インフォメーション
山上被疑者による安倍元首相銃撃事件。この欄で私は7月10日に、「とっさには隠れていた構図」と書いた。その後事件のこの「もう一つの構図」は、社会の自覚するところとなって、これまでの2か月余の間に、大変な広がりを見せることになった。この「広がり」の下で社会が現に行っていることの「内容」を、ある「メディア研究者」は、まるで彫刻を行うような綿密な文体で明らかにしておられる。北海道新聞8月18日号18頁「各自核論」中の石田英敬氏執筆「元首相銃撃めぐる新聞報道 長期的視点で深堀りを」のことである。文章の前半は、事件の背景になった旧統一教会の名前が話題として週刊誌や民間テレビ放送に現れるようになって、この旧統一教会に関わる疑惑がどんどん膨らんでいったので、あたかも「民主主義の危機」が、選挙期間中の選挙応援演説者の暗殺という「犯罪」の意味とあい並んで、「反社会的な宗教集団であるカルトと政治家との関係、さらには宗教右派と自民党右派との結びつきの問題」という「民主主義のもう一つの危機が目立たぬ形で進行していたのではないか」という「犯罪」が注目されるようになったとする。タイトルの「長期的な視点で深堀りを」が必要とされるのは、明らかにこの後者の問題だ。(論者によっては、これはまさに、日本において、冷戦終結・55年体制幕引き以降の1990年代から今日までの約30年間、いわゆる「右派」が政治の中核になってきた状況を徹底解剖して反省する社会問題となろう。それがカルト宗教という方面から問題となってきたわけだ。)この文章の後半は、筆者がどの論点を中心に「深堀り」を進めようというのかを紹介する。1. 旧統一教会と実際の政治家との結びつき、一般に宗教右派と自民党との関係、それは民主主義にどのような影響を与えてきたか。2. 政権与党はこういう問題を回避して乗り切ろうとしているが、国民の間に強い疑惑の念があることは確かである。3. 国民は正確・豊富な情報をいま求めている。/皆さんは容易に、この20日間の間に進行した事柄を承知しておられよう。実に過去2か月、午後1時55分から北海道であれば、特にSTVとHBCが行ってきた特集番組は、事態の「深堀り」の糧となった。
8月6日北海道新聞5頁の旧統一教会の名称変更問題を扱った記事の題名。旧統一教会の名称の変更を2015年になぜ文科省が承認したかについて、現文科相の見解は「教団の申請書類が要件を満たしていたから、受理を拒むことは行政上の不作為として違法性を問われる恐れがある」からとしている。/それにしても1997年以来長きにわたって文科省が受け付けようとはしなかった案件をなぜ突如2015年になつたときに、という疑問が誰にでも残るだろう。私、同じような話が安倍氏時代にあったのを図らずも思い出した。例の加計学園。四国に獣医学部の新設を出願し、承認された。この獣医学部の新設は当時まて長い年間続いた「文科省の岩盤規制」を「突破」したものだと批評された。問題は、どうしてその「突破」が、「加計学園」の手で、「四国」に、行われたのかという疑問だ。これはそもそもまともな話だったのだろうか。この件との類推である。/思えば事件以来約1か月。旧統一教会問題は、最初週刊誌とスポーツ新聞とブログ、少し間をおいてテレビと一般新聞が取り上げるようになった。ところが今になってもほとんど問題を取り上げないテレビ局があるのはどうゆうわけだろう。HBC,STV,HTBは取り上げているが、UHB,TVHではあまり見かけない。BS局の多くは取り上げない。NHKが取り上げるのを私は見たことがない。こうも極端になると、何か局として声明なり、釈明なりが必要ではないか。
これは、今日8月5日の北海道新聞7頁に掲載された社説の題。「旧統一教会を巡り、自民党を中心に国会議員との関係が次々に明らかになっている」ことを議会制民主主義上の重大事と考え、各政党はきっぱりと教団との関係を絶てと提言している。特に自民党の場合として、安倍氏の祖父岸氏以来の旧統一教会とのつながりを指摘し、自民党は従来の経緯を含めて調査すべきだとする。また、安倍政権下の2015年に教団の名称変更を認めた問題をとらえ、真相を明らかにせよとする。「社会の公器」が過去1か月続いた旧統一教会論議について「社説」の形式で発言した貴重な瞬間である。/今晩8月5日のBS-ТBS午後9時30分「報道1930『トランプ復活』裏側米政治動かす宗教右派 旧統一教会との接点も」は、視聴していて、「日本では今後はこういう形で旧統一教会をよいしょしようというのか」という危惧を感じた。ヨーロッパの宗教観であればフランスの「カルト禁止法」のようなニュアンスで旧統一教会に対応することになろうが、ここに米国の「米国独特の宗教観」を持ち出してくれば、旧統一教会観も違ってくる。今般のBS-TBSはフランスのカルト禁止法にはほとんど触れることなく、もっぱら米国の独特の宗教観を前面に持ち出した。さあ、社会の公器も大変だ。こういう国際比較も念頭に置いて日本の「政教分離」がいかにあるべきかを考えてゆこうではないか。この問題は逃げては通れない。
ブログに、7月25日配信、テレビ朝日ニュース、『なぜ?「BA.5」急拡大のポルトガル 行動制限なしで終息へ』。この記事によると、ポルトガルでは4-5月には感染の急拡大があったが、6-7月になったら、急激に落ち着いたと。今では多くの市民は自由に行動しており、80歳以下ではたとえ罹病しても問題にならない程度の病状であると。但し80歳代以上で基礎疾患のある人の死亡率は高いのだと。/ 私は、自分自身の指標としては、高齢者で基礎疾患のある人はたとえ4回の接種が済んでいても、超慎重な行動が求められるが、それ以外の人々はたとえ罹病しても自宅療養を基本とし、普通の人々はマスクと手指の消毒を励行する程度でかなり自由に行動してもいい、と考えたい。実際昨日あたりから、うちの前を通る人々は半数がマスクを外していた。
7月24日道新2頁「旧統一教会と自民党保守派 政治理念 浮かぶ共通点 同性婚反対や改憲」。議会制民主政治の前提である政教分離原則の問題よりも以上に、旧統一教会は超保守的理念の点で自民党保守派と接近・協調していたと指摘する。/まあ米国などでも妊娠中絶を違法としようとする「超保守的政治」が存在するので、なかなか大変だが。/安倍政治はまだ評価すら定まっていない。アベノミクスの中心になるのは人も知る日本銀行の超低金利政策だが、これがこのままで現在の政権政党の指導者たちの支えうるものとなるものかどうか、というごく大事な問題ですら、「支え手」がいるのかね。いたら改めてその覚悟のほどを国民に聞かせていただきたい。今日の道新7頁社説「日銀の金融政策 国民の理解を得る努力を」は、この点を衝いている。