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2026-01-03 08:42:00

1/3 朝日新聞の天声人語は、正月の不破哲三氏の死去追悼の意味もあって、不破氏と中国共産党の20世紀の交流関係を回顧し、20世紀末に「資本主義体制が地球環境を破壊しつつある暴挙を阻止する必要がある」という「21世紀にも通じる共産主義の大義が展望できた」という具合に、不破氏回顧に託して述べた。/なおこの「資本主義体制が人類の生存のための不可欠の地球環境を破壊しつつある」という、言ってみれば学理は、近年、斎藤幸平氏の一連の著書で非常な迫力を以って論じられている。「人新世の「資本論」集英社新書、2021年第15刷、というのを買ったが、評判がいいようだ。/天声人語は共産党の「民主集中制」という「党内討論の原則」が、党内の言論独裁という弊害を反省して、もうやめたらよかろうと忠告している。/それにしても共産党の成立やその運営は、マルクス主義そのものの全体的意味から出ているのだろうから、政治技術的にだけ共産党のありようを議論しても始まるまい。//私は、マルクス主義の出発点について、時代は再考慮・再検討を迫っていると思うので、新年に臨みこの一点だけ指摘しておきたい。/知っての通りマルクスその人がマルクス経済学を考えた出発点で、こう言っていなかったかな。「国民経済学が当然の前提としている『独立の諸個人』というものは、手放しに前提できるはずのものではない。それを支える歴史的・社会的条件が必ずあるはずだ」。今日われわれが「アングロ・サクソンの絶対的個人主義・絶対的自由主義」を再検討しようとしていることと、論理的には同様の問題提起を、マルクスは19世紀中葉に行っていた。/ただ、マルクスは、その答えを、このように示した。生産手段の私的所有により、支配者・剰余労働の搾取者と被支配者・剰余労働の被搾取者という階級対立が、人類社会に生じた。(つまり生産手段の独占的私的所有者というものが、「絶対的な個人主義・絶対的な自由主義」者の言ってみれば「理想型」である。)それにしてもこの人類史的構図は、近代資本主義時代についてはかなりわかりやすいので、マルクスの主著『資本論』で主要な論点は遺憾なく語られている。/ところが「近代以前」となると、近代を語るときの歯切れの良さは後退して、「それぞれの歴史的時代に対応するような『共同体規制』に規制された「階級関係」である」ということになる。近代以前はすべて共同体の時代だが、この共同体規制論はもっと具体化されていてよいはずだ。それにしてもそれを『資本論』同然の論法ではとうてい果たせない。せめて近代に接近しているヨーロッパ「中世・封建制時代」に限定してでもよいから、「その時代の経済学」はどういう姿か示してみたらどうだろうと、誰でも考えつきそうに思うでしょ。でも私は、それを実際にやろうとした経済史家は、お二人しか知らない。東北大学の𠮷岡昭彦先生と立教大学の松尾太郎先生だ。(もっともお二人の言うことは最初から食い違う。吉岡先生は「端緒範疇は小農民経営だ」という。松尾先生は「土地だ」という。事は、封建制から資本制への移行期論争にかかわる。)

/マックス・ウエーバーなどは、社会学的発想として、さまざまな切り口を示しているが、今回これは外そう。/人類史全体で考えれば、「共同体」というものの把握は非常に重要であろう。マルクスその人にしても、共同体の把握については死ぬまで悩んでいた。「生産手段の私的所有」なぞと言われて、それですっかりわかった気になっていたが、それで済むものだろうか。/確かにマルクス主義にも、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』という著書がある。エンゲルスの共同体論は、この議論の解決になるだろうか。//私は共産党やその民主集中制とか以上に、こう述べてきたような疑問にはるかに惹かれている。単純率直、この答えを日本共産党

のどなたか理論的権威者が明瞭にしてくだされば、民主集中してご説に従いますよ。//そもそも人類史は階級闘争の歴史である、と人類史を総括したのが、マルクスの唯物史観=史的唯物論であって、そういう主義に基ずぃて、近代議会制の政治の下で資本主義の階級支配国家を根本的に改める政府を作るための「近代的政党」として名乗りを上げたのが共産党ではありませんか。もし人類史の総括について大きな改善がなされるなら、出発点としてのマルクス主義世界観にそれでよかったかどうかぐらいの再検討とそこから出発していた共産党の理念にもそれなりの再考慮ぐらいは必要でしょうよ。

