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2025-10-16 08:54:00
日本国民が現在、どうしようもない少子化・人口の漸減的減少、に陥っているという状況だ。裏返せば、人口の高齢化ということでもある。子供は一向に生まれず、ふえない一方で、科学的・産業的に人間の寿命を抜本的に伸ばす・伸びる・という発明・発見・開発が日々進んで、いまでは人生100年というのでなく、130年ぐらい、あるいはもっと果て無く伸びるのではないか、と真顔の報道がはびこる。/世の国民経済的論議が、この「宿命的少子・人口減少社会」なるが故の「国民経済実体のデフレ現象」は、とうてい否定しうるものではないという強力な立論に傾いて、もうここ30年になるぞ。日本の国民経済の21世紀の長期大不況の原因というなら、根本的には、この人口減少・デフレ経済によるのだろうという「認識」は日本国民全体の議論から常に離れることはない。/ただ、その「断固たる対策」となると、急にみな黙り込むのだ。/むろん、ここに、「指導的人々」は、「深い根本的学理から出発して」、デフレは貨幣的現象だから、貨幣をじゃぶじゃぶ市場に提供するのが、基本的対案で、あえて非伝統的かもしれなくとも、金融・財政政策のウルトラC発動で、対応するのが「常識」だろうと。ああだこうだとすったもんだはしたが、ご承知のごとく、現在わが日本が貨幣・金融的に展開しているのは、極く低金利のもと、貨幣をじゃぶじゃぶ市場に提供する政策である。二、三日まえにわたしはブックオフで浜田宏一『アメリカは日本経済の復活を知っている』講談社、2013年という本を220円で買ったが、「貨幣をじゃぶじゃぶ市場に提供する」聖なる反デフレ政策をこれほど誰にもわかりやすく(著者は社会学的に書いたとのたまっている)説明した本は少ない。ひとつだけ単純ないちゃもんを付けておく。著者はこの聖なる学説は、「アダムスミス以来200年間の経済学上の常識」に従っていると言う。だがね、アダム・スミスが国民経済学を構築したとき、かれが国民経済として把握していたのは、いわば国民経済の実体であって、貨幣・金融的現象が実体経済から相対的に遊離して幻のように実体経済の上に大きく漂うなぞという現代のような姿ではない。それにスミスにとっては、国民経済はたいへんにリジットなものであって、いわゆる生産の三要素(資本、土地、労働)は国際移動しないという原則にしている。国際移動するのは基本的には商品のみとされていた。だから貨幣流通は国際的にはあり得ないものとなっていた。現代のように為替取引にあたるもののほんの数パーセントしか実体取引(つまり商品貿易取引)がないなぞという現実はとうていこの国民経済学には想定しうるものではなかったはずだ。スミス以来200年と開き直られても困るのだ。/せつかく貨幣をじゃぶじゃぶ「市場」へ流しても、その実際の効果は、国民経済の実体側と、まぽろしのような巨大な貨幣金融的世界と、どちらに大きく貢献するだろうかね。まさか株価は天井知らずに高騰を続ける同じ時に、生活して生きている国民の大部分が、全然好景気とはおもえない、とつぶやく図が、その都度観察されるのではないだろうね。その「経済」、おかしいじゃないの。これが同じ日のおなじ国民経済の姿かね。あきらかに上下真っ二つに割かれた姿ではないか。アダム・スミス氏は真っ二つに上下に割かれた国民経済などまったく想像もできなかったろうよ。浜田先生がいかにいらついても、日本銀行が常になにやら煮え切らない様子をしていたのも、日本銀行は国民経済実体における健全な通貨調節ということからどうしても目をそむけられなかったのであろう。アンベノミクスは結局日本銀行を押し切った。まあいずれにせよ現在の貨幣・金融体制は、よくもわるくも緊急非常のものさ。日本も、世界もだ。それで、ひるがえって、日本の少子化の理由を一考してみたい。
2025-10-15 15:06:00
この『人類史』開巻第一章は、いってみればトッド人類学へ初めての読者を誘うために工夫されたものなのだが、そのくせ、非常に特殊な内容を主題として説き起こされている。この『人類学入門』の全体が、日本国民の政治をトッド流社会人類学で読み解くというわけだが、そのとっぱじめが「日本から家族が消滅する日」という恐るべき題になっている。とり急いでこの第1章の「結構」を示すと、この第1章が日本の女性論として終始しているところが面白い。まず、日本という国民国家の特徴を社会人類学的な「家族の構造」から特徴づける。1.それは「直系家族」という型だ。(これはドイツと同じなのだ。)これを詳しい地域特性を付けて説く。2.日本が少子化を招いているという国民国家の政治的特徴の理由を説明する。3.日本人の女性の権利(女権)の特徴を「アジア東北部では一番強い」と喜ばせてくれるが(ただ、私は、疑うわけではないが、これ本当かな、と思うが)、一転して、「アジア東北部では最も原始的だ」と来る。/このようにめっぽう家族論として語っており、ほかの議論には一切しない。//実はここで近代西欧の成立、民主主義の成立を、トッド氏がどう読み解くのかという話はすっかり外しているのだが、(むろん本論中で詳論されている箇所がある)、ここを外してあるので、日本人には難しくなく、トッド理論のさわりがすんなり理解できるのである。