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2020-05-14 07:58:00
コロナ禍の日本国内統計を見ると、数地域では、拡大傾向にあるという問題。★欧米では今、膨大な感染者と死亡者を抱えながら、経済の段階的回復を急いでいるようで、欧米は「それでいい論拠」(あくまでひとつの論拠だが)として、「コロナ禍の拡大傾向が減退に転じる様相が認められる」としているようだ。★しかし日本国内では、例えば東京都心部は「コロナ拡大傾向」だし、北海道もまた、統計上は「コロナ拡大傾向」だ。東京都の場合には「富裕層が生活する領域」にそういう傾向が強いとか、こういうことには「地域的特殊性」があろう。それにしても日本の「数地域」にだけ「拡大傾向」を残すが、どうして日本全体としては感染者数も死亡者数も欧米よりは遥かに少なく、拡大傾向もないのか。この問題をどう考えるか。★PRESIDENT Online 5月7日配信記事。世界中で日本だけ「コロナ感染のグラフがおかしい」という不気味。「統計データ分析家」を名乗る本川 裕さんの詳細な記事である。「不気味」と言っているが、決して悪い意味ではない。まあ「不審」とでも言っておけばよかった。欧米で一様に「減少傾向」が見られるのが、どうして日本の一部地区だけでは「増加傾向」なのかという「不審」を吟味しておられる。★わたしは「減少傾向」という文句を使ったが、本川さんは終始「横這い傾向」という文句を使い、「日本全体」なら安心してよいなどとは言っておられない。「3万人の者が2万人に減少した」のと「100人の者が200人に増加した」という話を「趨勢」だけを問題にして比較考証するのもどんなものかというツイートを書いていた御仁もあったが、かといってこういう「趨勢」を無視していいことにもなるまい。★本川さんは、「どうして日本では他国のように収束へ向かう横ばい化への転換がなかなか認められないのか」の原因として、次の3つがあるとする。1.感染拡大防止対策の違い。2.もともとの体質や生活習慣の差、3.ウイルスの変異。1と2は、読んでいただければわかる。問題は3だ。本川さんは3月以降の欧米型コロナの日本への流入を要因として挙げている。★わたしがこの「お知らせ」5/12で取り上げたコロナウイールスK型による集団感染・集団免疫が起きていたのではないのか、というのは、本川さんの想定には入っていない。みなさんも、考えてごらんなさいよ。
2020-05-12 18:29:00
火曜日・曇・札幌。★なぜコロナ禍による死者が欧米では激増しているのに、日本では割合が極めて低いという不思議について、5月11日夕刊フジ配信の次の記事は、じつに興味深い指摘を行っている。新型コロナ、日本人の低死亡率に新仮説...すでに「集団免疫」が確立されている?識者「入国制限の遅れが結果的に奏功か」。★コロナウイールスには、S型とK型とG型とあるんだそうだ。そしてG型は、武漢発症G型とそれが上海に移って突然変異した、より毒性の強いG型とがあるんだそうだ。★日本はたまたま欧米とくらベると中国からの菌の流入の遮断が遅れた。幸か不幸かこの遅れのために、日本ではK型の感染が実は相当に進んでいて、このK型のコロナ菌の特性が「この細胞性免疫には感染予防能力がある」ために、日本国内に「集団感染による集団免疫」が出来上がっていた、というのである。★実に都合のいい結論だと思わぬでもないが、それにしても耳よりの話だ。もしそうなら、欧米はこれからでもK型による集団免疫を作ればいいだけではないのか。★京都大学の上久保康彦教授と吉備国際大学高橋敦教授らによる仮説だという。本当であれば、容易ならぬ吉報である。みなさんは直接記事に当たって確かめられよ。
2020-05-11 22:32:00
国家資本主義の下で、資本主義が再生される道筋をみたい、と言ったが、「16‐19世紀」の歴史状況のままで見るわけではない。★大前研一氏がその著書『新・資本論』で述べた論旨、従来の社会を「旧大陸」と称するとして、目の前に「新大陸」が発展している、1.グローバリズム、2.サイバー社会、3.マルチチュード経済、と、大前氏は3つのモメントで「新大陸」を紹介した。★世界はコロナ禍の下にあっても、この3つのモメントも消失したというのではない。この「新大陸」という要素は、「16‐19世紀」では思いも及ばない。この3つのモメントは、基本的にはコロナ禍の下でも存在している。(むろん、その姿を、かなり変えてはいる。)★グローバリズムは、たしかに当面一国至上主義の前に影を薄くした面がある。各国の現在のコロナ禍との対応は、各国の主権を賭けての政策による。しかし他方で、現在ほどコロナ対策の国際協力が希求されているときは少なかろう。また、諸国間の自由貿易を想定しなければ、各国は物質的にすぐ行き詰まると認識されているのは確かである。★サイバー社会は、いま窮余の策とばかり、まるで狂ったように希求されている。★経済のマルチチュードはどうだ。これはすこし難しい点だ。「マルチチュード」とは一体どういうことか、と言うこと自体が、人々の知見にまだあまり馴染んでいない。(さてこのマルチチュードなるものが、コロナ禍後はどうなるのか、ということさ)この議論が、コロナ禍後の国家資本主義のいちばんありありとした姿を示すのではないだろうか。
2020-05-11 19:28:00
かなり長期にわたることは間違いないが、いずれこのコロナ禍が収まる日がやってくる。この異常な期間の後では、現在の社会経済体制はおそらく大変化していざるを得ない。根本的に、なにが変化しているか、ある程度模索している必要があろう。今後こういう試みを時々やってみたい。★その際、突如引き起こされる世界大戦争によって、世界がどうしようもないことになっている可能性は、脇に置いておきたい。そういう狂気が人類を支配する可能性がないとは言えない。しかしあえてこの可能性を度外視しておきたい。★「異常な期間」の後にまちがいなくあとに残っているのは、膨大に創出された国家信用によって、社会経済体制がなんとか支えられている姿である。存在するもっとも巨大な信用は、国家信用であって、これによって社会経済が枠づけられている。資本と言う信用の姿は、すっかり国家信用に覆いつくされているだろう。体制としては、これは国家資本主義だな。社会主義でも共産主義でもない。ただ、私的資本の「私的」というありようは、大きく変容しているだろう。「株式会社」「法人」というありようは、大きく変容せざるを得ないだろう。★ときどき考えてみたい。★こう書いていて感じるのは、私は、資本主義が歴史的に・世界史的に「再生される」仕方を思い描いて居るということだ。そういうことなら、「アナロジー」として、ヨーロッパ資本主義が生成された道筋を思い浮かべて、それが「国家資本主義的」に再生されるとどういうことになるのか、考えてみるのが具体的手掛かりとなろう。