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9/22 村上春樹『壁とその不確かな壁』新潮社、2023年、という大冊をやっと読み終わった。村上『アンダーグラウンド』で村上氏が示唆した、「東京都アンダーグラウンド」の謎と取り組むには、氏自身の示した「東京都アンダーグラウンド」の怪物「のどぐろ」の正体を追求する方向になるしかない。その間、非常に長い歳月が流れたが、この大著『街とその不確かな壁』には、作家の問題追及が見られはしないか。そう期待した。//それにしても寓意が難解で、どう読み解くものかわからぬ。三部構成になっているが、「まず第一部が成立して、その半年、手付かずだった」と著者はいっているが(660頁)、私はこの長い小説を少しずつ読み進みながら著者の寓意を追うのだが、なんともわかりずらい物語で、やっと第一部を終わったところで実に一息ついた。//
現実離れした幻のような「街」の「図書館」に、「ぼく」がぼくの「影」と切り離されて在り、そこで「古い夢の物語」をとにかくどんどん読むのが仕事である。しかしぼくは「ぼくの影」の切実な願いで、その街の街はずれの濁流の中に「ぼくの影」を押し込み、「ぼくの影」だけ「街の外」に逃がした。(ぼくは街の中に残ったつもりだった。)単純に筋をなぞっただけ。//
村上さんの文章は、読者の側の創作意欲を掻き立てる能力があるのではなかろうか。私は、いつの間にか初恋の日のぼくときみの物語を編み出していた。話の方はもともとリアルに存在し、村上さんが慎重につけながら設定を勧める「ステップ」にいやおうなくのって、勝手に進行してゆくのである。私はその町の男子高校の文芸部長、きみは同じ町の女子高校の文芸部長であった。出会ったとき、ぼくはきみのことをまったく知らず、お互いの家族のことも、学校の様子もまったく話題にすることなく、ただただお互いの素直な思いだけを話していた。こうして綴ってゆくと、劇的足らざるを得ない事情がぼくときみの双方にあったこと、それがやがて爆発して大きな事情になってゆくことが、すぐわかる。そもそもぼくときみはその時高校3年生で、ぼくは当時近くにある(1時間40分離れていたが)国立一期校大学Тに、進学準備中だった。そのТ大には、ぼくの高校から年間5人ぐらいしか合格者を出していなかった。それで文芸部長をしているというのが、いってみれば常識外である。ぼくは高校というものは、進学のためにだけあるのではない、高校生活そのものが何にも代えがたい重要なものだという信条を持っていた。(この破天荒の信条は同級生はじめ多くの人々に支持されていて、それがぼくときみのこの初恋が劇的になってゆく背景であった。)それに、ぼくがТ大学を志願するさいの自分の将来についての夢も、まことにたわいもなく、かつ尊いもので、私はひそかに、「将来ハマーショルド氏のような、世界の平和に尽くす人になりたい」としていたのである。(だから、表面の理由は、日本の外交官志願、であるから、Т大学の難関法学部第一志願であった。それが高3で文芸部長をしているというのも妙なものだが。青春というのは矛盾が多いものである。)なおハマーショルド氏は国連事務総長である。かれが米ソを叱咤して、世界中に平和を訴える姿は、当時無二の夢であった。//
閑話休題。
村上さんの第一部の結びは、ぼくがぼくの影を、街の外れにある濁流に押し込んで、壁の外に逃がした、ということになっている。このような第一部の結論から、私は、この「濁流」の彼方にある「街の外側」、すなわち「私たちが現に住む現世」を、村上さんは「アンダーグラウンド」に擬したのだと思った。さてこそは、「のどぐろ」は、現世に出現するもののようだ。//
