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2016-09-03 17:27:00
古文に親しむには、テクストのほかに、古語辞典があったほうが良い。ましてや、私が今手にしているテクスト、『徒然草』新潮日本古典集成には、語句の非常に詳しい注はない(たしかに手軽な方が取りつきやすい)。しかし読んでいて引っ掛かりが生まれたら、引いて参考にできるものがほしい。そこで近所のブックオフへ行って、三省堂の『全訳読解古語辞典』2007年、というのを108円で買った。これは高校生用に出版された辞書で、たくさん図版や参考事項が記載されていて、読んでいて楽しそうだ。同じ辞書の小型版というのもあったが、原則として自宅に置くのだから、大型でよろしい。なによりも、大型版のほうが、活字が大きくて助かる。今後たんに三省堂『古語辞典』として引用するのは、すべてこの辞典のことである。★ ある年配以上の人は、一度書店へ行って、現在の中高校生がどんな辞典を使っているか、ごらんになるとよい。あなたの辞典も最近の辞典に買い替えてみたらどうか。実にぜいたくで、豊かな内容のものだ。
2016-09-03 01:27:00
9月2日・金曜日・ 日ハム、オリックス第1戦に、2対5で負ける。投手は有原。日ハムは最初リードしていたが、後半盛り返された。ソフトバンクは今日勝っているので、パリーグ首位ソフトバンクと2位日ハムのゲーム差は、1.5試合。ドンマイドンマイ。今日の日ハムの試合を見聞していると、チームの各選手が疲れているね。しかし9月は、どのチームも疲れているぞ。
2016-09-03 00:19:00
『徒然草』第59段 「大事を思ひ立たん人は、去りがたく心にかからん事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。」(仏道修行によって悟りを開くことを思い立つほどの人は、本当はやることが残っているんだなどということにかかずらわないで、そういうことどもをそのまますっかり捨てなければならないんだ。)で始まる段。「大事」などというと、赤穂浪士の敵討ちみたいに聞こえるが、ここではさにあらず。「仏道修行によって悟りを開くこと」である。★今日の世相では、若い者が老親に持ち物を捨てさせることを、言うようだ。「断捨離」だとね。老親が死んだあと、残った子供たちの面倒となるから、老親自身に持ち物をすっぱり整理させよという「世間の知恵」だ。実につまらない知恵ではないか。たとえば大量の古書を抱えている者は、札幌のブックオフを呼びさえすれば、喜んでやってきて、短時間で、舌なめずりするように本を回収してゆく。もっともブックオフは、カネはたいしてくれまいよ。「図書館に残す」とか、「故人の文庫の名を遺す」とか、いろんなことを考える若い人がいるが、100万に一つもそんなことは起こらない。図書館が迷惑な顔をしているだけだ。あとは何とでもなるから、老親に死ぬまでその家財道具と一緒におらせたいものだ。『徒然草』は大事を思う人はこういうものも捨てよと、「老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情け、捨てがたしとて捨てざらんや」という。★ ここに父親に捨てられた「いしどう丸」の悲話が後世出てくるんだね。「してして、くにはいずくで、なはなんと」「くにはつくしのまつらがた、加藤左衛門しげぅじが、わすれがたみのいしどうと」。これも因縁。
2016-09-02 22:17:00
『徒然草』第58段、「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんにかたかるべきかは」といふは、さらに後世知らぬ人なり。(仏心さえあるのなら、普通に家に住み、世間の人と交際していても、特に何の不都合もあるまい、という人がいるが、これでは仏心を知るものとはいえない)と書き起こされる段。私たちがよく「在家仏道」と呼んでいる信心の仕方を取り上げて、さすがに社会が進んできたのだから、まるっきり山野に生きるようなしかたではなくて、それなりに雨露を凌ぐ生活をすることになるのは当然だが、それにしても宮仕えをしたり、一家の大黒柱となって一家の面倒をみたりというような生活は思いも及ばず、日常きわめて質素な生活をすべきだろうというのである。その質素な生活を、「紙の衾、麻の衣、一鉢のもうけ、あかざのあつ物、いくばくか人の費えをなさん」と述べているが、不思議なことにこのように描かれているのはまさに私の日常の生活そのものですよ。★私に別に仏心も道心もないが、しかし結果的にはこの『徒然草』第58段は、いまのわたしのありようそのものです。私は近年新たに洋服も靴も買うことはなく、ご飯は一回に一膳と決めてそれ以上は食べず、おかずを支えているのはたいていうちの家庭菜園の収穫物です。直接には出費を減らそうという理由でこうなるが、実際にはそれで間に合っているのです。私のアパートで「シンプル・ライフ・プラン」などと呼号しているが、思うに私自身も極めてシンプル・ライフなのです。
2016-09-02 16:21:00
解説者の木藤才蔵さんは、『徒然草』の課題は、「無常」であろうと。しかしドナルド・キーンさんは、「暗示/不均整/簡素/無常」の4つが『徒然草』の課題であろうと。これは判断の基準が初めから違うのである。木藤さんは「人生どう生きる」を基準にする。ところがキーンさんは、「日本人の美意識」を思うとこれが「暗示/不均整/簡素/無常」の4つの要素から成り立っていると判断され、日本の古典『徒然草』の中にはこの4つの要素が見事に揃っているというのだ。★私は今はキーンさんを遠慮なく切り捨てて、木藤さんを優先する。★ 木藤さんによると、『徒然草』の中で「無常」という課題が特にめだつ段は次のとおりであると。すなわち、「『徒然草』の中で、人生の無常を説き、また、仏道修行に専念すべきことを説いている段は、49、58、59、74、75、108、112、137、155、166、174、188、189、241、242の諸段である。」(266頁)この中で木藤さんが「解説」冒頭で盛んに利用したのは、58,59,108,112,155段だ。ではこの第58段から読んでみよう。(さあみなさん、どんな版本の『徒然草』を持っていても、段さえ指定すれば、すぐご一緒に読めますよ。暇な人はご一緒にどうぞ。)★ 美意識だって。「色即是空」という言葉をご存知であろう。日本人は美を重んじる心はあっても、「美意識」を前面に立てることには(たとえかりそめでも)どうも気乗りがしないのだ。★ なお、中高校生諸君に言う。『徒然草』は国民的古典で、古文の重要教材だから、参考に私の文を読んで勉強にしよう、などとは思わないほうが良い。諸君の立派な教育環境からいうと、わたしの文は、諸君にためになることばかり書いているわけではないからだ。だから、読むな。仮に読んでも、一切話題にするな。