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2026-09-19 08:42:00

今朝のNHKニュースで、「内水氾濫」という新たな国土危機に、国交省が有識者を集めた対策会議の初会合を行った、という話。「対策」を年内にまとめるそうだ。名古屋や千葉県やに実際に発生した災害について、地元自治体首長から「ぜひ首相に状況を届けてほしい」という強い要望を、「首相に取り次ぐ」と声明している。//結構な決断だが、なんか、1か月話が遅れているんじゃないの。

北海道の「廃線予定8路線」の回復協議は、国交省が乗り出す構えをして前進の気構えである。それはたいへん結構だが、JR北海道も、北海道知事も、地元自治体も、それぞれがたいへんに引っ込み気味で、いかにも頼りない。国土計画という国策に、強い期待をもつしか、現実に前進の方途が立ちにくいと思えるが。北海道新聞も暗に解決の方途をそういう具合に見ているようだが。北海道は住民の「経済」が極端に弱体なのである。東京都全区と札幌のGDPを比べるという、妙なことをしたところがあるが、ラビダス、ラビダスと口にして、世界的投資を盛んにする都市として札幌市を位置づけるなどど首長が演説しても、肝心の札幌市民の高度デジタル経済への金融経済的投資能力そのものが問題にならないほど低いから、結局これは他力本願の投資活発化を期待しているだけという話になる。こういう政治や政策は、実際には「地元経済」の話にはならないのである。住民自身よくそれを察知している。なにしろエヤドウーという北海道地元フライトの危機の時ですら、「札幌財界」は無力だったものね。財界なんて、よそからやってくるものでしかない。

「自分らしく生きる社会」企画で、村上さん、五木さん、司馬さんの作品を、参考に取り上げているのだが、村上春樹さんについて、その比較的に新しい著書、『街とその不確かな壁』新潮社、2023年、である、これを入手して読み始めている。30年ほど以前に、オウム事件に際会して、『アンダーグラウンド』という本をお出しになった。この「得体のしれない問題」に対する村上さんの作家としての創作活動は、村上さん自身が、「東京都アンダーグラウンド」の怪物「やみくろ」に対して、オウム物語と同質の物語に自分が取り組んだ作品として『世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』を引き合いに出した。さて、この『街とその不確かな壁』は(著者はすでに70歳代に入った)30年前の物語にいまどういう思考を用意しているのか、私は知りたいと強く思っている。ところがある種の手ごたえを感じながら本書を読んでいる最中であるが、私はこの作中に示される「ぼくときみ」を初恋の日の実際の「ぼくときみ」に置き換えてみ始めていた。そうすると変な話だが、著者の設定の仕方がまことに絶妙なので、私は**10年昔の高校生時代の「ぼくときみ」を実際に追い始めた。そのようすは、私の人生の展開にはまことに得難い知識や判断を再現しつつあるが、どうやらその物語は、村上さんの物語とはだいぶ方向が違うのである。そういうわけで、この方向からの「のどぐろ」物語はいま手掛けられない。//世間では、20世紀以来21世紀にまたがって長く尾を引く日本の新興宗教問題の、いま煮え切らない帰結のひとつ、「裏金問題」の「裏金政治家」が十人、今度の内閣改造に際して起用されているという話だが、問題はぜんぜん終わっていないのである。せめて裏金問題という問題の小さな一触覚を、日本の社会が覚えているだけでも、いま奇貨とすべきなのかもしれない。

2026-09-18 09:24:00

日本の高市政権は内閣を改造して純化して、トランプ・アメリカべったりの体制で今後の死地にまっしぐらに進むだろうし、北米のカナダの首相は、トランプ・アメリカに仕掛けられた貿易・関税戦争について妥協してトランプに屈服することを拒み、EUへの準加盟という政策の模索と言うびっくり仰天の声明を発して、今後の死地にまっしぐらに進む。たとえEU側からそのような具体的はたらきかけがあったからにしても、これは随分思い切った政策だ。国際政治の様相が大激変するだろうから。//世界の政治全体から見て、まったく正反対のありようでの、ともに死地にすすむ姿ではなかろうか。どちらがどれほど死地なのかはこれからいやおうなくわかってくるだろう。期待などしないで、しかたなく、まつしかないようだ。それにしてもこれが同じ日の新聞記事だ。//