ところが第二部・第三部を見ると、「現世」のストーリーは意外にも淡々と進む。「現世」に帰った「ぼくの影」は、ちゃんと一人前に生活していて、影本人も「本体・影の揃った普通の人間」と自覚している。(もっとも、第三部で起こる帰結を参照すると、やはり現世に戻っていたのは「影」だけだったのだ。やがて「街」から「ぼく本体」も現世に戻って「影」と合体するわけだね。私にはそうとしか読めないんだが。)そして「ぼくの影」(普通の人間と自他ともに理解されているが)は、縁あって福島県のある町の(この町というのは、私には会津坂下町を想像させる。私は大学時代のひと夏を、学友の誘いで、彼の郷里坂下町で過ごした。彼の父親は同町の小学校の校長だった。彼の高校時代の友人数名とひと夏一緒に行動した。)図書館の館長になった。少しく幻想的な図書館だが、普通の図書館である。じつはぼくの初恋に出てくるきみの父親は、その町の町立図書館の館長である。その人は実は私の小学校のときの校長だった。実はその小学校に勤務していた夫妻の教師は、きみの何人かいる姉の一人で、夫は婿であった。評判のいい、きりっとした美男子で、女子生徒のあこがれを集めていた。その姉と言う人は、私はよく覚えているが、小柄だが、きりっとした教師であった。いなかの生活は縦横無尽の人間関係のなかにあり、しかもその人間関係は何代にもわたっての思い出があるのだ。青年はこれほど人脈というものが土地に厳存することに最初はあまり気が付かず、こうして事変はどんどん膨らむのである。この町立図書館のたたずまいを福島県の某図書館に重ねても、それほど違いはなかろう。そう、父親の館長室も二階にあったな。)//
ぼくは福島県の図書館長をしている間に、ある特別な性質の少年と知り合い、その少年が、例の「街」の存在を感知して、その街に連れて行ってくれとぼくに頼む。ところがその少年は独特の手法でその街に入り込み、その館長である「ぼくの本体」と「合体」してしまう。(かれは自分の影ぐるみ入って来て、ぼくの本体と合体してしまう。)最後は、ぼくは(つまりぼくの本体は)この街を離れて「現世」に戻ってしまう。(そこでぼくの影と合体して、完全なぼくに戻るという結末を予想させるように話は結ばれている。)街の図書館に残った少年は、本人の希望通り、「夢をしるした」本を限りなく読み続ける、ということになろう。//
「現世」に戻ったぼくの姿は、どこにも書いてない。しかし、驚くことはない。村上さんの小説は、読み進んでゆくと、まるで読者も共に「書いている」かのような必然の成り行きになる。だから私なら、福島県の会津坂下町のような落ち着いた街の図書館長の姿を思いうかべるのだ。//大立ち回りして、こんな静かな結末⁇ 静かな結末が、決して単純につまらない結末と言うことはありませんよ。//
今日の新聞は、現実と非現実がこまかく組み合わされて共存しているという不思議な課題がゾロっと並ぶ。村上さんの本同様に難解だ。/トランプ・アメリカが、国際刑事裁判所機構をすっかり粉砕しようと取り組むんだって?/墓じまいしたい人と、墓地・寺院のありようと、行政の対応と?/北海道・十勝・幕別町で、ナウマン象の化石発掘イベント、宿泊特別プラン設計中。/高市氏は習氏より一日早くトランプ氏に会うために渡米を急ぐ。/たったひとつ、よくわかることがある。今回神奈川県や千葉県や、埼玉県もですよ、に現れた雨禍は、今回のみ臨時というのではなく、今後定期的に出現するという想定で緊急に対策を図るべきだ。
テレビが告げる天気予報では、20日の18時から21日の18時にかけて、東京・千葉・神奈川は雨量200ミリという大雨であると・線状雨水帯がごく局地にできて未曽有の雨禍を及ぼす危険を考えれば、容易ならぬことだ(しかも翌22日18時にかけては400ミリを予想と、まあなんのおそれげもなくそう予知している)。その上台風がその直後ぐらいに関東に最接近するというのだから(そのあと北海道の東方へ去ってゆく)、これまた予断を許さない。「幸い」というか、過去1か月、日本列島各地を襲った雨禍(千葉県もそのなかに入る)の記憶と対策が進んで、つい昨日だったか、国土交通省がこの雨禍について国土強靭化のための検討会議を開催している。万が一にも首都に悲惨が現れぬよう政府も東京都もただちに対応できる策は成っていると思いますよ。首都圏の人心さえ平穏で、健全ならね。/ところで札幌は雨のち晴れ。朝方曇り空で、10時くらいから晴れというが(くもりぐらいにかんがえておけばよい、気温は最高で23度、北からの弱い風)。首都圏以外の日本列島は平穏な天候のようです。//
