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2025-11-05 13:44:00
11/4 北海道新聞 1頁 「国際スクール計画 誤情報が拡散」。札幌市南区の常盤小学校廃校跡に、「グローバル・インディアン・エデュケーション」という東京の組織が、英語で授業し、初年度に未就学児から高校生までの50人程度の生徒を、国籍は問わず受け入れる考えだという。(なお道新18頁の記事では、別の経営体によるインターナショナルスクールが東区にすでに存在していて、これはサッポロ・インターナショナル・スクールと言って、エジプトやバングラデッシュ国籍を中心に3歳ないし14歳の生徒を50人受け入れているそうだ。こちらは地域でトラブルなく暮らせるよう日本語を必修科目とし、生活ルールも教える、住民参加イベントなども開いているそうだ。なおニセコ町にインターナショナルスクールが2校ある由。)
//「札幌市は一連の混乱を受け、市の公式サイトに10月29日に事業者選定の経緯や計画の内容をまとめた専用ページを開設。インターナショナルスクールの誘致を積極的に進めてきた経緯を伝えている」とあったので、私は早速札幌市のホームページを開き、あちこちみたが、関連していそうなことはさっぱりみあたらない。そこで札幌市の索引欄にあえて「インターナショナルスクール」と入力して検索したら、そのなかに【PDF】07 it gif (minijou108)cnn pdf pd5 」というファイル集が出てきた。その内容は、札幌市共生社会条例の停止ないしは廃止を請願する請願者の書類の写しで、たしか百数十通ある。請願者の居住地と氏名を明示している。//どうもこの南区のインターナショナルスクール開校案は、札幌市としては何の問題もなく札幌市共生社会条例推進の目玉の一つぐらいに考えていたのであろう。ただ開校説明会が混乱して流れたので目下休止しているだけだろう。この南区インタースクール開校の件に対する争論というのは、どうも元来が札幌市共生社会条例の趣旨に疑問をもつので「その運動の現在の一部」とみなされたもので、これはもう単に地区運動という次元のものではない。名は地区や地方やだが、これは例のトランプ米国大統領が巻き起こした「リベラリズム批判」の動きに、日本が日本的に反応した動きである。//それにしてもこのネット上に、住所、氏名まで明示して、自分の立ち位置に具体化した意見として現に目の前に提示されている、これらの文章をお読みになったらどうか。単純に賛成とか反対とかでなく、少しは自分の頭でかんがえてみよう。//それにしても札幌市はもっと見やすい情報提示を願いたい。
2025-11-05 07:01:00
最近、小室直樹『数学嫌いな人のための数学』東洋経済新報社、2001年を手にする機会があって、そこに示されている「論理のありよう」に、ショックをうけている。小室氏は「形式論理学」の骨組みを解説していて、私はこの「何気ない」解説の展開に目下圧倒されている。なにが「何気ない」どころか、恐るべき高度に知的な解説であろう。私の微才でもそれがわかる。そもそも私が若年のみぎり習った「論理学」では、「論理の組み立て」を、「1.宗教的論理、2.言語的論理、3.記号的論理」と説いていた。当時私は「この3つの論理」を別々の類型のように理解していた・たんに歴史的に1から2、2から3と発展したというように。教科書の著者や正確な題名は忘れた。しかし教科書それ自体にはこの3形式が「論理的に発展してそうなっている」ようには書いてなかった。ところが小室氏はこの著書で、それを「発展したように」解説している。ただ、正確のために断っておくが、小室氏の解説は、大変に歴史具体的に、イスラエル一神教の論理からギリシャ哲学におけるアリストテレスで大成される形式論理学、そして近代欧州の政治的には民主主義、社会的には資本主義の、いわば原始的リベラリズムの思考の発展に伴っていた科学的思考が、数学のような巨大な記号的思考の発展となって、これが非形式論理を展開するという思考上のパラダイムシフトとなった、と仰天の解説を行っている。この解説でいいとか悪いとかいう(当然に論理的にいわねば言ったことにならぬが)以前に、まずこの解説を正当に理解する「だけで一苦労している」。
//ただいま、11/5 Wedge配信 「世界を覆うリベラリズムの危機 日本がまもるべき価値観...『日本人フアースト』はなぜ誤りなのか?」と、それにつけられた77通のコメントをみていると、この争論ではいったい論理というものはどうはたらいているのか、大いに迷う。コメント側の諸氏にこの「問」をつきつけるのはいかにも酷だ。Wedgeさんのほうに問うほうが妥当だろう。いささかなりと言論に携わるお人が筆者ならなおさらのことだ。//
上記の文でお分かりのとおり、この小室さんの本は25年前の本だが、図書館ならあるでしょう。小室さんという人はたんに保守反動で片づく人ではないようですよ。逆に「リベラリズムの極致」ではなかろうか。//
