢字を、正当に読め、書けることを「当然」と考えるほうが乱暴だということになる。漢字のような表意文字でなく、欧米のアルファベットのような表音文字の場合でも、幼時に「デイスクレシア」になってしまうケースは決して稀ではないという。文字は、特に漢字は、たいへんな文化遺産だ。他方でこの文字を扱うことは、人間にある種の苦労を背負わせるのは間違いないことだということになる。
2022-10-26 13:14:00
10月25日、NHK、BS3、「ヒューマニエンス 人類と文字との出会い」を視聴しての感想。文字というありよう(3) 文字の力能。「文字にどんな力能があるか」。言葉を文字であらわし、その記録を他人に見せ、この記録を保存して将来に残すことで、言葉であらわした内容が定着し、他人に伝えられ、その記録・記憶が将来にも残る。文書記録という文化遺産はますます膨大となって、人間の記憶を助ける。まさに文化遺産。言葉のままでは、情報力、記憶力、それぞれ非常に局限される。 ところがこのような文字の力能は、その裏側では、権力者の支配・統制の下に置かれやすいという性質が伴うことになると、番組は教えてくれる。言葉のままであれば、権力者の支配力は文字よりはるかに及びにくいと。言論の自由というとき、言葉のレベルでの自由と、文字・文章のレベルの自由では、次元が違ってくるだろう。だから世にいうではないか、「筆禍」と。 「権力者による文字の独占」は、封建時代に下がっても見られた。「文字を独占する者」がまさに支配者階級の標識である。庶民は「識字率の高さ」という点で、支配者階級とはっきり区別されている。しかしわが国の江戸時代の庶民識字率は大変高くて、70パーセントほどと推定されている。他方同時代の英国の庶民識字率は20-30パーセントぐらいのものだという。宗教的背景が、西欧のキリスト教会とわが国の仏教寺院という相違は、なにかの役を果たさなかったかな。
2022-10-26 08:56:00
文字というありよう(2) 文字と言葉の間(はざま)。10月25日、NHK、BS3、「ヒューマニエンス 人類と文字との出会い」を視聴しての感想。文字といえば、ただちに「それは言葉だ」と思う。それには間違いない。しかし文字と言葉の間には現実には相当の距離があるのだということを、私たちに思い知らせてくれる番組であった。1.人類発生に20万年かかったが、文字が成立してから5千年ぐらいしかたっていない由。2.文字は数えた数を残す必要が生じた「人間の経済活動」に由来するのではないかという。3.太古の文字は絵文字として発生し、絵を組み合わせて特殊の意味を作るものとして成立して、非常に早い時期に1500字ないし2000字程度になっていたと、きっと漢字などを例にして、推定するのだろう。4.ところが、今日までの人類の文字の発展のあとを回顧すると、世界の大多数の民族の文字は「表音文字」で、漢字のように「表意文字」なのは非常に割合が少ないという。もっとも漢字は、カタカナという表音文字の工夫を伴ったし、日本などはさらにひらがなという表音文字を工夫した。こんな具合に漢字を観察するのも、興味深い。さて、漢字の未来の運命いかんと、思いやるのも一興。終戦時、ローマ字論者が数多く表れて、日本語をローマ字表記することをもって今後標準にしようと主張した思い出がある。中国も建国時はローマ字表記が中心になった時期がある。韓国などは完全に幾何学的図形(一種の表音文字であろう)で表記するようになった。漢字はすでに表音文字の攻撃に出会っている。
2022-10-25 23:18:00
今日10月25日、夜10時に、NHKBS3で、「ヒューマニエンス 人類と文字との出会い」という番組を視聴した。このテーマは漢字と関りが深いので、興味をもった。ところがこの視聴から得た知見は、思いがけない広がりをもちそうなので、数回に分けて述べる。今回は私も思いがけなかったたいへんな話題に触れておきたい。/番組最後のほうで、漢字の左右を間違えて書く幼児、という話題が出た。(鏡文字。ミラーライテングというそうだ)漢字の学習が進んだ年齢になっても、一定数(少なからぬ数)の人間はどうしても漢字の左右上下が認識できない(ディスクレシア・障害)という現実がある。欧米でもこのような文字(アルファベット)の「デイスクレシア」は多くの人間の幼時に稀ならず起こっている由。ところでこのようなディスクレシアを起こしている人間が、案外に絵が上手だったりすると。/私、青年期に出会った少年が、たいへんに不思議な障害を起こしていた。数字の位取りを、通常とはすっかり反対に把握していた。むろん計算をさせればたいてい間違う(合うはずがない)。私は教育を委ねられて、この真面目な少年が「たいていの計算を必ず間違う」ことに不審を感じた。気が付いた以上、私は何年もかけてその少年の計算につきあい、なんとか「普通」にした。今日の番組は、文字のディスクレシアを話題にしたが、コトは数字でもありえることではないか。/ところで、普通の順に読む数字で成り立つ数と、その正反対の読み方をする数とは、どのような数学的関係にあるのだろうかね。
2022-10-25 19:04:00
『学研小学国語』「部首一らん」の「冠かんむり」と「脚あし」1111頁を参照。 「冠かんむり」の場合。「なべぶた」交、京、亡。「つかんむり」単、巣、営。「うかんむり」家、宿、客。「くさかんむり」花、芽、菜。「おいかんむり」考、者、老。「はつがしら」発、登。「あなかんむり」空、究、窓。「よこめ」置、罪、署。「たけかんむり」算、第、菅。「あめかんむり」雪、雲、電。以上十種。これはみな親しみ深いな。 「脚あし」の場合。「ひとあし」元、兄、児。「にじゅうあし」弁。「こころ」思、意、悲。「れんが」点、照、熱。「さら」益、盟。以上五種。とてもユニークで印象深い。 /実はこの「部首一らん」には、さらに「たれ」「にょう」「かまえ」「その他」という部首も例示されていたが、私は「へん」「つくり」「かんむり」「あし」だけでやめた。これらの部首が漢字のそれぞれ、「左半分」「右半分」「上半分」「下半分」と、 部位がすぐわかる位置だから。ごらんのように、「へん」がめっぽう多く、「つくり」はそれに次いで多い。きっと「へん」と「つくり」だけで八割がたの漢字が含まれるのではあるまいか。だから、端的には「へん」だけ念頭に置けば、または「へん」と「つくり」だけ念頭に置けば、「能率がいい」ことにはなるだろう。