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2024-05-30 05:50:00
日本手話を、どう考えるか、という問題について、アメリカン・サイン・ランゲジ、ASL、を念頭においてみませんか、と提言した。私は1980年代に米国滞在中、アメリカン・サイン・ランゲジに出会い、大きな感銘を受けた。その私の経験をお話しするよりも、今日のネット時代だ、ネットから学ぶのが早道だろう。
まず、「アメリカン サイン ランゲジ」または「ASL」と入力して、検索してくださいよ。
ぞろっと興味深い記事が出てくる。「識者」だとおっしゃる人々は(新聞も含めてかんがえてよかろう)、この記事の全体から知られる「アメリカン サイン ランゲジ」のありようと、今回の札幌地裁の判決と、比べて、「何かいう事はありませんか」。
なにも言えない、言わない、としたら、あなたは痴人だ。
特に日本の社会福祉という重要な職域にある人々に、発言をお願いしたい。
2024-05-27 12:23:00
道新5/25,31ページにのった 日本手話授業権利認めず 札幌地裁 原告の請求棄却 という記事。これまで道立札幌聾学校で日本手話を習って、普段の生活の上で生かしていた児童が、従来は担任が日本手話ができたので良かったが、そのような担任がいなくなってしまって、落胆している、教育上その機会を作ってほしいという訴えについて、札幌地裁がこの程「同校が日本手話授業はしないが、日本語対応手話や動画など他のコミュニケーション手段を使って授業いることは不合理ではない」として、訴えを却下したというニュース。私はこの記事を読んで、まことに割り切れない思いをしている。この問題は、日本語に依存しない手話である「日本手話」を、聾学校が拒絶することの是非が基本論点であろう。ひとつ伺いたい。日本の識者は、この問題はg7諸国、例えばアメリカ合衆国であればどうなっているか、知ろうとは思わないのか。例えばアメリカ合衆国の場合、英語に依存しないアメリカン・サイン・ランゲジ(手話)をこの日本のありようのように拒絶しているかね。新聞社だって無関係ではないよ。私の問に答えてください。
2024-04-08 15:23:00
ハマスと即時交渉妥結して人質を取り戻せということを政府に求める大人数のデモがイスラエルで行われたことを伝える記事。写真がついている。ガザ現地でのイスラエル軍の強引な「民族虐殺行為」をもうこれ以上続けるなという「イスラエル国内での意思表示」だ。イスラエル軍の非人道的横着は、ついに自国民からすらノーの反対を受けるに至った。/イスラエルが「他民族虐殺」を即刻辞めないと、やがて歴史は、イスラエルそれ自体に「抹殺」の運命をやむをえなくする日が来るかもしれないよ。
2024-04-07 09:12:00
「新刊書店」はいまや地区には指折り数える数しかない。その新刊書店が中にあるスーパーは、そのスーパー自体はよく利用する。外側の広大な駐車場がいつもほとんど満杯。今日は急いでいたので、今まで利用したことがない屋上駐車場を使った。これは、すぐ駐車位置が見つかり、もよりの入り口から店内にエスカレータで2回分降りると店内。幸い書店はすぐ見つかった。/中に入ると、雑誌が大量に「立てた姿」で展示されていて壮観。ただ、目的の冊子を捜そうとすると、とても探しにくい。込み合っているカウンターの一角で、店員に所在を聞いた。かれといえども空で覚えてはいない。目の前のパソコンに誌名を入力して探す。「それはありません。店に注文していただければお取り寄せします。」はあ、ダメか。/こういう方法で来店することは二度となかろう。店頭にはなんの感興も覚えない。どこかの喫茶店の一角で、「新刊の注文を受け付ける」ようにした方がいいくらいだ。/アマゾンに注文。1700円だが、新刊の場合の送料はかからない。古書を注文すれば、1500円たが、送料は間違いなくかかる。数日後に配達されてくるだろう。/国家社会はべつに何の政策を打ったわけではないが、新刊や多くの古書は、通信販売でパソコンから注文するのが定例になってしまった。
2024-04-06 08:05:00
「単発」ではどうということのないニュースだが、その「単発ニュース」がたくさん集まると、やはり札幌も大きく変貌しつつある、ということになるだう。/野外でジンギスカン鍋をするのは、札幌市民の従来当然の「風習」だった。しかしその煙や独特のにおいや、その周辺がこ汚くなることやは、マイナス面であって、会場の周辺がこのマイナス面に拒否反応をはっきり表せば、この懐かしい風景は存続できなくなる。仕方がないね。/北海道新聞の文化教室などが、これからは創成川を超えた東側の会場に移動するという。大通りがだんだん過密になってきて、従来の大通りを構成していたイメージがちょつとずつ拡散してゆく。仕方がないね。道新があそこにあり、東京三菱銀行があそこにあり、北海道銀行本店があそこにあり、なぞという固定観念が少しずつ変化せざるを得ない。仕方がないね。私が札幌に初めて定着したころは、北海道銀行本店で昼休みになったときには、ちょっと昼休みの時間を過ごそうかという範囲が、非常に狭かった。タイムス食堂というのがあったが。これは誰でも入れる非常に広い食堂だった。まあなんでも変化してゆくのが当然だろう。あの北海道拓殖銀行本店が消滅したのが、なんといっても大変化だった。