上記の私の文で、「言語的論理」(論理学の教科書)を「形式論理学」(小室さんの本)と言い換えてしまっている。それに小室さんの本では、ユークリッド幾何学がギリシャの形式論理学の粋であるので、形式論理学から数学に代表される記号的論理への「普遍的思考」のシフトを「非ユークリッド幾何学の出現」という契機で説明しているが、これはむろん、ユークリッド幾何学が無効として消滅したという意味ではなく、それが限定的な性質のものとして確認されたということである。(数学は、幾何学という形では古代あるいはそれ以前、からあったが、近代は「平面」という空間意識を極限にまで拡大したから、もう代数とか関数とかいう概念で表すほうが合理的になつてきた)。 当然に形式論理学も言語的論理の世界では生き残る(ただ、哲学的に、多くの新参者たちに挑戦される)ことになる。//
それにしてもギリシャのソクラテスの強調したような「定義」を重視するありよう(形式論理学的には、これは「同一律」)まで消えるわけではなかろう。//
つまるところ、Wedgeさんに問うところは、あなたのキーワードの定義と、理論展開中のその定義の維持だけは、はっきりしてくださいよ、と「リベラリズム的」(ソクラテス的)注文を付けている、だけである。さもなきゃ論争しようもないじゃないか。
2025-11-04 07:07:00
11/3 北海道新聞社説 「国連創設80年 多国間主義再興の時だ」。/国連の理念が米国等連合国が定めた国連憲章により「武力行使の原則禁止や人民の同権・自決権の尊重、法の支配と対話による国際秩序の維持にある」と改めて今日の文化の日にふさわしい「国際政治という人類の文化」を寿いだ。しかし上記の文章は実際には「対話による国際秩序の維持を定めたはずだ」、で結ばれている。残念ながらこの文化の日という祝日は、国連憲章という人類のレガシー(伝統)を寿ぐのではなくて、レガシーが破られていることを「熟慮検討して、吟味して反省する」「国民的な日」となった。いずれ政府から、反省の演説があってしかるべしだろう。/「1956年に国連に加盟した日本は、平和憲法に基づき、国連を通じて世界平和と繁栄に貢献する国連中心主義を掲げ、現在の国連分担金は米中に次ぐ第3位である。」確かに戦後80年間の国連の活動は、国連の重要な機能である常任理事会が往々常任理事国の拒否権で機能しなくなるという問題で十分に効果を発揮しないという欠点を抱えていて、安全保障体制の改革が懸案である。/それにしても最近のトランプ米国政府が多国間協議の枠組みを尊重せず、国連分担金も出し渋るなど、元来が米国の主導でできた国連体制を軽視しているのは遺憾である。/高市首相は国際仲介で国際対話を促がし、国際協調の発展に貢献するような役割をめざすべきだと、社説が結ばれている。/今日11月4日から国会が開かれる。国会の場ででも、改めてご討論を伺いたいものだ。
2025-11-03 08:34:00
直系家族の国民性として、律義さという特性が指摘されている。他民族からみれば「妙に」律儀な、ということになろう。この律義さという点で、日本人はドイツ人に似ている。ドイツも直系家族型である。この家族型で、ドイツはイギリス、フランスの「核家族型」と、よく対比されるのである。/
「権威に弱い」とか、「国の命令に忠実である」とか、「仕事に完璧を期する」とか、「時間に正確である」とか、「義理堅い」とか、「集団的に整然と行動する」とか、ドイツ人と日本人は国民性がよく似ている。つまりは保守的だ。建設的でモノ作りに向いた国民性だが、以上が「よい側面」だとすると、その逆に、注意すべき側面がある。それは創造的前進が苦手だという性質である。硬直して現状墨守にとどまりやすいという性癖である。/むろん以上に言うのは、国民性としての大まかな傾向であって、ドイツ人と日本人のやることを何でも事細かに決定論的にいうのではない。
2025-11-02 08:12:00
日米首脳会談も日中、日韓首脳会談も、アジアでの国際会議も、無事に終了し、トランプ氏は「アジアでのディール」はたいてい相手方が設えてくれたお膳立て通りに無事におわり、特に機嫌を損じもしないで予定より一日早く、ハロウィーン参加という家族行事のために帰国した。そして帰国後目立った政治的行動と言えば、米国がこれまで30数年間やっていなかった核実験を再開するという声明であったという。気になるということは一つだけあった。韓国が原子力駆動潜水艦を採用するので、その核燃料を米国が供給するようトランプ氏に話したという公の発表である。それに対して日本も中国も公の発表としてはべつにそう強烈な反応は示さない。それにしても高市首相はトランプ氏と「はしゃいで」会っているどの瞬間にか、米艦に向かうヘリコプターの中ででも軽口的に「私は原子力潜水艦と長距離ミサイルをもつつもりですからよろしく」と口走っているのではないかという懸念をする人がネット上にはいる。なに、自民・維新間の提携協議書には「日本が原子力潜水艦と長距離ミサイルを保有する」旨がちゃんと盛られているというので、「火のないところに煙は立たぬ」。昨日小泉新防衛相が新聞に至急警告したことは、ただいま鹿児島沖に長距離ミサイルを搭載していると思しき中国駆逐艦が遊弋しているという。中国はこういう意思表示をしているのであろう。ここに生じる疑いは、日韓中とも、それぞれの国民に対して公には、今回のトランプ接近を機として、日中韓の間に格段にレベルアップした相互戦闘ムードが高まったということを、いっさいほのめかさないが、しかし内実は緊張の高まりをまともに高めているというのではないか。こういう国際体制を秘密外交時代とでもいうのか。要するに公の国民的議論は一切なしに、諸国が実際に国際的に好戦的体制を強めているという危険なありようである。以上が「平和ボケ」という「幻」に終わってくれればよいと切に望む。