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2021-12-14 18:56:00

「過労死感想」。絶対的剰余価値生産とは、わかりやすい考え方だ。/ この話で、働くとは、労働者として、資本家にやとわれて働くことを言っている。他方、生産手段を自分が持っていて、自分が計画して商品生産をしている場合は、(農民のような独立生産者はそうだ)、ここの話とは違ってくる。(ただ、そのような事業者は資本家の経営との競争に敗れて、立ち行かなくなることも多い)/ 労働者は自由な時間を取り戻そうというのは正論だが、ただ、資本家はなかなか労働者にそれを許しはしないだろう。「標準労働日」というのは、だから、資本家と労働者がせめぎあう場になっている。しかし「一日8時間労働」は20世紀初頭の労働者のスローガンであった。それから一世紀以上もたったのに、なお「一日8時間」でせめぎあっているのか。そう考えると、フィンランドの首相の提言が非常識とは言えなくなろう。

 

2021-12-14 18:26:00

「なぜ過労死はなくならないのか」12月/13日。資本はG-W-G'という価値の運動である。昔のW-G-W'という運動の場合は価値は増えなかった。/ 資本のこの価値増殖運動は止まらない。この運動は人間の意志を離れて継続する。/ 価値は生産の場で生まれる。資本家が1万円で一日分の労働力商品を買って、靴という商品を作り1万6000円を手に入れたとする。このようにして資本家が手に入れた価値を剰余価値という。/ 資本家がこれより余計に儲けようとするとき、手っ取り早い方法は、労働者を一日法定の8時間ではなく、同じ賃金のまま10時間働かせれば、剰余価値は2時間分4000円上乗せされる。このように余計働いて労働者が取り上げられた分を絶対的剰余価値という。/ 長時間労働による労働者の過労死は、産業革命のころはよくあったが、今日でもやはりある。(最近は日本の労災で精神疾患が増えているという。)/ なぜ労働者がこれほど無理な働き方をさせられることになるのか。労働者には「二つの自由」があるという。自由に働き先を選ぶ権利が労働者にあるというのが、一つ目の自由。しかし二つ目に、生産手段という社会の富を持たないという自由な立場にある労働者が、だから生きるために誰かに雇われて働かなければならない。労働者同士競い合って働き口を探す。時間外労働というただ働きも進んでやる。/ どうすればこの窮地から労働者が脱出できるだろうか。労働者は自由な時間を取り戻すよう、努力することだ。フィンランドの首相は、1日6時間働いて週3日間を休日にしようと言っている。/ みんなでこういう方向に行くように運動して、自由な時間を取り戻そうではないか。  以上

 

 

2021-12-12 20:32:00

100分de名著・資本論 第一回 「商品に振り回される私たち」12/06 聞き取り

何しろテレビで聞いたままの「要点」を書くので、きっとこれではわかりにくいだろう。

一点だけ、意見を言う。ここでいう「商品」は、単純商品生産者社会の商品ではない。自己の生産手段で、自己の労働で、生産している商品を、単純生産者による商品という。ここで話題になる商品は、資本主義的商品である。「第二回」まで行けば、この商品が資本主義的商品だということはすぐわかる。

 物質代謝とは、人間と自然の間の循環だが、物質代謝過程への人間の特有の係り方が、労働である。/人間の労働は、商品を生み出している。自然を含めて広い範囲に、社会の富が存在するが、これら社会の富が、商品として生産されていると、カネのない人は、それらの社会の富を使えない。/歴史上本源的蓄積過程と呼ばれる過程があった。この本源的蓄積が、社会の富が商品となる始まりであった。それ以来、カネのない人は、社会の富が使えないことになった。/商品は、使用価値という性質と、価値という性質と、二つの性質をもっている。商品社会とは、価値を重視する社会である。この商品社会では、物象化が起きている。人と物の立場が逆転し、人が物に振り回されている。商品という物の価値が、人間を振り回している。/(適正価格というものはあるか、それは労働時間うんぬんというやり取りは、割愛する)/図書館司書の例は、図書館がカネで運営されると、図書館の司書の半数以上がいまの日本で非常勤になっているというような、社会の富の貧困を招くことにもなる。

以上

 

 

 

2021-12-10 08:20:00

金曜日・朝方晴れ・札幌。☆道新天気予報では「日中晴れ、夜曇り」「気温7度-マイナス1度」と好天。★昨日要点を紹介した岸田首相の「新しい資本主義」について、感想を述べる。この政策はポストコロナであって、当面はコロナ禍を解決するのが先とするのは、順当であろう。ところで、この「新しい資本主義」というのは、資本主義そのものを反省しているわけではない。新自由主義の行き過ぎを認めているだけだ。その意味では、資本主義の日本での新しい政策を提案しているという次第だ。たんに「新しい政策」というわけだ。しかし、「まず成長」「成長の成果を分配」という論法になるところは、新自由主義と変わらぬではないか。ここでいう「分配」に至っては、スローガンだけで、特に具体策がどうなるのかというところがはっきりしない。作文といわれても仕方があるまい。具体策がいくらかはっきりしているのは、「6.新しい資本主義の下での成長」ぐらいのものだが、そこに並べられている4種の「成長政策」の中で、中身が割合に明らかなのは(1)の「イノベーション」だけだ。ここに並ぶ4つの「成長策」は、内容も方向も趣旨も意義もまったく違うものが、「イノベーション」にくっついて、ぱらぱら並べられているだけだ。とくに(4)は、なにやら得体が知れない。軍備強化を成長政策とでもしているのか。☆前置きに、1980年代以降の新自由主義の弊害が、経済格差と貧困の拡大と、自然環境への負荷の増大の2点として現に挙げているのだから、この2点への抜本的是正の政策提言を中心に「新しい政策」を行うとするのが筋ではないのか。 

2021-12-09 08:40:00

木曜日・朝方晴れ・札幌。☆道新天気予報では「終日晴れ」「気温8度-マイナス1度」という好天気。★昨8日付道新9頁に載った「岸田首相の新しい資本主義」について、内容のあらましを私はこう受け取った。まず、これはポストコロナと宣言されていて、今のコロナ禍から立ち直った後の日本社会に対する政策だということ。「5.未来社会を切り開く新しい資本主義」では、この政策を掲げる理由を述べている。いわく、1980年代以降に主流となった新自由主義は、経済格差と貧困を拡大し、自然に負荷を与えすぎたことで、気候変動問題が深刻化した。新自由主義をやめ、新しい政策を考えよう。「6.新しい資本主義の下での成長」では、成長政策として次の4つの分野を提案するとして、(1)イノベーション、(2)デジタル田園都市国家構想、(3)気候変動問題、(4)経済安全保障。「7.新しい資本主義の下での分配」として、「人への分配」、「男女が希望通り働ける社会づくり」「社会保障による(国民各自の)負担増の抑制」を行って、分厚い中間層を取り戻す、と言っている。

感想は、明日書く。