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2022-11-08 09:37:00
「気」、総画六、一年生、部首「きがまえ」部首内画数二、読み、キ、ケ。
部首「きがまえ」の意味、「息が折れ曲がりながら出てくる様子」、漢字「気」は、その下に「米」を合わせている。米をふかすとはに出る蒸気のことだという。雲気、空気。この部首に属する常用漢字は「気」しかない。
注意した熟語。「気合い」「気運」「気鋭」「気炎」「気概」「気懸かり」「気管支」「気孔」「気骨」「気象」「気色」「気色ばむ」「気動車」「気迫」「気品」「気風」「気密」。「気合い」きあい、「ぴんとはりつめた、いきおいのある気持ち。」、「気運」きうん、「ものごとがある方向にうつりうごいているようす。」、「気鋭」きえい、「意気ごみのするどいこと。」、「気炎」きえん、「さかんな意気。」、「気概」きがい、「ものごとに負けまいとする強い心。」、「気懸り」きがかり、「心配なこと。」、「気管支」きかんし、「気管の下から左右にわかれ、肺臓にはいる二本のくだ。」(人体内部の機関を漢字で言い表しているので、医学上など、貴重な表現方法ではなかろうか。)「気孔」きこう、「植物の葉のうらにあって、空気や水じょう気の出入りする穴。」(理科)、「気骨」きこつ、「自分で正しいとおもったことを、まげないで実行する強い心。」、「気象」きしょう、「はれ・くもり・雨・風などの大気に生ずるありさま。」、「気色」きしょく、「気持ちが顔にあらわれること。かおいろ。」、「気色ばむ」けしきばむ、「むっとしておこった顔つきをする。」、「気動車」きどうしゃ、「ガソリンカーやジーゼルカーのように、エンジンを車体につけてレールの上を走る客車や貨車。」、「気迫」きはく、「おしせまるような意気ごみ。」、「気品」きひん、「どことなく上品なこと。」、「気風」きふう、「ある地方や団体の人々にみられる共通のふんいき。」、「汽笛」きてき、「空気やガスなどの気体を、自由にとおさないこと。」以上小学館『例解学習漢字辞典』を主な参考にした。熟語の説明は、同辞典により、小学生が読みやすい表し方になっている。
2022-11-06 16:56:00
「学」、総画、八、1年生、部首内五画、読み、ガク、まなぶ、意味、勉強する。
以前は、冠の部分がもっと難しい字になっていた。画数の数え方に注意。
部首 子の部(こ、こへん)、三画、意味、子供に関係する。
字の例、子孔字存孝季学孤孫。
注目した熟語、「子午線」「子爵」「子女」「子息」「子弟」「子房」「子葉」。
「子午線」しごせん、「地球上のある位置の真上の空と、北極・南極を結ぶ線。イコール、経線。」
「子爵」ししゃく、「昔の華族の位の一つ。五つの位の内の四番目。」
「子弟」してい、わかもの。歳の少ない者。」
「子女」しじょ、「女の子。」
「子息」しそく、「息子。」
「子房」しぼう、「花のめしべの下のほうの膨れた部分で、実のなるところ。」
「子葉」しよう、「種から芽が出るとき、始めに出てくる葉。」
小学館『例解学習漢字辞典』昭和56年、を主な参考にした。熟語の選択や説明が、小学生の学習内容に合うのではないか。
「学」の熟語は、省略した。取捨選択に困るほど、多い。
2022-11-05 12:14:00
「花」、総画七、1年生、くさかんむり、部首内で四画、読み、カ、はな、
部首の意味、草の生えている様子、草の種類や状態を表す漢字。しかし例示してみると、草とはまつたく関係なさそうな文字が大量に加わる。例示、芋芝花芸芳苦英芽若茂茎苗茶草荘荒荷華菜著菊菌菓落葉葬蒸蓄蔵薬薄薦薪薫藩など。
字の成り立ち。草冠は「草」を表し、脚の「化」は、「姿が変わる」ことを表す。
この「花」という文字は、「ヒ」のところで、①右から入る。②突き出ない。③ここを先に書く。ことに注意しよう。
熟語。「花嫁」「花婿」「花冠」「花鳥風月」「花曇り」「花言葉」「花祭り」「花道」「花文字」を注目する。
