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クーリエ・ジャポンが最近続けざまに配信している全記事を、至急閲覧・検討されるがよい。たいていの日本人は、このような「実情」を夢にも知らなかったのではなかろうか。なお詳細をこれら配信記事自体に当たって、吟味なさるがよい。日本のジャーナリズムも、詳細を取材をなさるかよい。
1. ベネズエラの国営石油資源は、近年日産100万バーレル程度と低調であった。2010年代初頭には日産200万バーレル程度だった。ベネズエラ自体では、自国の石油インフラを改善・維持する膨大な資金を調達する力がない。
2. 米国の石油会社であれば、膨大な投資を行って、ベネズエラの石油インフラを改善する力能がある。
3. 30年以上も続いたベネズエラのマドゥーラ氏およびその前任者の独裁権力は、今では中南米の諸左派政権からすら、批判されている。
4. 近年、マドゥーラ大統領は、にわかに規制緩和・外資による投資拡大の自由化政策をとったが、これが当たって首都の経済は活況を呈し、一部市民層の富裕化をもたらした。
そういうわけで、最近のベネズエラは、いわば「中南米の熱帯『中国経済』だ」と批評されている。ちなみにベネズエラは、南米大陸の北端に位置する大国である。//このクーリエ・ジャポン配信記事が暗黙に示唆しているストーリーは、トランプ氏の今回の挙動は、貧困に喘ぐべネズエラの国民のために、ベネズエラの「偽りの政治・経済」からベネズエラの支配権を米国が手に収めて、米国の保護下に置いた、ということではないか。つまり米国におけるトランプ政治の縮図をベネズエラに描いたということであろう。
1/4 FNN online ニュース配信の記事。トランプ氏の記者会見をまとめた記事である。
まあ、要点は下記の通り、ひどい内容だ。
1. ベネズエラ大統領夫妻を、米国は、ニューヨーク州へ移送した。
2. ニューヨーク州で、米国国内法によって、ベネズエラ大統領を裁く方針である。
3. ベネズエラが犯した重大犯罪とは、ベネズエラ政府が、麻薬という、重大な兵器にも比すべき凶悪な武器を用いて、米国人20万人とかを、殺害したことである。
4. ベネズエラで、次の政権が正式に発足するまでの間、米国がベネズエラの面倒をみる。。
5. ベネズエラの石油施設は、米国の石油会社が、面倒をみる。
6. 2025年にノーベル平和賞を受けた、ベネズエラ野党のマチャド氏は、ベネズエラ国民の信頼がないので、政権を担当させるわけにはゆかない。
//トランプ氏は、この暴挙により、米国民の歓心を買うつもりであろう。
1/3 毎日新聞の配信ニュースで、トランプ氏がベネズエラのマズーロ大統領夫妻を捉えて国外に移送したのではないかというびっくり仰天の話。米国がまるで当然のように「国際警察権」と「国際司法権」と「独立国への軍事行動を当然とする」やり方が、極限まで進んだというわけだ。/ちなみにベネズエラ政権は「反米左翼」で、政権側は、「トランプは麻薬取締を名目に、実際はベネズエラの石油資源を私したいのだ」と非難している。/どういう面から考えてもトランプの大変な暴挙だが、トランプは2025年来、「トランプ・アメリカフアースト」の策動が明らかに多方面から挫折しつつあり、この米国内での自己の権力の挫折の見通しから、急遽国内・国際社会の目を「別の話」に逸らせようという「ショック療法」の疑いが濃い。//
昨年1年、道新と朝日を毎日見てきたが、端的には、2016年以来明瞭になってきた国際リベラリズム「反省」の世界的思潮にどう竿を差すかが目下の肝要事かと思いますよ。ここが第一の問題提起にならぬ議論の構成は、今の時宜に合いません。/その点で、道新の紙面よりは、朝日の紙面の方が、連日問題提起の意識が強く、私なぞもついつい朝日の記事に誘発されて、何か書くことが多かったのでした。/そこで、と言っては何ですが、今日の朝日の7頁に、ある歴史家が、歴史を顧みて何事か考えるという気風が現在にあっては世に不足しているようだと、1頁に亘って嘆いています。「過去の年月の経験を整理して物語にして、これを将来のモラルにする」という書き出しで始まっています。/失礼ながら、これはダメですね。日本の中等・高等・の歴史教育でもこんな「警世」は「舌足らずだ」。これは「歴史を物語としてまとめて、教訓にする」という「イストワール」(歴史、それも物語日本史のような奴)の考えで、中学ぐらいの歴史の授業でやるんじゃないか。司馬遷の歴史観の次元ですね。これだと国王の治世が歴史の区分でしょうな。まあ英国史だと、「ヴィクトリア女王時代」というような区分で、日本史だと、はあ、大正時代などというのがそれか。高校くらいになりますと、今度はヨーロッパの歴史家などが引き合いに出されてきて、「歴史は時代の出来事の個性を見分けるのだ」などと、同じく「歴史的物語」でもなんやら自然主義文学みたいになってくるから、「教訓」というよりなにやら「情感」のある歴史記述が「賞味」されます。「フランスの市民革命」と「イギリスの市民革命」では「なにやら違う情感」を生徒も感じて、歴史が好きになったりするのですね。そして大学生となると、史的唯物論などという仰天の歴史に学生は出会うわけですね。大学の史学概論という講義で「世界観論」という「史観」を考えるように仕向けられるわけだ。どうして現実に行われている日本の歴史教育の諸様相を単純化なさるのかな。
