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2016-09-02 22:17:00
『徒然草』第58段、「道心あらば、住む所にしもよらじ。家にあり、人に交はるとも、後世を願はんにかたかるべきかは」といふは、さらに後世知らぬ人なり。(仏心さえあるのなら、普通に家に住み、世間の人と交際していても、特に何の不都合もあるまい、という人がいるが、これでは仏心を知るものとはいえない)と書き起こされる段。私たちがよく「在家仏道」と呼んでいる信心の仕方を取り上げて、さすがに社会が進んできたのだから、まるっきり山野に生きるようなしかたではなくて、それなりに雨露を凌ぐ生活をすることになるのは当然だが、それにしても宮仕えをしたり、一家の大黒柱となって一家の面倒をみたりというような生活は思いも及ばず、日常きわめて質素な生活をすべきだろうというのである。その質素な生活を、「紙の衾、麻の衣、一鉢のもうけ、あかざのあつ物、いくばくか人の費えをなさん」と述べているが、不思議なことにこのように描かれているのはまさに私の日常の生活そのものですよ。★私に別に仏心も道心もないが、しかし結果的にはこの『徒然草』第58段は、いまのわたしのありようそのものです。私は近年新たに洋服も靴も買うことはなく、ご飯は一回に一膳と決めてそれ以上は食べず、おかずを支えているのはたいていうちの家庭菜園の収穫物です。直接には出費を減らそうという理由でこうなるが、実際にはそれで間に合っているのです。私のアパートで「シンプル・ライフ・プラン」などと呼号しているが、思うに私自身も極めてシンプル・ライフなのです。