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2025-07-01 13:51:00
知っての通り、世界史上、フランス市民革命はあったし、イギリス市民革命もあり、アメリカ市民革命(アメリカ独立戦争に伴ったと考えられている)もあった。しかし、「ドイツ市民革命」というものはなかった。マックス・ウエーバーは、市民革命が資本主義という経済体制の成立に符合した政治的変革として起こったと考えるのだが、かといってこの「符合」が機械的なものとは思わない・ヨーロッパキリスト教社会に起こった「宗教改革」という、いうなれば宗教・思想革命が西欧各国に起こした衝撃が原動力にもなっていると考えるわけで、ドイツのルッターの宗教改革、次いで起こっているスイスのカルビンの宗教改革、これが強く影響してイギリス革命、フランス革命、アメリカ革命になっていると、主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じている。たいへんに精妙な議論だ。/で、ドイツにはなぜ起こっていないのか、ドイツはどうなったのか。/ドイツ人たちは、ドイツ民族が無知蒙昧だったとは露思っていない。ぞくぞくと近代人が成立していたが、ただ、そういう者として自立的な国家を作り、自分たちの代表者をそこに据えるという、フランスやイギリスやアメリカがやったのと同じことはできなかった。なぜ?とドイツ人に聞いてみたいよ。ドイツ人が歴史的にやったことは、国民的国家を作ったが、その支配者を「外からやってくる」状態にした。それが19世紀のドイツ帝国、ヴィルヘルム皇帝治下、宰相がビスマルク、その下に参謀長モルトケなぞという人物もいる。マックス・ウエーバーが円熟期にあるときに、かれはドイツ帝国の臣民である。なにこの論法は日本もそうだ。近代化した日本人・「四民平等」をうたうべき日本国民は、すでに理念的には成立している。しかし自律的な代表を持たない。明治国家という神聖な天皇制国家を頭に担いでいる。ドイツとよく似ているのだ。明治維新の元勲たちが制度調査のためにヨーロッパを訪問した際、ドイツ帝国憲法をみて、「日本もこういうのにしよう」と判断したというのは、有名な史実であろう。/つまり歴史的には、明治維新の中に近代を見るしかないのだ。悩ましい大論争が後年日本人の間で起こるのは当たり前のこと。しかしポイントはわすれるわけにはゆかない。/20-21世紀になっても、このようなドイツ的「市民革命」は、やはり難問のタネとして存続する。20世紀の「全体主義」「軍国主義」「ファシズム」という政治体制は、このドイツの国家体制として現れたからだ。(日本もそうだったという事を忘れては困るよ。)/今、「過去80年の欧米自由世界」(この中にはわが日本も含まれると思うよ)の「民主主義と平和主義」、というとき、その中に「全体主義」「軍国主義」「ファシズム」の要因が何らかの形態であり得たかどうか。/ハンナ・アーレントの議論は入口は狭いが、20世紀全体主義を主要な批判対象とした思想家なので、学びうる点がありうるのだ。
2025-07-01 05:47:00
6/30 21:30 草の実堂 配信。「イスラエルとイランは、かつて『仲間』だった?~1970イラン革命以前の関係とは」。/これは現在のイスラエル・イラン関係を理解する上で大変に貴重な配信記事である。/私のいう最近80年間の世界の姿を理解する上でも非常に貴重だ。/ただ、私は、この記事を読んだうえで、私の観点や知識を追加した「感想」を、以下に簡単に述べる。上記「草の実堂」の記事をよくお読みの上、以下を読まれよ。/1979年ホメイニ(師)革命以前のイランは、国王専制国家である点では他の中東イスラム国家と同様であったが(ただ、イスラム教派としては独自だった)、イスラエルと友好関係にあり、イスラエルから農業技術を輸入したりして、親西欧的であった。それが1979年のホメイニ革命で、一転して反イスラエルに変わった。(他方でイランは、イラク同様、非国王イスラム国である。つまり一種の「明治維新」を行ったイスラム国だ。)トフラー氏は中東諸国で知識・情報産業がはなはだ遅れていることを嘆いているが、私見では「明治維新がない」ことが問題の背景にある。