インフォメーション
2025-12-04 07:16:00
12/3 FNNプライムオンライン 配信 「米台関係強化の法案 米・トランプ大統領が署名 中国反発『米中関係のレッドライン』」。/これで台湾問題についての米国の政治的立場は、明瞭になったのではないか。
2025-12-03 08:56:00
2025年3月にウクライナ大統領ゼレンスキー氏がホワイトハウスを訪れてトランプ氏とそのスタッフに面会したときの切迫した会談の一部始終が、12/3 読売新聞オンライン 配信記事 「ゼレンスキー氏『答えてもよいか』、トランプ氏『だめだ』...首脳会談で口論の主なやり取り」として、報道されている。/今、虚心坦懐に、つまり「日本国の統一見解」に従って「欧米同様にウクライナの立場を絶対的に支援する」という「前提」をひとまず脇に置いて、当時のこの両者の口頭のやりとりを観察してご覧になるがよい。/2025年3月当時は、読売新聞自体も含めて、日本政府も日本人も「日本国の統一見解に従って、欧米同様にウクライナの立場を絶対的に支援するという前提」に強力に拘束されていたから、このゼレンスキー・トランプ会談をそのままなぞって何か考えることは不可能だった。そこで当時の日本の新聞紙面は(テレビもだが)なにやら得体のしれない「談話の不一致」のようにしか報じられなかった。(ただ、トランプ側は、この席に新聞記者を同席させており、この席でのやりとりを「公然たるディール」と自任している。)//今の時点で自分たち自身のことを考えれば、ウクライナの徹底的擁護という当時の「日本国論の統一見解」は実質的にはどういうニュアンスになっているか、誰もまともには語りたくない話題ではなかろうか。
2025-12-03 08:22:00
次のネット配信記事によると、「エコノミスト」という「特権階級」が、10数年前のリーマン・ショックのあたりから(だから2010年ごろからということになるが)、米国の社会表面から消失しつつあるらしい。/「人類普遍の真理」という思い込みを地上に広げていたアングロサクソン由来のイデオロギーが、「政治経済のグローバリズム」という社会表面に現れている様相が、明瞭に行き詰まっている現象//幸か不幸か日本では、「政治経済学」という「古風な経済学」がしぶとく生き残っていて、「エコノミストという特権階級」は社会表面でも支配的とは言えなかった。だからこの配信記事のような「社会現象」は日本では起こりようがない。//次のネット記事をぜひご覧ください。/12/2 配信ネット記事、中岡 望氏の文章。「【米国最新情報⑦】経済学博士の"黄金時代"は終焉、雇用状況は急激に悪化、当たらない経済予測も問題」。
2025-12-02 06:48:00
12/1 集英社オンライン 木戸次郎氏執筆 配信 「バフェットも孫正義も資金を引き揚げた! 『1ドル157円でも危機感ゼロ』日本の麻痺しきった感覚と市場が警戒する"熱狂の最終局面"」。//およそ日本中の識者たる者、この記事に託された悲痛な宣言を直視できないのなら、それでは「識者でもなんでもなかろう」。またこの記事を読んで日本語を理解できる国民なら、この国の根本的反省が求められていることをご理解なさるべきだな。/私は日本の金融・貨幣市場についても、高市氏の内閣と自民党政府についても、あえて批判をしないできたが、木戸氏同様、最後の反省を求めたい。いまのありさまは、正気の沙汰ではない。
2025-11-26 09:53:00
トッド氏の著書『我々はどこから来て、今どこにいるのか』文芸春秋、2022年の全体の論旨は明瞭である。現代社会の大方の人々が「絶対的真理」と信じて疑わないところの、近現代社会の国民諸国家の「意識の最表層」にある「政治的・経済的・リベラリズム」は、英米仏という(とりわけ英米英語圏という)社会人類学的には「核家族型」という特有の歴史的家族型を社会人類学的背景をもつ国民国家が先導して世界化したものであるという「歴史的社会的限定性」をもっている。近代欧米社会の個人主義と自由主義を「疑うべからざる人類普遍の真理」とうたう「リベラリズム」が、1990年代以来の世界の政治経済的格差の極端な拡大という姿の中ですっかり行き詰まってしまったのだと、著者は本書の全体をもって主張している。本書上巻「アングロサクソンがなぜ覇権を握ったか」(下巻の第14章までとみるけど)は、「輝かしい」近代市民革命から「人類普遍の」デモクラシーの確立と発展、アダム・スミスの理論に象徴されるような、個人主義と自由主義に基づく資本主義の輝くような世界的発展を、がつんと否定する(まあ、相対化するわけだか、)論述である。本書下巻「民主主義の野蛮な起源」(とくに第14章以降)は、政治・経済格差の極端な拡大により、リベラリズムがとうてたい立ち行かない状況になっているという「リベラリズム行き詰まりの様相」を読み解く。近現代リベラリズムの解体という巨大なテーマを、形而上学的にではまったくなく、現実主義的に把握する筆致なので、たいへんに読みやすい。(クレール エ リッシュとは、まさにこのような文章だろう。ナニこれはエマニュエル・トッド評ではなくて、フランス語という言語についての批評だが)著書前半部では、核家族が議論の中心だが、後半部では、直系家族と共同体家族が議論の中心になる。