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『太平記』に思う(3) 呪縛からの脱却
前回書いた戦時中の精神状態からの脱却は、1945年、私が国民学校(小学校)3年夏の日本敗戦と、引きつづく大量のてんやわんや状態の中で急激に進んだが、次の2件は特に印象に残った出来事だ。1つ。進駐軍兵士との最初の遭遇。なんでも大変暑い日だったと記憶している。私はたまたま日中一人で、西方隣町の(神明峠方面から)まつすぐ当町を通り抜けて東の町へ行く道路の片隅に立っていた。きっと何らかの理由で鉄道の駅へ行く途中だったと思う。突然西方から兵士1名の運転するジープがたいそうな速さで現れ、私の立っていたところから少し先で急停車した。5歳ぐらいの幼児がひょこひょこと路上に出て、轢かれたのである。兵士は正体のない幼児の体を抱きあげ、絶叫しながら大人の姿を探した。/私にはこれはまつたく思いがけないありようで、「鬼畜米英人」という思いは感じようがなく、その兵士に人間らしい人間の姿を見た。2つ。敗戦後間もない日のこと。何種類かの教科書を持参し、習字の用具も持参するという指示が出ていた。まだなじみのない教師の指示で、数日前まで使っていた教科書を開き、詳細に指示・指定された箇所を墨で塗りつぶして読めなくする作業が延々と続いた。「なぜそうする」という説明は一切なし。学校の教師の多くが近隣の学校の教師と交換されていた。/テクスト(文章)というものは、このように、後からすっかり消して、「ないものにする」ということができるものなのだと、強く感じた。
現実が壊れては、戦時中の精神状態は、とうていありうることではない。それにしても、それに伴う「甘美な思い出」は、それはそれとして、消えはしない。/こういうことに対して、古人は、「敬して、遠ざける」というが、むべなるかな。
『太平記』に思う(2)
『太平記』は、日本史の南北朝騒乱時代をえがくもの・北条氏滅亡から足利氏の勃興の経過をえがくもの・だが、私に深い思い入れがあるのは、往時、国民学校2年生の頃の思い出につながるからである。当時私は父親出征直後、家には母と私を頭に3人の幼児、それに祖父、という家族。なんら特別の収入はなく、「出征兵士の家」というご縁だけで生きていた。そもそも当時は買うものがほとんどないので、収入がなくとも生きていけたが。組の担任は加藤年子先生という方で、「父親のいない家庭」ということで、非常に配慮しておられた。組の黒板の脇に先生が整えた本類が一抱え置いてあって、組の学童は自由に持ち帰って読んでいいことになっていた。本は、日本の国ができたころの物語(天皇がこの国を統治する来歴)、南北朝騒乱の時代(楠木正成の話など宮方活躍の話)、今の日本の戦争で活躍した軍人の話、がその内容である。私はこれらの本の熱心な愛読者だった。あるとき加藤先生は私を呼んで言われた。君のお父さんは楠木正成のように天皇の命を守るため出征された。君はその子正行のようなものだ。よくお父さんの使命を理解し、お父さん不在の家を守るように。当時戦局は不利になっていたようだが、私は学校の行き帰りに空を仰いで、早く大人になったら、戦闘機の操縦桿を握ってあの大空を行き、戦果を挙げたいものだと、よく空想した。こういう歌がある。「あなものものし、八万騎、大将師直いずくにか、汝の首をとらずんば、ふたたび生きてかえるまじ」。
当アイランドコーポで、外壁と屋上の定期的塗装工事のため、9月中ご迷惑をかけていましたが、9日・土曜日、足場撤去の手順となりました。なお館内に塗装必要箇所2か所ありますが、いずれ済みます。長い間ご迷惑をおかけしていました。
『太平記』に思う
過日岩波文庫で『太平記』①を入手。長い間原書での入手を求めていたが、このほど2014年に岩波文庫により、6冊本で出ていることを古書店店頭で知り、その①(第1ー第8巻に当たる)を買った。800円。新刊だと1140円。/長い間この本への思い入れがあったが、書店で入手する機会がなかった。/さっそく読み始めて、いま一通り読み終わったところ。/たいへん読みやすい本で、別に辞書など引かなくとも、ときどき意味の通りにくい箇所で注を参照して、十分によみ進める。思うに、すでに内容のあらすじが初めから当方の頭の中にある。だから、まったく意外の筋書きが、現れるわけがない。/いったいに古文の学習をしようとすると、まず最初に出会うのが、「古文の標準」は平安朝の王朝文学だという言葉だが、この『太平記』は、漢文脈が文章の流れの中でぐんと色濃く、まさに「漢字かな交じり文」つまり現代日本語の特徴に近く、文中の「引用文」も古文だけでなく、漢文に由来する故事来歴がふんだんに表れて親しみやすく、文語調というより会話調に接近している。つまり要するに現代日本文への接近が強いから親しみやすいのである。/私に限って言うなら、古文の学習を王朝文学ではなくて、『太平記』のような軍記物から始めていればスムースだったろう。
雑紙(ざつがみ)とは。「札幌市中央区」のホームページの記載を参考に、記す。「雑紙の日」というのが、札幌市のごみ収集で、月2回ある。透明または半透明の袋を使い、無料。内容は、次のようだ。1.紙箱類。(むろん段ボール箱はだめ。菓子の箱とか、菓子の小片を入れてあった箱とか。箱を展開して捨てる。)2.紙缶・紙カップ・蓋類。3.シュレッダーに掛けて細分した紙片。4.包装紙・紙袋。トイレットペーパーの芯も、可。5.はがき・手紙・封筒・写真・カレンダー・レシート(領収書)。(しかし、牛乳のパックはダメ、それは容器プラのほうへ。)6.チラシ類・コピー用紙。(ホチキスで止めあってもいいという。)7.ノート・カタログ(集)・パンフレット。以上。*これまで事務方のゴミ捨てに困っていた。上記で言うと、3、5,6,7で大抵処理できそうだ。よほどプライベートなものは裁断すればよかろう。