1/3 朝日新聞の天声人語は、正月の不破哲三氏の死去追悼の意味もあって、不破氏と中国共産党の20世紀の交流関係を回顧し、20世紀末に「資本主義体制が地球環境を破壊しつつある暴挙を阻止する必要がある」という「21世紀にも通じる共産主義の大義が展望できた」という具合に、不破氏回顧に託して述べた。/なおこの「資本主義体制が人類の生存のための不可欠の地球環境を破壊しつつある」という、言ってみれば学理は、近年、斎藤幸平氏の一連の著書で非常な迫力を以って論じられている。「人新世の「資本論」集英社新書、2021年第15刷、というのを買ったが、評判がいいようだ。/天声人語は共産党の「民主集中制」という「党内討論の原則」が、党内の言論独裁という弊害を反省して、もうやめたらよかろうと忠告している。/それにしても共産党の成立やその運営は、マルクス主義そのものの全体的意味から出ているのだろうから、政治技術的にだけ共産党のありようを議論しても始まるまい。//私は、マルクス主義の出発点について、時代は再考慮・再検討を迫っていると思うので、新年に臨みこの一点だけ指摘しておきたい。/知っての通りマルクスその人がマルクス経済学を考えた出発点で、こう言っていなかったかな。「国民経済学が当然の前提としている『独立の諸個人』というものは、手放しに前提できるはずのものではない。それを支える歴史的・社会的条件が必ずあるはずだ」。今日われわれが「アングロ・サクソンの絶対的個人主義・絶対的自由主義」を再検討しようとしていることと、論理的には同様の問題提起を、マルクスは19世紀中葉に行っていた。/ただ、マルクスは、その答えを、このように示した。生産手段の私的所有により、支配者・剰余労働の搾取者と被支配者・剰余労働の被搾取者という階級対立が、人類社会に生じた。(つまり生産手段の独占的私的所有者というものが、「絶対的な個人主義・絶対的な自由主義」者の言ってみれば「理想型」である。)それにしてもこの人類史的構図は、近代資本主義時代についてはかなりわかりやすいので、マルクスの主著『資本論』で主要な論点は遺憾なく語られている。/ところが「近代以前」となると、近代を語るときの歯切れの良さは後退して、「それぞれの歴史的時代に対応するような『共同体規制』に規制された「階級関係」である」ということになる。近代以前はすべて共同体の時代だが、この共同体規制論はもっと具体化されていてよいはずだ。それにしてもそれを『資本論』同然の論法ではとうてい果たせない。せめて近代に接近しているヨーロッパ「中世・封建制時代」に限定してでもよいから、「その時代の経済学」はどういう姿か示してみたらどうだろうと、誰でも考えつきそうに思うでしょ。でも私は、それを実際にやろうとした経済史家は、お二人しか知らない。東北大学の𠮷岡昭彦先生と立教大学の松尾太郎先生だ。(もっともお二人の言うことは最初から食い違う。吉岡先生は「端緒範疇は小農民経営だ」という。松尾先生は「土地だ」という。事は、封建制から資本制への移行期論争にかかわる。)
/マックス・ウエーバーなどは、社会学的発想として、さまざまな切り口を示しているが、今回これは外そう。/人類史全体で考えれば、「共同体」というものの把握は非常に重要であろう。マルクスその人にしても、共同体の把握については死ぬまで悩んでいた。「生産手段の私的所有」なぞと言われて、それですっかりわかった気になっていたが、それで済むものだろうか。/確かにマルクス主義にも、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』という著書がある。エンゲルスの共同体論は、この議論の解決になるだろうか。//私は共産党やその民主集中制とか以上に、こう述べてきたような疑問にはるかに惹かれている。単純率直、この答えを日本共産党
のどなたか理論的権威者が明瞭にしてくだされば、民主集中してご説に従いますよ。//そもそも人類史は階級闘争の歴史である、と人類史を総括したのが、マルクスの唯物史観=史的唯物論であって、そういう主義に基ずぃて、近代議会制の政治の下で資本主義の階級支配国家を根本的に改める政府を作るための「近代的政党」として名乗りを上げたのが共産党ではありませんか。もし人類史の総括について大きな改善がなされるなら、出発点としてのマルクス主義世界観にそれでよかったかどうかぐらいの再検討とそこから出発していた共産党の理念にもそれなりの再考慮ぐらいは必要でしょうよ。