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2020-05-11 22:32:00
国家資本主義の下で、資本主義が再生される道筋をみたい、と言ったが、「16‐19世紀」の歴史状況のままで見るわけではない。★大前研一氏がその著書『新・資本論』で述べた論旨、従来の社会を「旧大陸」と称するとして、目の前に「新大陸」が発展している、1.グローバリズム、2.サイバー社会、3.マルチチュード経済、と、大前氏は3つのモメントで「新大陸」を紹介した。★世界はコロナ禍の下にあっても、この3つのモメントも消失したというのではない。この「新大陸」という要素は、「16‐19世紀」では思いも及ばない。この3つのモメントは、基本的にはコロナ禍の下でも存在している。(むろん、その姿を、かなり変えてはいる。)★グローバリズムは、たしかに当面一国至上主義の前に影を薄くした面がある。各国の現在のコロナ禍との対応は、各国の主権を賭けての政策による。しかし他方で、現在ほどコロナ対策の国際協力が希求されているときは少なかろう。また、諸国間の自由貿易を想定しなければ、各国は物質的にすぐ行き詰まると認識されているのは確かである。★サイバー社会は、いま窮余の策とばかり、まるで狂ったように希求されている。★経済のマルチチュードはどうだ。これはすこし難しい点だ。「マルチチュード」とは一体どういうことか、と言うこと自体が、人々の知見にまだあまり馴染んでいない。(さてこのマルチチュードなるものが、コロナ禍後はどうなるのか、ということさ)この議論が、コロナ禍後の国家資本主義のいちばんありありとした姿を示すのではないだろうか。