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2022-10-30 20:45:00
一、右、雨。 学年別で「一年で習う漢字」から、三文字ずつ選ぶ。文字の下のページは漢字辞典の頁だから、すぐ「親字」が参照できる。「親字」のところで、総画数、部首、部首の後の画数、学年配当、漢字の成り立ち、意味、が分かる。そしてたくさんの熟語例。 一、一画、一の部、部首の後、0画、学年配当1年生。成り立ち、「一本の横線で一を表した字」。挙げられている熟語で、ひっかかることは、たとえば「一々」などは私は和語的に「いちいち」と表記してみたい。一向、一切、一瞬、一緒、一層、一体、一旦、一癖、一筋縄などがそうだ。私のわがままは許容されるか。 熟語の意味を再度確かめる際は、国語辞典を引けばよろしい。 右、口へんの二画、1年生、筆順、私は間違っていた、左へ払うのが先なのだ。成り立ち、口をかばう右手を表す、知らなかった。熟語、「左右」ばかりかと思ったら、「右左」というのがある。 雨、雨かんむり、0画。1年生。成り立ち、空から雨が降る様子。「雨の部」には雨に関係する自然現象を表す字が多いという。しかし、霊、需は、なぜだろう。熟語では、「時雨」と「村雨」がピンと来なかったので、国語辞典を引いた。後者は「にわか雨」だと。 そして、同じ漢字を電子辞書の漢和辞典で引いてみるのもまた一興。こんな調子。ノート数行に落書きしてみる。
2022-10-30 18:20:00
当分の間、こういう練習を毎日する。 『例解学習漢字辞典』を使って、その(1)学年別学習漢字の書き方、(2)各学年で習う漢字、1年-6年。(3)漢字の筆順。この箇所を集中的に学習し、練習する。 もうひとつ、追加しましょう。その日の箇所を、電子辞書を使って、反復してみる。 私手持ちの、EX-word DATAPLUS10を使って、その中の、「百科・漢和」中の『新漢語林』第二版を使ってみよう。これは手書き入力を主体として単漢字、漢字句を捜すというたいへんな道具。うまく使えると、素晴らしい効果を上げる。検索が5種類用意されている。 1.単漢字/熟語を手書き入力から探す。 2.単漢字を大きな手書き入力から探す。 3.単漢字を読み/画数から探す。 4.熟語を読みから探す。 5.用例を手書き入力から探す。 単漢字の場合、墨字で3種類の書体が示されているが、たいへん魅力的だ。 この5の「用例を手書き入力で探す」というのは、かなり長い漢文を出しても来るという、たいへんなことをしてくれる。 存在する文明の利器は、使い慣れれば、いっそう威力を増すだろう。
2022-10-30 13:05:00
話題が少し広がりすぎた感がある。最初からの話題であった「漢字の学習」自体に戻りたい。さて、普段念頭に置く漢字表は何だろう。たいへんお恥ずかしいが、私は、「当用漢字表」というものが今でも国民的標準として行われているものとばかり思っていた。実際にいま行われているのは、「常用漢字表」である。では「教育漢字表」というのは何だろう。「学習漢字表」というのもあるが、それは何だ。『広辞苑』を引きながら、この四者の間の関係をまとめてみる。 「当用漢字」1850字は、1946年、政府が公布した。続けて、「当用漢字音訓表」(1948年)、「当用漢字別表」881字(1948年)に、「当用漢字字体表」(1949年)が現れた。この「当用漢字別表」881字が、別称「教育漢字」だという。そして「当用漢字」に替えて、「常用漢字」1945字の字種と音訓が現れたのが、1981年。 そこで、今は「常用漢字」が、行われている、ということになる。ところで、学習漢字とは何かというと、文部省の小学校学習指導要領中に掲載された「学年別漢字配当表」を指すのだそうだ。そして今でも、「教育漢字」は廃止されたわけではない。 以上のように私は理解している。当用漢字は確かに戦後30数年間行われていたが、今は、それに替えて「常用漢字」が行われている。 いま私の手元に第一法規編集部『常用漢字付教育漢字・人名用漢字』第一法規、1981年、という冊子がある。ちょうどこの切り替えが起こったので、当時わざわざ買ったもののようだ。常用漢字について詳しく趣旨が述べられており、常用漢字と当用漢字の間の出入りも詳しく示されており、また、教育漢字とその学年配当表も掲載されている。(それなのに私は、当時あまり詳しく検討しなかったのだ。)