今日の北海道新聞に、道議会の様子が掲載された。札幌・北海道が大阪とともに副都足らんとする協議をしていることについて、「副首都札幌・北海道」という大阪との宣言は、いったいどういうことなのか、明瞭に説明してほしいという道議員たちの質問に、鈴木北海道知事の答弁は、どう聞いても不明瞭で納得を欠く。あいかわらず「経済成長への抱負」を言うのだが、その経済成長とかの内容・意義が道議員たちをいっこうに納得させてはいない。そもそも質問する数名の道議員が、副都というものへの是非について、賛同の場合はそれがどういう政策を主眼とするものたるべきかについて、自分自身の意見や思考があるのかしら。ただひとり、大阪維新の会に属する道議員(ひとりしかいないが)だけが、札幌・北海道と大阪がともに副都として首都東京を補佐する主要な政策は、日本列島の国土強靭化であると、自分の意見として述べた。(それなら、知事はその「国土強靭化」を具体的にどう考えるか、どうしてその線で大阪と協議して副都たらんとしたか、議論をすすめりゃいいじゃないの。道議会全議員にこの議論を問えばいいじゃないの。)私は北海道のJR廃線8区案を、改めて、8区間を再建するという先ごろの決定は、そういう国土強靭化のための列島協力の具体的な話かとおもっていたが、そうじゃなかったのか。/
大阪は「西国」を代表し、端的には近畿の差配をする、札幌・北海道は江戸(東京)失陥後「東国」を代表し、端的には北海道を差配する。歴史的に表現すればそうなるのではないか。しかし「西国」にはほかに差配する都市があるかどうか、「東国」の場合はどうか。それはその都市の「主体性」にかかわるので、他が勝手に指名はできないでしょう。自薦がでてきたらさっそく話し合えばよろしい。現に名古屋は、政府に対して大阪、札幌・北海道と同様の「副都候補者」行動をしている。いずれ政府は政令を出すだろう。鈴木知事は「いずれ出る政令を待ってる」と言うんだが、なんかいつもおかみの法律をまたなければ発言できないとは、まるで中央政府の一属吏だな。それにしても、ネットに、この件についての道民の意見とかコメントとかみたことがないが、それでは不甲斐ないよ。
今朝のNHKニュースで、「内水氾濫」という新たな国土危機に、国交省が有識者を集めた対策会議の初会合を行った、という話。「対策」を年内にまとめるそうだ。名古屋や千葉県やに実際に発生した災害について、地元自治体首長から「ぜひ首相に状況を届けてほしい」という強い要望を、「首相に取り次ぐ」と声明している。//結構な決断だが、なんか、1か月話が遅れているんじゃないの。
北海道の「廃線予定8路線」の回復協議は、国交省が乗り出す構えをして前進の気構えである。それはたいへん結構だが、JR北海道も、北海道知事も、地元自治体も、それぞれがたいへんに引っ込み気味で、いかにも頼りない。国土計画という国策に、強い期待をもつしか、現実に前進の方途が立ちにくいと思えるが。北海道新聞も暗に解決の方途をそういう具合に見ているようだが。北海道は住民の「経済」が極端に弱体なのである。東京都全区と札幌のGDPを比べるという、妙なことをしたところがあるが、ラビダス、ラビダスと口にして、世界的投資を盛んにする都市として札幌市を位置づけるなどど首長が演説しても、肝心の札幌市民の高度デジタル経済への金融経済的投資能力そのものが問題にならないほど低いから、結局これは他力本願の投資活発化を期待しているだけという話になる。こういう政治や政策は、実際には「地元経済」の話にはならないのである。住民自身よくそれを察知している。なにしろエヤドウーという北海道地元フライトの危機の時ですら、「札幌財界」は無力だったものね。財界なんて、よそからやってくるものでしかない。
「自分らしく生きる社会」企画で、村上さん、五木さん、司馬さんの作品を、参考に取り上げているのだが、村上春樹さんについて、その比較的に新しい著書、『街とその不確かな壁』新潮社、2023年、である、これを入手して読み始めている。30年ほど以前に、オウム事件に際会して、『アンダーグラウンド』という本をお出しになった。この「得体のしれない問題」に対する村上さんの作家としての創作活動は、村上さん自身が、「東京都アンダーグラウンド」の怪物「やみくろ」に対して、オウム物語と同質の物語に自分が取り組んだ作品として『世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』を引き合いに出した。さて、この『街とその不確かな壁』は(著者はすでに70歳代に入った)30年前の物語にいまどういう思考を用意しているのか、私は知りたいと強く思っている。ところがある種の手ごたえを感じながら本書を読んでいる最中であるが、私はこの作中に示される「ぼくときみ」を初恋の日の実際の「ぼくときみ」に置き換えてみ始めていた。