日本、カナダ、が今後早々に死地に入ってしまえば、トランプ・アメリカの破滅的死地入りは、多少先に延ばせるのかしらね。そう考える場合には、これは合理的政治情勢なんだろうが。

2026-09-17 05:41:00

9/16 22:38 テレ朝日系配信 「台風25号が発生 発達しながら北上 シルバーウイークに本州接近の可能性」コメ262通。

9/17 0:20 千葉日報配信 「関東・東北・中部で地震M4.8 東京・神奈川・埼玉・千葉・静岡などで揺れ 震源は茨木県」コメ81通。

「自分らしく生きる社会」司馬論(2) この本『アメリカ素描』の内容に詳しく立ち入るわけではなく、結局この司馬さんの「文化からみた文明」論という、過去の歴史的行き掛かりにはほとんどこだわらず、もっぱら現実を、目に見える通りに捉えるというわかりやすい議論である。ここに書かれる司馬さんの観察が、たしかに現実に世界中の多くの人々が求めていた「より豊かに生きやすい社会」(つまりは現実のアメリカ合衆国のことだが)の構造的スケッチであることは間違いない。

この『アメリカ素描』の構想とあらましをまず書いておこう。

この本は、司馬遼太郎という作家のアメリカ論です。

司馬氏は整った主題を立て、多勢の案内人を現地に前以って手配し、本書にみられるような40日間ほどのアメリカ見聞を行い、その見聞のおおよその経過とこの見聞に基づく氏自身のアメリカ論を本書にまとめた。本書の内容は1985年の間に読売新聞に第1部および第2部と分けて連載された。

現代日本を知るために、氏は、欧米と言う白地図を「参照用」に持たねばならない。その白地図とは「手作りの、しかも観念的なもの」(14頁)である。(それは実在の地図とは違う。)アメリカの白地図は、アメリカ映画や小説などですでにできているが、実際に渡米して40日間ほどの実地見聞を行うことを通じて、氏は自身のアメリカ観を一層確かにしようと志した。

アメリカという国は、文化がなくて、文明だけがある「人工国家」のようだが、世界中の文化諸国家に住む人々が、そのほうが生活しやすいのならそこへ行って自分も住んでみようという気を起こさせる、「救いのような存在」であるのかもしれない。

以上は本書冒頭「私にとっての"白地図"」の要約みたいなものだ。本書が書かれたのは今から40年ほども以前のことだと、ご承知ください。私も当時(1980年代)アメリカに1年余滞在した。しかしいちいち司馬さんを検証することなどしませんよ。司馬さんの「アメリカと言う白地図」を読ませてもらいます。

9/17 7:02 MBC南日本放送配信。「桜島で噴火 噴煙1200m 灰は鹿児島市街方面へ」。/レベル3の入山規制中。

 

 

 

 

 

2026-09-16 21:07:00

9/16 17:13 共同通信 配信 「十勝岳 本格的噴火可能性 高まる 火山調査委が声明」。/ コメント58通ついている。過去には1926年、1962年、1988年に著しい噴火があった。また今年の7月と8月にも小規模の噴火をしている。現在レベル3の入山規制中。/ いま恐れているのは、万が一北海道の冬季にかかって著しい噴火が起こると、被害がとくにきつくなると考えるからである。近くに富良野という評判のいい観光地もあることだし。/ 噴火周期のようなものを念頭に置くと、危険視するのももっともである。用心に越したことはない。いま日本列島が予想外の長期に亘る大雨被害にあっているのをみるにつけても、北海道人も転ばぬ先の杖の心で生活しよう。伊達に副都候補になったわけではあるまい。日本列島国土保全を列島一倍念頭に置いている心が、副都志願者というものの今後のありようだと思うよ。

「自分が自分らしく生きる社会のありよう」という連続書き込みをしていて、村上さんと五木さんの作品を、考える材料とした。もうひとり、司馬遼太郎さんを付け加えよう。作品は司馬遼太郎『アメリカ素描』新潮文庫、平成元年だが、私は平成3年の第7刷を買った。このアメリカ論は、1985年の読売新聞に連載された文章(第一部と第2部)を採録したのである。なにしろ作家の企画なので、恐ろしく主観的である。それは村上さんや五木さんも同じだ。そこを承知の上で、その知恵に学びたい。//