「花嫁」は、はなよめ。「盛りで美しい」。なるほど。では「花婿」はなむこは、「お婿さんを讃えている。」このほうも「盛りで美しい」けどね。「花冠」かかん、「一つの花の花びらの集まり」。「花鳥風月」かちょうふうげつ、「自然の美しい景色」「風流」。まさに東洋的美観だね。「花曇り」はなぐもり、「桜の咲く頃、空がどんより曇ること」。つまり、特定の花曇りを表すのだ。「花言葉」はなことば、「いろいろな花に、その花に合うような意味を持たせた言い方」。例、パラ(愛情)、ユリ(純潔)、クローバー(幸福)。「花祭り」はなまつり、「四月八日釈迦誕生日。釈迦の像に甘茶をかける。」「花道」はなみち、「劇場で客席の間にあって、役者が舞台に出入りする細道。」「花文字」はなもじ、「ローマ字などの頭文字。」以上小学館『学習漢字辞典』昭和56年、を参考にした。
2022-11-04 21:41:00
私は、日本の古文が、よくわかったと思ったことがない。学習しても、どうも服の上から体をかいているような感じで、どうもぴったりと来ない。はやく言えば、よそよそしく感じる。数日前、大野 晋『日本語の年輪』新潮文庫、平成11年、を読んだ。最初はこの本の後半部の「日本語の歴史」を読んでいたが、やがて前半部の「美、祈りと願い、尊敬の論理等々」を古代人がどう表現してきたかという実例を読んだ。読みながら、たいへん面白くは感じた。しかしはっきり言って、「それが私の関心事か、それが日本語の問題か」というところがピンとこない。ところで、「若い人たち」の編の中の「おしゃれ」の項で、「されこうべ」の事例を、「雨風に打たれて打ち捨てられた人の首をされこうべという」(150頁)の箇所で、「おや」と思った。この例なら知っている。私は東北の田舎で成長した。農村地帯である。普段子供の世界ではむろん東北弁しか使わない。「だれだれはこういうことを『され忘れてけつかった』」と使った。この「され」は大野先生が指摘される「すつかり」という意味である。私はたと思うには、私は言葉というものは「標準語」だけを問題にするものかと思いこんでいた。私は子供のころ「標準語」などめつたに話したことはない。普段は東北弁だ。それもおおらかに語る。私の母が昔笑って聞かせてくれた。ある日の学校参観日、国語の授業で、先生は「鯛」を示して、「何ですか」と聞いたら、生徒は一斉に「チツヅ」(東北弁で吉次のこと)と答えたと。生徒は鯛など食ったことがないのだ。この「チツヅ」こそむしろヤマトコトバだ。方言の口語の中にこそ、ヤマトコトバが躍動しているのかもしれない。標準語でのみ言語を考えるというのは、当たらないな。
2022-11-04 21:11:00
英語のいわゆる「やまとことば」と、英語全体との関係は、たいへん明瞭である。古代以来ヨーロッパ大陸からいろいろな勢力が英国にやってきて、それも支配者としてやってきて、従来の英国民と混血して現在の英国民となった。その過程で、ヨーロッパ大陸から入ってきた言語は、論理的で、長い綴りの語が多く、それらの代表は「ラテン語」であろう。(知っての通り、ギリシャ語、ラテン語は、小欧州の多くの民族の言語に巨大な影響をもたらした「共通的部分」である。なにせキリスト教がこの世界を風靡し、ラテン語は聖なる言語として君臨した。欧米で古典教育といえば、ギリシャ語・ラテン語による教育である。どことなくアジアの古漢文世界と通じる気味がある。)近代でも、ラテン語には科学の用語としての地位があり、法律の文書の正式用語でもあった。さて、英国に戻ると、いわゆる「英国のやまとことば」は、感覚的感情的情緒的な語が多く、綴りは短い。どうしても多義的になる。こういう短い単語ばかりでまくしたてられると、外国人にはなにがなにやらさっぱりわからない。「ほわっちゅーあいど」と走り去る車からどなられると、あぜんとするしかないが、「なにみてけつかる」という程度の意味か。eyeという徹底して身近で、短い単語を感情的に使っている。まあこんな具合。