仮に西欧近代を普遍とする信念に立てば、すんなり理解できるものではなかろう。近代西欧の民主主義の成立は従来マックス・ウエーバーの難解な説明があって、私もそれに従っていたが、トッド氏の理解はおなじく社会学でもウエーバーとはずいぶん違うのだ。これを論じているだけで、分厚い本一冊はまちがいなく必要だ。それを今は省いているのである。/ここで読者が、「同じことが英米仏ではどうなの」と来ると、この本は結構を変えて出直すしかない。さっき私が書いたように、180年前のイギリスの看護婦さんは、看護に献身しながら、なんとその政治的行動で女性を解放してしまっているよ。こういうのはどう読み解くのかね。それは「核家族」の含む原始的な自由という属性の表れなのだが。いまはこの程度でご勘弁を。
2025-10-15 07:34:00
世界統計の日というのは、国連が5年に一度の10月20日として定めたものである。いま抜群の解説記事として、10/14 毎日新聞掲載 「『白衣の天使』のイメージが強いナイチンゲールは..」をぜひご一読あれ。ナイチンゲールは人も知る、19世紀中葉のクリミア戦争のときに英国政府から野戦病院に派遣された看護婦さんだが、私はたまたま数日前に彼女の『看護覚え書--看護であること 看護でないこと--』現代社、2016年、第7版第7刷、を購入した。ちなみに現代社は膨大な看護図書を出版している。/この毎日新聞の解説記事が注目を求めているのは、彼女が病人が身を滅ぼしてゆくのは病気そのものである以上に、病人が置かれた環境からくる伝染病などであるとして、なぜ英国政府は広範に存在する陸軍省統計を生かして伝染病防御という政治行動をとらないのかと政治をなじっているところである。(統計尊重という話題に入ってきたゆえんだが)/さきに示した『看護覚え書』でも、たんに病人看護ではなくて、病気症状以外の病人をとりまく一般環境への配慮も「看護のうち」と、大量のページを使って説いている。/どうだろう、特に女性諸氏に申し上げたい。この看護婦さんは自分の職務を守るという心から、社会的政治的行動の必要におのずと迫られて、堂々の人間的行動を行った。自らの行動でおのずと「女性を解放してしまっているぞ」。こういう「範例」を見せられると、「男性」も勇気づけられて、おのずと「男性」を解放して人間になってしまおうとする。いま広く福祉の職に携わる方々に、そういう着眼でいまさらながら『看護覚ぇ書』を再読願えぬか。
2025-10-15 07:11:00
自民党総裁に高市氏が選出されたものの、さてこの人が首相となって政治を展開することに対して、まずはさしあたり首相に簡単に選出されうるものなのかからして「危機」となった(公明党が提携継続のための念押しとして「4条件」を提示したが、特にその中の「政治とカネの問題」にけじめをつける、という条件が、どうやら高市内閣では保証しがたい空気が否めないので、公明党は提携離脱を表明した。これが「高市政治」の第一歩であった)  野党3党が集まって統一行動の可能性を議論したが、「政策のすり合わせ」なぞということが簡単に行えるはずもない。自民党内には、いっそ当面石破続投として、政局を練り直す時間を稼ぐほうが利口だという声すら上がったというのだが。さてどこへゆく、政局。10/14 毎日新聞掲載 「『視界不良』の首相指名 高市氏選出の確証なし 石破氏続投論も」。ご一読あれ。私は、いい考えだと思うよ。石破さんの人物、今のどの「候補者」にも増して信頼できる能力の持ち主だとおもう。いま水面下に表れている「仮想通貨」と通貨の関係も、この政治家なら日本国に憂いのない処置をとるだろう。
2025-10-14 14:20:00
この世界的「家族の型」分類のありようは、「家族の型」を、「核家族」、「直系家族」「共同体家族」に三分類し、「親子関係」が「自由か、権威主義的か」、「兄弟関係」が「平等か、不平等か」、「婚姻範囲」が「外婚制か内婚制か」などに分けている。とくに女性の扱いが問題になる場合もある。そして「歴史的に最も新しいのは共同体家族で、最も原始的なのが核家族である」という説明が付してある。/それにしても、よく言われる「女性は原始、太陽であった」というセリフは、たいへんな誤解を伴う。そもそもこの場合「原始」とはどの時代を指すのかすら定かではなかった。最初の人類の「家族の型」で数千年続いたとおもわれるのが、「核家族」だが、トッド氏にいわせると当時は「なんでもありえた」、ただ、男女で牧畜対農耕のような、性にる役割分担はあったろうと。歴史的には「核家族」、「直系家族」、「共同体家族」という流れだったいう「もの静かな規定」に、おそるべき逆説の基本がある。従来私なども「核家族」というのは人類社会が何千年もの発達をした結果、今日生み出した家族類型ではないかと信じて疑わなかった。これじゃ「近代欧州」という思い込みがひっくり返るわけだ。「人類史最先進の米国」も、形無しになるわけだ。以降期待されたい。
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