司馬さんはこう考えるのだ。地球上のいろいろな民族の人間が自分に馴染んだ生き方をしながら(それを司馬さんはその人の生きている文化と呼ぶ)、生活の困窮に追われて、自分(達)を受け入れてくれる「誰でも生活がしやすい国」(これを司馬さんは文明と呼ぶ)がないものだろうか。あればそこへぜひ移住したいと志願する。いま地球上でこういう「文明国」と目されているのが、唯一、アメリカ合衆国ではあるまいかと、司馬さんは思う。司馬さんが知り合ったある韓国人のそういうつぶやきを、司馬さんはすかさず自分の言葉に置き換えた、次第。(19頁)そういうわけで、「文化」から「文明」を観察するという、このアメリカ論が書かれることになる。//

そもそも「アメリカ論」は、司馬さんは、アメリカ映画とかレコードからとか、そういう形を通じてある程度の先入観はすでに出来上がっていた。それを今回は、現地に40日ほど旅行し、適当な案内人を指定してその人にも助けてもらいながら、じっくり見聞しようということであった。(続く)

2026-09-15 18:11:00

9/13 村上「アンダーグラウンド」に引き続いて、それとの比較のために、五木寛之『風の王国』新潮社、1985年、について書きましょう。/この小説は、速水卓という主人公が、フタカミ講という理想の集団を見出して、その一員として生きようということになる、という話である。/主人公はトラベル・ライターで、雑誌社の仕事をしている。この人物の特徴は、ウオーキング(歩行)のマニアで、海外をかなり歩き回った。またかなりのカーキチで、むろんドライブは好きである。いってみればそう不思議ではない人物である。友人は「兄」とその愛人である歌手、それと喫茶店のマスター。/この話は速水がフタカミ講という「理想の集団」を見つけてそれにすっかり帰依するというに尽きるが、してみると、先に示した村上氏の構図と比較してみると、話はもっぱらフタカミ講という集団がいかに「世の中」と対立し、自分のアイデンテテイのために戦っているかという話になるわけで、この話には西欧的な「独立の個人」というものはまったく存在しない。個人はそれが現に属している集団に規定されているわけで、「かれの属する集団」のみが話題足りうるのである。だから、「世の中という集団」とそれに対抗する理想の集団(この話ではフタカミ講)の対抗だけが、問題足りうることになる。/

実はこの話は、急に始まるのではない。日本の太古の歴史以来の社会的構図がすでに存在しているわけである。それは日本史の太古、縄文人が長い歴史を送った後、大陸から弥生人が古日本島にやってきたが、その弥生人がもたらした稲作文化による「里の民」、それに対抗する従来の縄文人の「山の民」という対抗として数世紀送った後、「山の民」は相変わらず精神的支柱ではあるが、「山から里へ」(その反対にふたたび里から山へ)という「世間渡り=世渡り」という流れが人々の間に生じ、「政治権力を独占して君臨する里の民」(戸籍強制、課税強制、徴兵強制が里の民の三大権力基盤である)に対抗する「山の民」、そして、「山から里へ・反対に里から山へ、世渡りする大量の人々」という「日本史を縦断する歴史上の社会的流れを生じた」。つまり、単純には弥生時代とそれに続く古代が成立したのではなかつた、と。五木氏の、精神性の濃い「山の民」と権力者である「里の民」という対抗が、村上氏のいう権力構図に相当する。/そしてこういう歴史的構造を背景として、明治初期にフタカミ講という社会集団が生み出されたとして五木氏のこのストーリー・風の王国は、組み立てられる。つまりここからフイクションである。フタカミ講は、「山の民」を精神上の支柱としつつ、「山から里へ・里から山へ」「世渡りする集団」であるところの「自由な民の特徴」を断然維持する特別の結社なのである。(さもなきゃすっかり里の民に押しつぶされた生活になっているはずだ。すべての日本国民と同様に。) 日本歴史の方は、五木氏のこの本の巻末に詳しい参考文献表が出ており、五木氏としては史実のつもりである。ある集団に属するという性質でしか、独立の諸個人は問題になっていないことを再度指摘しておく。日本人一般にはこのほうがはるかにわかりやすい話なのだ。(そもそも欧米でも、独立の諸個人というものは、思想上しか存在しないのではないか。ここは難しい理屈のあるところだ。そうしたら、その思想的根拠を徹底して洗う必要があろう。手放しで言える話ではあるまい。)いま私は、村上氏と五木氏の対比だけにとどめておく。

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