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2025-11-04 07:07:00
11/3 北海道新聞社説 「国連創設80年 多国間主義再興の時だ」。/国連の理念が米国等連合国が定めた国連憲章により「武力行使の原則禁止や人民の同権・自決権の尊重、法の支配と対話による国際秩序の維持にある」と改めて今日の文化の日にふさわしい「国際政治という人類の文化」を寿いだ。しかし上記の文章は実際には「対話による国際秩序の維持を定めたはずだ」、で結ばれている。残念ながらこの文化の日という祝日は、国連憲章という人類のレガシー(伝統)を寿ぐのではなくて、レガシーが破られていることを「熟慮検討して、吟味して反省する」「国民的な日」となった。いずれ政府から、反省の演説があってしかるべしだろう。/「1956年に国連に加盟した日本は、平和憲法に基づき、国連を通じて世界平和と繁栄に貢献する国連中心主義を掲げ、現在の国連分担金は米中に次ぐ第3位である。」確かに戦後80年間の国連の活動は、国連の重要な機能である常任理事会が往々常任理事国の拒否権で機能しなくなるという問題で十分に効果を発揮しないという欠点を抱えていて、安全保障体制の改革が懸案である。/それにしても最近のトランプ米国政府が多国間協議の枠組みを尊重せず、国連分担金も出し渋るなど、元来が米国の主導でできた国連体制を軽視しているのは遺憾である。/高市首相は国際仲介で国際対話を促がし、国際協調の発展に貢献するような役割をめざすべきだと、社説が結ばれている。/今日11月4日から国会が開かれる。国会の場ででも、改めてご討論を伺いたいものだ。
2025-11-03 08:34:00
直系家族の国民性として、律義さという特性が指摘されている。他民族からみれば「妙に」律儀な、ということになろう。この律義さという点で、日本人はドイツ人に似ている。ドイツも直系家族型である。この家族型で、ドイツはイギリス、フランスの「核家族型」と、よく対比されるのである。/ 「権威に弱い」とか、「国の命令に忠実である」とか、「仕事に完璧を期する」とか、「時間に正確である」とか、「義理堅い」とか、「集団的に整然と行動する」とか、ドイツ人と日本人は国民性がよく似ている。つまりは保守的だ。建設的でモノ作りに向いた国民性だが、以上が「よい側面」だとすると、その逆に、注意すべき側面がある。それは創造的前進が苦手だという性質である。硬直して現状墨守にとどまりやすいという性癖である。/むろん以上に言うのは、国民性としての大まかな傾向であって、ドイツ人と日本人のやることを何でも事細かに決定論的にいうのではない。
2025-11-02 08:12:00
日米首脳会談も日中、日韓首脳会談も、アジアでの国際会議も、無事に終了し、トランプ氏は「アジアでのディール」はたいてい相手方が設えてくれたお膳立て通りに無事におわり、特に機嫌を損じもしないで予定より一日早く、ハロウィーン参加という家族行事のために帰国した。そして帰国後目立った政治的行動と言えば、米国がこれまで30数年間やっていなかった核実験を再開するという声明であったという。気になるということは一つだけあった。韓国が原子力駆動潜水艦を採用するので、その核燃料を米国が供給するようトランプ氏に話したという公の発表である。それに対して日本も中国も公の発表としてはべつにそう強烈な反応は示さない。それにしても高市首相はトランプ氏と「はしゃいで」会っているどの瞬間にか、米艦に向かうヘリコプターの中ででも軽口的に「私は原子力潜水艦と長距離ミサイルをもつつもりですからよろしく」と口走っているのではないかという懸念をする人がネット上にはいる。なに、自民・維新間の提携協議書には「日本が原子力潜水艦と長距離ミサイルを保有する」旨がちゃんと盛られているというので、「火のないところに煙は立たぬ」。昨日小泉新防衛相が新聞に至急警告したことは、ただいま鹿児島沖に長距離ミサイルを搭載していると思しき中国駆逐艦が遊弋しているという。中国はこういう意思表示をしているのであろう。ここに生じる疑いは、日韓中とも、それぞれの国民に対して公には、今回のトランプ接近を機として、日中韓の間に格段にレベルアップした相互戦闘ムードが高まったということを、いっさいほのめかさないが、しかし内実は緊張の高まりをまともに高めているというのではないか。こういう国際体制を秘密外交時代とでもいうのか。要するに公の国民的議論は一切なしに、諸国が実際に国際的に好戦的体制を強めているという危険なありようである。以上が「平和ボケ」という「幻」に終わってくれればよいと切に望む。
2025-11-01 13:45:00
10/31 北海道新聞6頁に載った 立命館大学教授 佐野愛子先生の「日本手話による学習権」という記事は、私がこのSNSで繰り返して訴えていた「日本手話の学習権について専門家は態度を明瞭にされよ」という趣旨の問いかけに、見事に、論理的に、答えておられる。詳しくは同記事の参照を求めるが、この記事に示されたご所見は、先ごろ札幌高裁で示された「北海道立札幌聾学校で日本手話の授業を受けられなかったとして、先天性のろうの小中学生が北海道を訴えた事案」について、明快に原告の学習権を擁護する説明をなさっている。ご説明は論理的に明晰なので、専門家諸氏はこのご説明に提示されている論点に、それぞれ明快に・特に論理的に明快に・対応する意見をお述べいただけないだろうか。/ただひとつ追加して申し上げたいのは、同様の案件なら現在のアメリカ合衆国ならどう判定されるか、日本国民の参考のためにぜひご関説いただきたい。例のジョン・グラハム・ベル氏の「事績」にまつわる、歴史的経過ですよ。いうなれば、「アフター・グラハム・ベル」で、今はどういうことになっているのか、ですよ。私、これを知ったのは、半世紀前だった。
2025-11-01 09:17:00
前回(16)で述べられていた「直系家族型」という日本人の国民国家的背景に由来するところの、日本人である我々に「平等感覚が乏しい」という事情を、もっと例を挙げて書いておきたい。読んでくだされは、「ははあ、なるほど」とよくわかってくださるだろう。/私は、海外に行ったとき、同胞の日本人に会って、嫌な思いをすることが多い。懐かしく、信頼できるのに?日本語が通じるのに?・これって素晴らしいじゃないか。それはそうなのだが。お会いした相手がすぐに私に対して始めることがある。「私の身分・地位を確かめることである」(たいていの場合、自分の方はあいまいにしたままで)/「この心」はありありとわかる。「相手の身分・地位を確かめ、自分の身分・地位と引き比べて、『どちらが上位の人間か』まず確かめておかないと、そのあとのやりとりを虚心坦懐にできないからである」。/いつもどちらが上でどちらが下かを確信していないと、交際できない。初対面の同胞と会ったときにこの「習癖」が極端に前面に出るという次第だ。「上か下かわからない相手」にはおっかなびっくりになるのだ。他の民族はこれほど人見知りしないよ。これが国際的になると、相手が気が付いた時、相手の不信を招く。こう言ういきさつに、日本人の多くがナイーブなのである。
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