2025-12-29 15:09:00

1980年代。私は米国で、大学初年からパラグラフ・ライティングという授業があることを体験し、英文ソフト「ワードスター」という優れたソフトを使用していた。さて日本に帰ってみると、英文をパラグラフ単位で読み書きするという知識は(商業英語で英文ビジネスレターを書くという訓練をしている人々以外は)誰も知らない。ワードスターを使うという講習会をしたら、参加したのが在日米国人ばかりだった。(日本人にはピンとこなかったのである。)ある組織で英文ビジネスレターの講習会をパソコン室で行うことになって、組織にワードスターの購入を求めたら、その組織のコンピュータ委員会の委員長の統計学者は、「ターボパスカル」というソフトがすでに入れてあるからそれで間に合うだろうという。「ターボパスカルでは1行ずつコンピュータのプログラムを記入してゆくのには間に合うが、段落単位で書くという英文のライティングには使えませんよ」といくら説明してもわかってくれない。コンピュータのプログラムを記入することと、文章執筆では根本的にちがうのだということがこの「専門家」にはわからない。1行ずつプログラムを記入する用具はいうなれば「ライン・ライティング」である。/実は当時の日本では、1980年代に日本の国語学者が、日本文には「段落で論理的に書く」という文化か存在しなかったことを知って、日本文を段落で書くという運動を始めた学者が北大にいた。その人物に「まず英文のパラグラフ・ライティングのありようを説明し、それと比較・対照しつつ日本文を段落で書く説明をしたらいいではありませんか」と説いたが、それでは「英文も書くということを前提にしてしか説けない」と言って同意してくれなかった。/つまりはこの時の「ワードスターの立場」になれば、いいわけだ。wordはそうなっている。つまり同じソフトの上で英文も書けるのである。50年も経つと、ソフトも進化するわけだ。/別に進化というほどのことでもないか。要するに米国出来のプログラムをそのまま日本文も書けるように補足改造しただけのことだ。まあものは見様だ。/それにしても札幌のコンピュータ発達史上の悔いは、ハドソンソフトなど、当時札幌はプログラミング先進地帯のように自負していたかもしれないが、日本語ワープロソフト開発の歴史はサッポロにはなかったな。文化観に欠けたところがあったと、今なら反省しても罰はあたるまい。/当時は女子高等教育の定番として、英文タイプライターという科目があって、短大の女子卒業生が多く本州の大企業の札幌事務所に雇用されていたものだった。この訓練が女子高等教育から消滅しつつあるのに対して、短大レベルでパソコンによる英文ビジネスレター・ライティングの訓練をもってこようとしたのである。いずれは過渡的期間後、ビジネス担当者その人がワードスターのようなソフトを使って英文を書くだけのことになってゆくが。木曽のコレポン(コルレスポンデンスの略語)の愛称で知られるビジネス英文教育が小樽商大の木曽栄作先生の名で知られていたが、小樽の昭和女子短大はこのタイプライターからパソコンへという期間を体験された。同様の体験を北星学園大学と札幌学院大学が行った。/余事になるが、この商業英語は、商工会議所が毎年資格検定試験をおこなつており、この科目の教師は「商業英語担当者」として商業高校に勤務していた。この商業英語教師こそが、日本では「隠れた」英作文指導者であった。庶民の中の優れた英文の書き手はこの商業英語教師であった。普通大学の英文科は優れた英文学の権威は生み出したが、「英文の書き手」をさっぱり養成できなかった。単純な話、商業英文も英文であり、パラグラフで書くのである(もつとも、一枚のレターにほんの数パラグラフ程度だけどね)。

