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2025-12-29 15:09:00

1980年代。私は米国で、大学初年からパラグラフ・ライティングという授業があることを体験し、英文ソフト「ワードスター」という優れたソフトを使用していた。さて日本に帰ってみると、英文をパラグラフ単位で読み書きするという知識は(商業英語で英文ビジネスレターを書くという訓練をしている人々以外は)誰も知らない。ワードスターを使うという講習会をしたら、参加したのが在日米国人ばかりだった。(日本人にはピンとこなかったのである。)ある組織で英文ビジネスレターの講習会をパソコン室で行うことになって、組織にワードスターの購入を求めたら、その組織のコンピュータ委員会の委員長の統計学者は、「ターボパスカル」というソフトがすでに入れてあるからそれで間に合うだろうという。「ターボパスカルでは1行ずつコンピュータのプログラムを記入してゆくのには間に合うが、段落単位で書くという英文のライティングには使えませんよ」といくら説明してもわかってくれない。コンピュータのプログラムを記入することと、文章執筆では根本的にちがうのだということがこの「専門家」にはわからない。1行ずつプログラムを記入する用具はいうなれば「ライン・ライティング」である。/実は当時の日本では、1980年代に日本の国語学者が、日本文には「段落で論理的に書く」という文化か存在しなかったことを知って、日本文を段落で書くという運動を始めた学者が北大にいた。その人物に「まず英文のパラグラフ・ライティングのありようを説明し、それと比較・対照しつつ日本文を段落で書く説明をしたらいいではありませんか」と説いたが、それでは「英文も書くということを前提にしてしか説けない」と言って同意してくれなかった。/つまりはこの時の「ワードスターの立場」になれば、いいわけだ。wordはそうなっている。つまり同じソフトの上で英文も書けるのである。50年も経つと、ソフトも進化するわけだ。/別に進化というほどのことでもないか。要するに米国出来のプログラムをそのまま日本文も書けるように補足改造しただけのことだ。まあものは見様だ。/それにしても札幌のコンピュータ発達史上の悔いは、ハドソンソフトなど、当時札幌はプログラミング先進地帯のように自負していたかもしれないが、日本語ワープロソフト開発の歴史はサッポロにはなかったな。文化観に欠けたところがあったと、今なら反省しても罰はあたるまい。/当時は女子高等教育の定番として、英文タイプライターという科目があって、短大の女子卒業生が多く本州の大企業の札幌事務所に雇用されていたものだった。この訓練が女子高等教育から消滅しつつあるのに対して、短大レベルでパソコンによる英文ビジネスレター・ライティングの訓練をもってこようとしたのである。いずれは過渡的期間後、ビジネス担当者その人がワードスターのようなソフトを使って英文を書くだけのことになってゆくが。木曽のコレポン(コルレスポンデンスの略語)の愛称で知られるビジネス英文教育が小樽商大の木曽栄作先生の名で知られていたが、小樽の昭和女子短大はこのタイプライターからパソコンへという期間を体験された。同様の体験を北星学園大学と札幌学院大学が行った。/余事になるが、この商業英語は、商工会議所が毎年資格検定試験をおこなつており、この科目の教師は「商業英語担当者」として商業高校に勤務していた。この商業英語教師こそが、日本では「隠れた」英作文指導者であった。庶民の中の優れた英文の書き手はこの商業英語教師であった。普通大学の英文科は優れた英文学の権威は生み出したが、「英文の書き手」をさっぱり養成できなかった。単純な話、商業英文も英文であり、パラグラフで書くのである(もつとも、一枚のレターにほんの数パラグラフ程度だけどね)。

2025-12-29 09:34:00

パラグラフ・ライティング(段落をひとつの単位として文章を書く態度)と、段落を論理的に厳密な単位として文章を書くのではなく、いいかげんに数行書いて、気分で、段落を変える態度(これをかりにライン・ライティングと呼んでおこう。実に日本人はこういう具合に「ほとんど行単位」で文を書く気風がある。)をいう。/あるいは日本人である人々の多くが、こういう具合に言われると、そんな馬鹿なことがあるか。我々をコケにするのかと思うかもしれない。/欧文が段落単位で論理的に書かれているのに、日本文がそうではないことを真っ先に痛感したのは、日本人国語学者である。私の思い出では、1980年代に北大文学部だったかの何某という国語学者が、「日本文を論理的に筋の通った段落を単位にして書く」という運動をお始めになった。私はその方にお会いした時に、「あなた、まず英文パラグラフ・ライティングの特徴を明示なさり、それとの比較・対照という形式をとりながらあなたの説くところを展開なさったらどうですか」とお勧めしたが、応じられなかった。「それじゃ、英文が書ける人にしか、私の教示ができないじゃないですか」とのたまう。(そりゃそうかもしれないね。当時日本の英語教育さえ、まだ一般にはパラグラフ教育はしていなかった。当時パラグラフで英文を書くという英語学習教科書を書いておられたのは、北星学園大学英文科のリチャード先生だけであった。)「段落」で書くということが、英語教師にさえ日本ではまだ「なじまれていなかった」。そもそも日本人が英文を書くということ自体が、そう話題になることではなく、内村鑑三先生や新渡戸稲造先生のように昔の北大生は書けたけどなというぐらいにしかならない(旧札幌農学校時代)。/コンピュータ上の話題に変えましょう。

