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コロナ禍でどうしても逼塞が続く。自宅で時間を過ごす生活で、新聞やテレビは重要な要素だ。そして読書もまた、重要な要素。この際ワンパターンの読書ではなくて、いろいろと方向の違う種類のものを読みたいが、そういう読み方は新刊では到底果たしがたい(新刊はどうしもワンパターンになつてしまう)。古書はそこへ行くと違う種類のものを潤沢に提供してくれる。新聞・テレビ・ネットは、「今の問題の今の見方」で問題を出してくるが、読書ははるかに広く、長い時間の問題提起をしてくれる。昨日入手した10冊の本は、全部でたったの2千円、その中にキツシンジャーが2001年に出版した本があり、いまのウクライナ危機で攻勢一本やりでない議論をしているとネットで伝えられている人物がじつはキッシンジャーだったので、これを買う気を起こした。お値段たったの110円。
Henry Kissinger, "Does America Need a Foreign Policy? Toward a Diplomacy for the 21st Century.", Simon & Schuster, 2001.
この人物は、ニクソン大統領が米中和解をしたときに米国の外交を代表していた。この米中和解に我が国の田中首相も乗って、日中和解をした。いいも悪いもない、これが史実。
外国の本は、巻を開くや否や、本の狙い、本の眼目、をさっとわからせてくれる。大きい話から分からせ、小さい話に運んでゆく。キッシンジャー氏は、第二次大戦後の米国の外交基調は、1.冷戦期、2.ポスト・ベトナム戦争、3.いまの「グローバリズム」、と経過してきたが、だんだん国民的に、外交というものがスポイルされるようになってきたという強い感触を持っているようだ。「米欧(日本もその中に入れてくれている)世界内部をみるように世界を見るのは不適当」と考えるわけで、したがって非米欧世界に対処するには特に外交のありようを吟味すべきだとしているわけだ。ましてや、21世紀の世界を見るときに、グローバリズムという経済基調の「秩序」と世界の現実の政治秩序を同一視するようなことがあってはならぬと。
これはおのずと、「経済制裁」を主要な攻撃手段としていることへの、「自戒」に繋がろう。その程度には、だれでも読めると思う。
キッシンジャー氏は、世界を、民主主義の世界(欧米)、民主主義の世界(アメリカ大陸)、アジア、中近東、アフリカと分けている。さてロシアはどこへ入るのか。 「アジア」に入れている。そして面白いことに、民主主義の世界(欧米)の説き起こしが、欧州の指導者たちが、ロシアの指導者(エリツィン、プーチン)との交渉をもとに、欧米関係を相対化しようとする傾向を指摘し、「いったい何をもとにロシアの指導者を協調者に選んだのか」「原則もへったくれもない情緒的判断ではなかったのか」とまあきついことを言っている。
わが安倍前首相がこの本のさわりでも読んでいてくれたら、北方領土交渉があんな風には運ばなかったかもしれないな。いやいやこれはウクライナ危機とは関係のない独り言。
このところウクライナ危機はなにやら転機を求めて、微妙な動きをしているようだ。/「ウクライナ側」でも「ロシア側」でも、その内部から、「紛争の終息」を求める「声」があるようだ。近代の政治だもの、その内部に消極論もありうることは当然で、「一切消極論はない」ほうがよほど奇妙だろう。ただ、今までまつたく聞こえてこなかった消極論が今聞こえても来るということが、注目されるだけである。/なになに、NATOでも、東欧は主戦論がつよく、独仏は慎重論が強い? 当然の傾向かもしれぬ。/今日のニュースではバイデンもなにやら批判がましいことを言っていた? むろんだから急にウクライナ危機が終息するわけではあるまい。
最後の対中日3連戦で見せた日本ハムらしい戦いは、たとえリーグ順位が何であろうと、日ハム人気を再起動するきっかけになるだろう。
北海道神宮祭が6月14-16日に行われ、神輿が出るのは16日。そして札幌市中島公園で、14-16日、午前10時から午後7時まで、大掛かりな露店が出る。「6月は札幌が祭りのシーズン」というそのメインイベント。
いまの世間で、大勢を支配しているのは、コロナ禍とウクライナ危機である。どちらも元来が「非常事態」だ、とても普通の出来ごとではなく、「未来永劫に続く」ほど確固とした出来事とは到底思えないが、かといってそれが通り一遍には終息しそうもない。それにしてもコロナ禍のほうは、さすがにこう2-3年も続いてみれば、さすがにその「恒久性」には揺らぎが見えてきた。予防薬、対処薬もさすがに整ってきた。ところがウクライナ危機のほうは(まだ数か月だが)先の見通しというものが見難い。ロシア軍とウクライナ軍がウクライナ東部数州のところで「膠着」しているという程度にしか見えない。/そもそもこのウクライナ危機とは、戦争なのか、戦争ではないのか。ロシア軍が侵入軍だとはわかる。ではこの「戦争」は、ロシアが明瞭に宣戦布告して始まったものだろうか。宣戦布告があったとすれば、どういう「戦争名目」を明瞭に掲げたものだったのか。「戦争ではない」とすれば、ロシア軍は一体何をやっているのだろうか。ロシア軍がこういう「侵入」をする「大義名分」はどこにあるのか。どうして国連の常任理事国のひとつともあろう国が、こういう不思議な危機を巻き起こすのか。/私はわからぬことは無理にわかろうとは思わない。しかしわからないだけでは、盲目も同然だ。