そうすると変な話だが、著者の設定の仕方がまことに絶妙なので、私は**10年昔の高校生時代の「ぼくときみ」を実際に追い始めた。そのようすは、私の人生の展開にはまことに得難い知識や判断を再現しつつあるが、どうやらその物語は、村上さんの物語とはだいぶ方向が違うのである。そういうわけで、この方向からの「のどぐろ」物語はいま手掛けられない。//世間では、20世紀以来21世紀にまたがって長く尾を引く日本の新興宗教問題の、いま煮え切らない帰結のひとつ、「裏金問題」の「裏金政治家」が十人、今度の内閣改造に際して起用されているという話だが、問題はぜんぜん終わっていないのである。せめて裏金問題という問題の小さな一触覚を、日本の社会が覚えているだけでも、いま奇貨とすべきなのかもしれない。
日本の高市政権は内閣を改造して純化して、トランプ・アメリカべったりの体制で今後の死地にまっしぐらに進むだろうし、北米のカナダの首相は、トランプ・アメリカに仕掛けられた貿易・関税戦争について妥協してトランプに屈服することを拒み、EUへの準加盟という政策の模索と言うびっくり仰天の声明を発して、今後の死地にまっしぐらに進む。たとえEU側からそのような具体的はたらきかけがあったからにしても、これは随分思い切った政策だ。国際政治の様相が大激変するだろうから。//世界の政治全体から見て、まったく正反対のありようでの、ともに死地にすすむ姿ではなかろうか。どちらがどれほど死地なのかはこれからいやおうなくわかってくるだろう。期待などしないで、しかたなく、まつしかないようだ。それにしてもこれが同じ日の新聞記事だ。//
日本、カナダ、が今後早々に死地に入ってしまえば、トランプ・アメリカの破滅的死地入りは、多少先に延ばせるのかしらね。そう考える場合には、これは合理的政治情勢なんだろうが。
9/16 22:38 テレ朝日系配信 「台風25号が発生 発達しながら北上 シルバーウイークに本州接近の可能性」コメ262通。
9/17 0:20 千葉日報配信 「関東・東北・中部で地震M4.8 東京・神奈川・埼玉・千葉・静岡などで揺れ 震源は茨木県」コメ81通。
「自分らしく生きる社会」司馬論(2) この本『アメリカ素描』の内容に詳しく立ち入るわけではなく、結局この司馬さんの「文化からみた文明」論という、過去の歴史的行き掛かりにはほとんどこだわらず、もっぱら現実を、目に見える通りに捉えるというわかりやすい議論である。ここに書かれる司馬さんの観察が、たしかに現実に世界中の多くの人々が求めていた「より豊かに生きやすい社会」(つまりは現実のアメリカ合衆国のことだが)の構造的スケッチであることは間違いない。
この『アメリカ素描』の構想とあらましをまず書いておこう。
この本は、司馬遼太郎という作家のアメリカ論です。
司馬氏は整った主題を立て、多勢の案内人を現地に前以って手配し、本書にみられるような40日間ほどのアメリカ見聞を行い、その見聞のおおよその経過とこの見聞に基づく氏自身のアメリカ論を本書にまとめた。本書の内容は1985年の間に読売新聞に第1部および第2部と分けて連載された。
現代日本を知るために、氏は、欧米と言う白地図を「参照用」に持たねばならない。その白地図とは「手作りの、しかも観念的なもの」(14頁)である。(それは実在の地図とは違う。)アメリカの白地図は、アメリカ映画や小説などですでにできているが、実際に渡米して40日間ほどの実地見聞を行うことを通じて、氏は自身のアメリカ観を一層確かにしようと志した。
アメリカという国は、文化がなくて、文明だけがある「人工国家」のようだが、世界中の文化諸国家に住む人々が、そのほうが生活しやすいのならそこへ行って自分も住んでみようという気を起こさせる、「救いのような存在」であるのかもしれない。
以上は本書冒頭「私にとっての"白地図"」の要約みたいなものだ。本書が書かれたのは今から40年ほども以前のことだと、ご承知ください。私も当時(1980年代)アメリカに1年余滞在した。しかしいちいち司馬さんを検証することなどしませんよ。司馬さんの「アメリカと言う白地図」を読ませてもらいます。
9/17 7:02 MBC南日本放送配信。「桜島で噴火 噴煙1200m 灰は鹿児島市街方面へ」。/レベル3の入山規制中。