2025-12-29 09:00:00

長い文章執筆の必要がある場合には、最初のころはワープロソフト、やがてパソコンの上の日本語ソフトを使うような習慣が、50年ぐらい前・つまり1980年代・からできてしまった。手書きの何十枚もの原稿用紙というのは、wordのプリントアウトに変わっていったし、原稿を募集する側も今日では日本語ワープロ文章のプリントアウトで募集する文章の長さを指定している。/そこでwordによる日本文入力が、今では当然であるが、コンピュータの設定が変更される都度、wordのほうも何やらとバージョンを変更してくるので、「適応」するのが結構大変である。/いま私の前にあるwordは、最初非常なミステリーであった。まず「白紙」を呼んで、文を書こうとすると、最初の1行をたとえば20文字書いてリターンすると、つぎの行の先頭がいやに空白を置いている。2行目にたとえばまた20文字書いてリターンすると、やはり空白を置いて3行目の先頭にゆく。/この「行間」をもっと狭くできないか。「空白」をおかないようにできないか。wordの「手引き」という文章があるのでそれと首っ引きで「研究」したが、さっぱりわけがわからない。/長らく「悪戦苦闘」して、ふっと気が付いた。このwordは、徹頭徹尾、文章をパラグラフ(段落)で書くように設計されているのではなかろうか。(だからライン・行・で書くようには、設計されていない。)そう直観してマニュアルを見直すと、確かにそうなっている。それはこうすれば容易に確かめられる。いったんさきほど書いた私の文を記憶し、改めてその文を呼び出す。そしてその文を「文書を編集」することにして、その下に出ているオプションの指示を見ると、「列幅を変える」または「テキストの間隔を変える」というのがある。この指示を使えばよろしい。/とんだボケナスの笑い話だが、実は「こういう画期的大発見」が私にできたのは、私の側にパラグラフ・ライティングとライン・ライティングという「概念」の思い出があったからである。話は50年前、1980年代にさかのぼる。

2025-12-29 08:33:00

12/27 朝日新聞 1頁 天声人語欄に、執筆者は「最近手書きの手帳を使わなくなった。今年は使ってみたい」と「走り書き」している。/「書く」と言えば、ボールペンと大学ノートを使うが、大学ノートというものを、やや「長い」用途に愛用する習慣は、日本では大正の末・昭和のはじめころ、かららしい。それは万年筆を愛用するということとセットになっていたという。(オフィシャルな筆記は、黒か青のインクて、ペンを使って書いていた。小筆を使って、墨で書く、というオフィシャルな文化が、ベンとインクに移行していったのである。)ボールペンの黒か青を使うというように筆記方法が移行するのは、1960年代だろう。当初の頃のボールペンは、ボールペンをまっすぐに立てて書かなくてはならぬのが、ぎこちなくはあったが、この点はある程度改良されていった。さて、今だが、今の札幌市には、従来普段の使いやすいボールペンをまともに売っている店が大変に稀になってきた。私は白石区の新しくできたイオン店で買っている。ここの文房具はそろいが良い。そして、従来あれほどポピュラーだった大学ノートは、(ボールペンほどではないが)たいへんに店での選択が難しくなった。/私は、手帳ではなく、B5判のノートを月に1冊、日誌もかねて汎用に使っているが、年1回の日記帳というのはやめてしまった。/どうやら現在の時点が、大学ノートとボールペンという「文化」が消滅しつつあるときなのかもしれない。(別の理由からも、そういう「画期」を感じる。文章を書くというさいのツールの「変化」である。続きを書こう。)

2025-12-28 08:24:00

12/28 朝日新聞 4頁 編集部がギリシャの思想家ヤヌスさんに会ってまとめた記事。

いわゆる「テクノ封建制」の談話。

ところが、このようなまとめ方だと、資本主義の体制をとっている限りは、現在は米国が世界で圧倒的な勢力をほこる「テクノ封建制」が、世界を支配するしかない。しかし、現に中国が「テクノ封建制」で、米国に対抗した独自性を発揮しているところから見ると、政治的に共産主義の全体主義であることが、そのような中国の能力を説明するように見える。だから、ファシズム的全体主義体制をとることが、資本主義社会では米国の「テクノ封建制」に対抗する自国の「テクノ封建制」を築きうる条件ではないか。

こういう具合に読めてしまう。

このような恐ろしい議論の可能性に、「未然に」、フランス人エマニュエル・トッド氏は備えている。トッド氏は「直系家族型」のネーションの将来のありように異常に深い関心をもつているが、EUの将来、隣国ドイツの政治の帰趨を大変に顧慮していることを隠さない。確かに社会表面では現在ドイツの「ナチズム・アレルギー」は相当に徹底したものだ。ところが社会的下層の意識では、ドイツが将来ヨーロッパを席巻して「ファシズム国家」として勃興する強力な前兆をみせていると「深く顧慮」しているのである。(だから翻って同じく直系家族型のネーションである日本の将来の帰趨に、トッド氏は強い関心を持っているのだ。)   私はいまこの議論をしたくない。ただ、ここでも、火のないところにやはり煙は立たないのだ。

 

 

 

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