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2022-11-16 09:34:00
リチャード・クー『デフレとバランスシート不況の経済学』徳間書店、2003年。(続き)/バランスシート不況と呼んでしかるべき経済状態が、1990年代の日本に確かに表れた。1993年の資産価格大暴落でバランストートを著しく棄損した法人企業が極めて広範囲に及んだので、これらをにわかに整理したのでは日本経済はとうてい存続できない。そのために日本政府はこの危機を救済するために何年もの間財政支出を続けたが、この措置は当時まことに時宜に合った、唯一正当な政策であった、と著者は主張する。この主張を裏付ける多くの論拠とこの主張を反駁する議論の批判とが、この500頁近い分厚い著書の内容である。このような論拠提示と反対意見の批判を通じて、このバランスシート不況という経済のありようが近年世界中で数多くありうる現象となっていると、著者は1990年代の日本経済の実例を「一般化」するのである。著者が本書巻末でバランスシート不況を概説しているが、その冒頭の「バランスシート不況の原因」だけ、ここに引用しよう。「●一般にバランスシート不況が発生するのは、全国的な資産価格のバブルが崩壊して、多数の民間企業や個人のバランスシートが棄損したときである。●バランスシートをきれいにしようとする企業は、一時的でも利益の最大化から債務の最小化への方向転換を迫られる。●個々の企業レベルで見るかぎり、負債を返還することは正しく、責任ある行動だが、多数の企業がいっせいにそうすると、総需要が減って経済の低迷とさらなる資産価格の下落を招く。これがまた企業を負債の返済に走らせるので、悪循環となる。●個々の企業は責任ある正しい行動をとっているため、その行動を変えることはできない。しかし、この行動が集団化すると、誰もが正しいことをしていながら、結果は誰にとっても好ましくない「合成の誤謬」が発生する。●企業がいつせいに借金返済に向かうと家計の貯蓄を借りる企業がいなくなり、家計の貯蓄はだれにも使われずそのまま銀行に滞留する。これが日本のデフレギャップの正体である。●デフレギャップの発生によって所得がうまく流れなくなると、経済は縮小均衡への悪循環に陥り、このプロセスは、誰もが貯蓄できないほど貧しくなるまで続く。この縮小が行き着いた地点を普通、恐慌と呼ぶ。●大多数の企業がバランスシートの問題から解放されないうちは、経済の自立成長は望めない。それゆえ政府は、各企業のバランスシートをできるだけ早く修復することに政策の重点を置くべきである。」(同書、469-470頁)
2022-11-14 20:30:00
リチャード・クー『デフレとバランスシート不況の経済学』徳間書店、2003年(続き)。私たちは現今の日本経済で、「デフレ
」という言葉に、思う存分振り回されている。何がどうなぜどのように「デフレ」なのか、自明のように語られているが、これをいかんなく説明できる人は何パーセントいるだろう。デフレといえば、市場で供給過剰、インフレといえば市場で供給不足。100人が聞いていれば大概そうしか考えないし、デフレを克服する「インフレターゲット何パーセント」なんて言えば、大概、何か恐ろしく単純な技術的問題だと思うだろう。しかしむろんこれは技術的に聞こえはしても、単純な技術問題ではあるまい。クー氏が使った「デフレ」という言葉も、一見恐ろしくいい加減に聞こえた。/そもそも恐慌が長期の不況になって持続すること自体、従来の資本主義の歴史では稀有のことだった。1930年代の米国の大不況(どこで終わった?クー氏は1960年近くになってようやく1930年の資産価格を回復したと言っているありさま)、1873年から二十数年続いた英国の大不況。この2回しか、歴史上認知された「大不況」はない。その他は、19世紀の産業循環がそうだったように、恐慌は年内に終わる・10年程度で景気は循環するというていのものだった。ここを変更する議論は単純に数理的代物ではない・歴史的政治経済学である。ケインズ経済学は恐慌解決に財政資金支出を提案している点で、これは単純な数理経済学ではないのだ。ミクロに対するマクロの視角は、純粋経済学のものではあるまい。(だからミクロとマクロの統一とかが、もともと単純に議論できるはずのものではあるまい。)/いまクー氏の議論を理解する感想を言うのだから、以上のような議論はさしあたり割愛する。クー氏にとってはなくていい議論だから。
2022-11-14 18:51:00
リチャード・クー『デフレとバランスシート不況の経済学』徳間書店、2003年。私は長年、経済ニュースで、一向に真意がわからない語句がある。それは、構造改革、内需、バブル、バブル不況、規制緩和、規制撤廃。それじゃ過去30年間ほど、日本経済に関してあなたは何もわからなかったろうと言われれば、「しかり、さっぱりわからなかった」というしかない。これらの言葉は経済を説明しているはずだ。しかしこれは明らかに通常言われる経済学の言葉ではない。これらの言葉が、どうして、どのように、日本経済の説明になるというのか。自分がわからぬ以上、私はこういう言葉を、私自身で日本経済の説明に使ったことは一回もない。/クー氏の「バランスシート不況」という言葉を以前初めて目にしたとき、一瞬「なんだこれは」と思った。