2022-10-29 08:40:00
発音の問題。 日本語が表層が漢文脈という公式層、底流にやまとことばという非公式層、という組み立てになっている現実に変わりはないが、発音上は、いろは48文字で表されるやまとことばが絶対で、漢文脈というものも、結局は漢文をやまとことばの発音で読んでいるというだけのことだ。(だから、話し言葉しか念頭になければ、表記は表音文字で問題なかろうという認識になってしまうのも、当然である。)漢文脈とかいっても、もともとが「訓読」というそれ自体の形式はやまとことばのありようであろうが、ということになる。「発音上は、つまり話し言葉としては、漢字なんぞ要らない」というにも一理あることになりかねない。日本語の発音というのは、世界中の文明民族の言葉のなかでは、非常に単純で易しいものに属するのではなかろうか。フランス語や中国語を比較対象として想定してみるがよい。おそらくは多くの国籍の外国人にとって、日本語会話はマネするのに至難を極めるというものではあるまい。ただ彼ら外国人が一様に感じるのは、日本語の漢字表記が、それ自体ほとんど無意味なのに、とんでもなく無駄な学習を強いるものだと思われることだろう。(実際、日本敗戦後、進駐軍は、「漢字使用が無駄で、その上有害だ」というリポートを日本に突き付けている。)ラジオやテレビで聞いているだけの分なら、漢字なんかどこにもいらないものね。(ただ、言葉というものは、かならず話し言葉と書き言葉という二重の性格を持っており、言葉の自主性、主体性、創造性発揮は、書き言葉に特に強く依存するであろう。ラジオは社説なぞ書かないが、新聞は社説を書くものね。)
2022-10-28 21:12:00
まず、「漢字が重大な一部になってきた」日本語本体は何だったのかということを、明瞭にしておく。日本語本体は「やまとことば」である。平安時代には「やまとことば」の世界は、宮廷でひらがな(女文字)という文字表現を確立するに至る。庶民の間ではひらがなという文字表現もまだ未発達と思うが、少しずつ庶民もひらがな表記をわが物とするようになってくるであろう。さて漢字表記が「鎌倉時代以後、一般の人々の間にまでひろがった」のが、日本語本体の中に漢字表記(ととうぜんに漢文読み下し調の口語表現)が広がってきたのが、いわば漢字表記日本語化の最初の波であろう。そもそも支配者階級が下々に命令する口頭による漢文読み下し調がまず存在して、その記録体である漢文表記がそれに従い、庶民も最初は「聞く」ばかりだった漢文読み下し調をだんだん漢文表記という形式でも使えるようになっていつたものと思われる。そして、この鎌倉時代から南北朝をへて室町時代、庶民は「命令される」という形で聞くばかりではなく、仏教僧侶の説教を聞くという形で、あるいは戦記物の語りを聴くという形で、漢文読み下し調に親しんできたのであろう。日本語において、庶民は、漢文読み下し調を「公式言語」、やまとことば調を「私的言語」として使い分けるようになってゆき、漢文読み下し調の場合は元々の漢文が規範的文体として常にれっきとして存在しているので、ぶれが少なく、使い方が安定していたのに対し、やまとことばは、規範性に劣り、年数がたつとどんどん変化してゆくという性質をもっていた。(このことは時代がずっと下がっても言えると思う。)「江戸時代になり、印刷が発達したこと」は、日本語の標準化をだんだん伴うようになったろうし、明治の欧文翻訳文体の登場は、日本人が漢文に対して行ってきた「訓読」に似た、「新たな訓読」で、欧文調という文体を作るようになった。結局日本語という言語は、漢文調が表層に広がっていて、公式の性質をもち、やまとことばが深く沈潜して私的言語であり続けるという二重構造のものとして生成し、現存しているのではなかろうか。