2025-12-29 09:34:00

パラグラフ・ライティング(段落をひとつの単位として文章を書く態度)と、段落を論理的に厳密な単位として文章を書くのではなく、いいかげんに数行書いて、気分で、段落を変える態度(これをかりにライン・ライティングと呼んでおこう。実に日本人はこういう具合に「ほとんど行単位」で文を書く気風がある。)をいう。/あるいは日本人である人々の多くが、こういう具合に言われると、そんな馬鹿なことがあるか。我々をコケにするのかと思うかもしれない。/欧文が段落単位で論理的に書かれているのに、日本文がそうではないことを真っ先に痛感したのは、日本人国語学者である。私の思い出では、1980年代に北大文学部だったかの何某という国語学者が、「日本文を論理的に筋の通った段落を単位にして書く」という運動をお始めになった。私はその方にお会いした時に、「あなた、まず英文パラグラフ・ライティングの特徴を明示なさり、それとの比較・対照という形式をとりながらあなたの説くところを展開なさったらどうですか」とお勧めしたが、応じられなかった。「それじゃ、英文が書ける人にしか、私の教示ができないじゃないですか」とのたまう。(そりゃそうかもしれないね。当時日本の英語教育さえ、まだ一般にはパラグラフ教育はしていなかった。当時パラグラフで英文を書くという英語学習教科書を書いておられたのは、北星学園大学英文科のリチャード先生だけであった。)「段落」で書くということが、英語教師にさえ日本ではまだ「なじまれていなかった」。そもそも日本人が英文を書くということ自体が、そう話題になることではなく、内村鑑三先生や新渡戸稲造先生のように昔の北大生は書けたけどなというぐらいにしかならない(旧札幌農学校時代)。/コンピュータ上の話題に変えましょう。

2025-12-29 09:00:00

長い文章執筆の必要がある場合には、最初のころはワープロソフト、やがてパソコンの上の日本語ソフトを使うような習慣が、50年ぐらい前・つまり1980年代・からできてしまった。手書きの何十枚もの原稿用紙というのは、wordのプリントアウトに変わっていったし、原稿を募集する側も今日では日本語ワープロ文章のプリントアウトで募集する文章の長さを指定している。/そこでwordによる日本文入力が、今では当然であるが、コンピュータの設定が変更される都度、wordのほうも何やらとバージョンを変更してくるので、「適応」するのが結構大変である。/いま私の前にあるwordは、最初非常なミステリーであった。まず「白紙」を呼んで、文を書こうとすると、最初の1行をたとえば20文字書いてリターンすると、つぎの行の先頭がいやに空白を置いている。2行目にたとえばまた20文字書いてリターンすると、やはり空白を置いて3行目の先頭にゆく。/この「行間」をもっと狭くできないか。「空白」をおかないようにできないか。wordの「手引き」という文章があるのでそれと首っ引きで「研究」したが、さっぱりわけがわからない。/長らく「悪戦苦闘」して、ふっと気が付いた。このwordは、徹頭徹尾、文章をパラグラフ(段落)で書くように設計されているのではなかろうか。(だからライン・行・で書くようには、設計されていない。)そう直観してマニュアルを見直すと、確かにそうなっている。それはこうすれば容易に確かめられる。いったんさきほど書いた私の文を記憶し、改めてその文を呼び出す。そしてその文を「文書を編集」することにして、その下に出ているオプションの指示を見ると、「列幅を変える」または「テキストの間隔を変える」というのがある。この指示を使えばよろしい。/とんだボケナスの笑い話だが、実は「こういう画期的大発見」が私にできたのは、私の側にパラグラフ・ライティングとライン・ライティングという「概念」の思い出があったからである。話は50年前、1980年代にさかのぼる。

2025-12-29 08:33:00

12/27 朝日新聞 1頁 天声人語欄に、執筆者は「最近手書きの手帳を使わなくなった。今年は使ってみたい」と「走り書き」している。/「書く」と言えば、ボールペンと大学ノートを使うが、大学ノートというものを、やや「長い」用途に愛用する習慣は、日本では大正の末・昭和のはじめころ、かららしい。それは万年筆を愛用するということとセットになっていたという。(オフィシャルな筆記は、黒か青のインクて、ペンを使って書いていた。小筆を使って、墨で書く、というオフィシャルな文化が、ベンとインクに移行していったのである。)ボールペンの黒か青を使うというように筆記方法が移行するのは、1960年代だろう。当初の頃のボールペンは、ボールペンをまっすぐに立てて書かなくてはならぬのが、ぎこちなくはあったが、この点はある程度改良されていった。さて、今だが、今の札幌市には、従来普段の使いやすいボールペンをまともに売っている店が大変に稀になってきた。私は白石区の新しくできたイオン店で買っている。ここの文房具はそろいが良い。そして、従来あれほどポピュラーだった大学ノートは、(ボールペンほどではないが)たいへんに店での選択が難しくなった。/私は、手帳ではなく、B5判のノートを月に1冊、日誌もかねて汎用に使っているが、年1回の日記帳というのはやめてしまった。/どうやら現在の時点が、大学ノートとボールペンという「文化」が消滅しつつあるときなのかもしれない。(別の理由からも、そういう「画期」を感じる。文章を書くというさいのツールの「変化」である。続きを書こう。)

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