いま日本経済全体を問題ににしようとしているとき、「バランスシート不況」という言葉は、これはあきらかにミクロの経済主体を問題にしている言葉ではないか。ミクロの経済主体とは、この場合、個々の法人企業のことであろう。個々の法人企業のバランスシートが「壊れている」ということだろう。恐慌による資産の(当然に、資本の本体であろう)価格暴落が生じ、法人企業は、その資産の購入に用いた負債を、資産価格暴落にも関わらず相変わらず暴落以前の価額で返済を続けなければならぬ・高率の利払いを続けなければならぬ。こういう恐慌後長引く不況期の事態を「バランスシート不況」と呼んでいるのであろう。このように法人企業のバランスシート中の資本価値が「棄損」されている事態を「バランスシート不況」と呼ぶのだろう。ここまではすぐわかる。「それなら、当該企業は、速く損切りして、出直せばいいではないか」。それが出来ない企業は市場から退出すればいいではないか。数分でこう読んでしまうと、これ以上話題に拘泥する気を失った。それが二十数年前、初めて「バランスシート不況」という言葉に出会った感想である。/しかしそれから幾星霜。日本経済は相変わらず得体の知れない状況を続けている。今回、丁寧に読もうという気を起こし、今回ようやく二十年前の蒙から覚めた。これは正論だった。(続く)
2022-11-11 21:37:00
河北新報社『河北新報の一番長い日』つづき。残念ながら、2011年の東日本大震災が、「もっぱら自然災害だった」としたことは取り消さざるを得ない。東日本大震災には「人為的災害の側面があった」、それどころか「結局人為的災害が主要な側面になってしまった」と、言い直さなければならないかもしれない。言わずと知れた、原子力発電問題である。災害それ自体で考えてさえ、宮城も岩手も復興の目鼻はついたが、福島県の海岸部は、いつ復興するものか、住民が現地復帰して曲がりなりにも地域の生活が取り戻せるのがいつの日になるのかすら、明言できそうもない。福島原発に溜まりにたまった汚染地下水の処分についての明瞭な目鼻はいまどうついたというのだろう。福島原発の被った災害は世界中に衝撃を与えた。「日本のような科学が進歩している国ですらこのありさま」という深い反省から、ドイツは原発を廃止する決断をした。ところがいまだに日本は、何やらかにやら理屈をつけて原発を維持しようという考えを捨てない。このような狐疑逡巡が日本で続けば続くほど、東日本大震災の主要な側面は人災だということになろう。人災は人間が起こしたものであるがゆえに、人間がもっとも対処しにくい災難となる。いまでも話題にはなるのだ。当時たまにこういう会話があった。某君いわく、女川原発は、市街地女川がほぼ全滅したのに、ちゃんと生き残ったじゃないか。別の某君たしなめて曰く、女川湾が特殊の地形でもあった。津波襲来当時かなりの数の住民がなんと女川原発の屋根の上に退避した。この人々は助かった。震災当時東北大学はうんともすうとも音を出さなかったが、仙台にいた弟はおそらく東北大学方面から原発にかんするさまざまの思考を漏れ聞いていたのに違いない。であれば、福島の放射能が仙台市までくると確信したのだろう。この河北新報は、はっきり言って福島を二次的に扱った・そもそも社員が平時でも福島に10人といない。都会地と全国紙が原発中心のニュース展開しているとき、河北新報はむしろ岩手や宮城の「普通の」震災を主眼にした・ある意味で当時としてはユニークなのだ。中国人留学生が中国本国の通達で本国に帰ろうとして・踏みとどまった「美談」がこの本に記録されているが、米国本国はいち早く日本は危険とみて、居住している米国人を日本から脱出させる緊急決定をした。おかげでそれまでたくさん日本にいた米国人英語教師がどんどんいなくなってしまって、日本の英会話教育はとん挫した。宮城県は女川原発を擁するので元来発言する能力をもっているが、まるでタブーのように原発を語らない仙台。語ってゆけば話題にきりがないなあ。
2022-11-11 10:02:00
読書の感想。河北新報社『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙 それでも新聞をつくり続けた』文芸春秋、2011年。
2011年に起こった東日本大震災に対処して、仙台市に本社がある東北地元の新聞社・河北新報社がどのように存続し、地元に寄り添った新聞作りを行ったのかという真摯な記録。震災当時は不本意ながら目を背ける心理が働いていた本を改めていま読む。読後に不思議と残る爽快感は、自然災害を相手に人間同士の扶助と共感の努力がもたらすもので、これが人間同士の醜いエゴのぶつかり合いである戦争・戦乱であれば、どっちが勝った戦争であれ後日に爽やかさなど残りようもなかろう。本書は、当時の地域的な記述を読みながら、そこに生きた人々の心理や感情が、よくうかがい知ることができる。(当時名取市に生きた方々の心細い心理、当時仙台市にあって、福島の放射能の影響をひじょうに恐れていた弟の心理、よくわかる。救援物資を送ったら、自分はこれをとりに自転車で向かうのだが、空中に放射能の危険が高いのだぞと叱られた。)いま私たちはコロナの流行(もう三年になる)と戦っているが、生きる条件を捜しつつ、家族を地域を社会を、とにかく存続させようとしている。いまこの当時の河北新報の記録を読むにつけても、自然災害であるコロナ禍に対して、人間同士の助け合いで切り抜けられないはずはないという思いを強くする。