(日本人にしかわからない「言論」で、ごめんなさいね。つまり私は、イスラム教国共通の遅れを「明治維新がなかったこと」と考え、米国の中東政策はあえてこの「遅れ」を維持するようにさせた、汚い政策だと考えている。逆に「明治維新を敢行してしまった」イランとイラクに米国は厳しく当たる。)これがイラン、イラクが経済構造を突出させるようになった背景であり、今日、イランが核化政策をとろうとしている背景である。かつてブッシュ氏がイラクを完全に武力制圧したように、トランプ氏の今日の非公式の野心もブッシュ氏の先例にならってイランを完璧に武力制圧することかもしれない。こうして今日のイスラエルとトランプの蜜月が現れると。/この「明治維新」というのは、近代欧米社会の場合には何に相当するのだろうか。私見では、「ドイツの市民革命」だろうと。はて、ドイツに市民革命などあったかしらとあやしまれるだろう。でも20-21世紀のドイツ人は間違いなく合理的な近代人だよね。ではドイツ人はいつたいどこで中世的秩序から脱しているのか。これは有名なマックス・ウエーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫、1998年に聞いてもわからない。ドイツ人の著者ウエーバーは正真正銘の近代人。世界の近代人たちに近代人とは何かという教えを垂れている古典的名作だ。むろんウエーバーその人も自分が近代人であることを露疑わない。そのドイツで「市民革命」に当たるものは何なのか、どうしてどのように、それが市民革命に当たるのかと問われるなら、おそらくウエーバーは本能的に答えたくない、のではなかろうか。それを私は「ドイツの市民革命」と呼ぶのである。なに、日本人だって同じ事さ。「どのような日本の市民革命」があなたがたを近代人にしたのかと問われると、「うーん」とうなって、答えにくいだろうね。ウエーバーとて同じこと。/ハンナ・アーレントは、ある意味で、この難問に応えている面がある。彼女は、どうして、いかにして、このドイツという国家と政治がありえたかを、一生懸命問い続けた。
2025-06-30 21:00:00
私はこの80年間を、第2次大戦終結、ニクソン・ショック、トランプの第2期、とし、ブレトンウッズ体制、金ドル交換停止、仮想通貨元年、としましたが、これは明瞭に、「通貨改革」を刻み目に考えているわけです。そもそもこういう「時代回顧」の動機がトランプ氏の仮想通貨元年とかの意味を把握しようということからスタートしたわけで、「仮想通貨元年」は(まだ、それが歴史的に成立しうるものなのかどうか未知数、と言わざるを得ないんですが)あきらかに内容的には「通貨改革」です。/しかしどうしてももう一つ、刻み目の「基準」を考えておく必要がありましょう。それは、この期間は、産業・経済体制で観察すると、どういう区分になるのかという点です。これについて共通認識になれるかどうか自信はありませんが、私はこう考える。「工業時代」だが、世紀転換期(2000年ごろ)から「情報・知識産業時代」に入る(今も続いている。仮想通貨元年は、ここがどん詰まりと言う人もいるかもしれないが、私はまだトバ口と考える)。/実は「情報・知識産業」という概念を強く唱えたアービン・トフラー氏は、情報・知識産業時代を「1950年代から2025年まで」で、そのような時代に入ったことが明瞭になるとしているわけで、なんのことはないこの80年間はほとんど「情報・知識時代」と考えていたのでした。/これは別に論理的におかしくもなんともない、米国を念頭におけば、原子力もコンピュータも第2次大戦終結時にはちゃんとありましたからね。(日本人の時代感覚がとても追いつかなかっただけのことです。日本人の感覚ですと、たとえば森首相が口をゆがめて「IT革命」といっていましたなあ、あれは世紀転換期頃だった。原爆は落とされるという不幸な形で存在を知ったが、向こうさんはすでに原子力科学・原子力産業を展開していた。「コンピュータ・コンサルタント」なるものが「時代の花形」らしいと小説なぞで聞き知っていたが、向こうさんはその大型コンピュータが産業・経済に深く、広く活動しており、オペレーション・リサーチという活動計画・活動管理が盛んにいわれていることに気が付いたが、日本の現実はまだ気が付いただけ。)私どもはトフラーの言う「情報・知識産業」をとりあえず「ポスト工業社会」ととらえ、そうすると「サービス産業」という程度にしか認識がならないのです。また日本の現実もサービス産業程度だったといえばそれまでですが。ですから、いまですら、大変に多くの日本人専門家・知識人は、「サービス産業」という認識でしか時代をみていないのです。私の指摘が嘘だと思いますかね。たしかに「情報・知識産業」というのは広い意味では「サービス産業」でしょうね。てはその頭の専門家・知識人は、仮想通貨で通貨を置き換えてしまうというような発想(発想じゃなくて、トランプは元年だとしているのですが)を自分のからだと心でちゃんと論じられますか。//こうやって、せっかく時代区分しても、発想に条件を付けると、もっと細かい、もつと具体的な、区分になるのではないでしょうか。/つい長くなりました。ここまで、ご同意いただけるかなあ。何をとぼけたことをお前はいっておるか。お前の言う世紀転換期だったら、これはもうWEB1..0からWEB2.0に移行し初めておるぞよ。そして今WEB3.0が既成事実化しょうとしているではないか、とね。まあ、クリントンの頃から後なら、たいへんわかりやすくなったね。で、その前は、どう区分しておくかね。
2025-06-30 18:23:00
昨日独り言を書いたように、「選挙期間中」は新聞も、実にネットも、配信を控えるようになるようです。「選挙違反」にでも問われたら、詰まりませんので。ただ、国際社会は動いており、とりわけ我が国の「国内政治経済」にとって「大前提」になっている米国の政治経済、トランプ氏の政治経済、はやむところないはずです。(ただ日本国内でそれを私たちが語ることはほとんどないんですね。北海道でこのまえ、選挙を前にした公の討論会があったようだが、その中身をみると、その全員は米国に関しては一切自分の討論の話題にしないんです。)それでね、たとえばトランプ氏が熱中しているアメリカ第一の仮想通貨元年(間違いなくどっと日本に押し寄せるんですけどね)とか、ヨーロッパもアジアも米国に依存しないで国をまもるようにと、GDP5%の国防費を強請していることとか(日本に押し寄せないはずはないんですが)、今度の選挙に関する話題には全然登場しないのですね。いったい選ばれる議員は、日本の政治経済を運営する議論ができるのかしらん。/それで私は選挙の期間、第2次大戦の終結から今日に至る米国の歴史的期間を、トランプ氏はその期間に築かれた国際的な平和主義と民主主義を破壊し、全否定しようとしているようですから、それがどういうものだったか、この機会にゆっくり回顧してみようと思っているのです。今日手にして読んでいるのが、ボブ・ウッドワード『大統領執務室』文芸春秋、1994年、という本で、30年も前のクリントン第1期のことだが、その大統領執務室が実に詳しくえかかれているので、ついついトランプ氏のやり口を思い出しながら、比べてみたくなるのです。そういう興味で読むと実に面白い。これは当時よく売れた本だが、今読むとこれまた時宜にかなっています。
2025-06-29 12:25:00
私は、休む気はない。その期間、「大きな時間的背景」に考えを巡らせたい。その「大きな時間的背景」とは、これはほぼ衆目の一致するところ、まず「第二次世界大戦終結の時」すなわちブレトンウッズ体制成立の時、である。次が「1970年代のいわゆるニクソンショックの時」である。最後が、「現在の第2次トランプ政権の時」である。1945年から2025年まで、約80年間だ。この期間を、「覇権国であった米国」を中心に見る。そしご覧のように、出発点、中間点、終結点、すべて「世界的通貨の制度的ありよう」の「変革期」である。おそらく大方の人々に異存はあるまい。この80年間は、「覇権国である米国が唱導し、リードした、世界的民主主義と平和の時代」である。そしていまトランプ氏を評価する多くの論者たちが、盛んに話題にし、盛んに攻撃している「世界的民主主義と平和の時代」でもある。なおさしあたり日本を度外視してこの課題を考えよう。どのみちこの期間の日本は、時代を作るというよりは、時代に同調した国なのだから。そういう意味でのみ、「時代を作ってきた国々の一部」なのだから。