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2016-09-09 21:51:00
9月9日・金曜日 日本ハム、楽天に、8対2で勝つ。投手は増井。コボスタ宮城球場。ソフトバンクが今日は負けているので、日本ハムは今晩、パリーグ首位に立った。2位ソフトバンクとの試合差は、0.5. よかったね。★ なお今日の日、9月9日というのは、「九」が二つ重なるめでたい日。重陽の日(ちょうようのひ)という。昔はお祝いをしたので、「重陽の節句」という。宴会をすれば、「重陽の宴」ということになる。今晩日ハムのフアンがどこかでお祝いに「重陽の宴」を張っていれば、古式豊かで、めでたい。もっとも、この9月9日は、元来は陰暦で言うのです。★もともと奇数が二つ重なるのが、奇数は陽だから、めでたいので、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日。みなめでたい日なのです。なかでも九は、陽の極なので、9月9日が重陽の日というのです。よかったですね、陽選手。今日はあなたの日ですね。★ ちなみに平安時代の「重陽の宴」というのは、9月9日から10日の朝にかけて行われたそうです。もしこの日におごってくれるんなら、朝までおごってね。
2016-09-09 14:02:00
小西甚一『古文の読解』第1章「むかしのくらし」・「車さだめ」。平安時代に貴族が外出時に乗った乗り物の話で、当時は「牛車」を使った。牛に二輪の車を引かせ、それに乗るのである。今日なら乗用車に乗るところであろう。なにせ動力が牛だから、ずいぶんのろかったろう。ただ、当時の道路がそう良かったとは思えないから、牛にゆっくり引いてもらって、ようやく乗り心地が保てたものかもしれない。★ 例文 枕草紙より2編。「日さしあがりてぞおはします。御車ごめに十五。四つは尼の車。一の御車は唐車なり。それにつきてぞ尼の車、次に女房の十。(第262段)」、「檳榔毛は、のどかにやりたる。急ぎたるは、わろく見ゆ。網代は、走らせたる。人の門の前などよりわたりたるを、ふとみやるほどもなく過ぎて、供の人ばかり走るを、誰ならむと思ふこそをかしけれ。ゆるゆると久しくゆくは、いとわろし。(第30段)」★「御車ごめ」とは、いわば寝殿造り建築の外部に付属する「駐車場」ですね。この文では15台停まっているから、それなりに広い駐車場でしょうね。後の例文で「檳榔毛」(びろうげ)と「網代」(あじろ)と二種類の「牛車」(ぎっしゃ)を挙げて比較しているところを見ると、きっとこの二種類が代表なのでしょう。前者は高級車で、身分の高い人が乗り、ゆっくり動かすのが節度。後者はそれよりは身分の低い人が乗る車で、こちらはさっさと走らせるほうが「ナウい」。実物は絵か何かでみたほうがいいですよ。★ 私は千年一日のごとく、トヨタのスプリンターセダンに乗っていて、別の車に乗ろうと思ったことはありません。
2016-09-08 17:22:00
アイランドコーポに、一部屋を借りて、通年の外人用民宿に使いたいという問い合わせがありました。結論から言うと、会ってお話したうえで、お断りしました。こういう議論がまったくありえないということではありません。この人が事態をまったく心得ていないからです。★ ある部屋を民宿に生かそうと思えば、第一にしっかりした運営責任者がそこに自ら居住して、運営する必要があり、第二にしかるべき届け出をする必要があります。それ以外にもいろいろ留意事項がありますよ。来年4月ぐらいまでには、政府も、民宿に関するしっかりしたルールを確定するでしょう。だからこういうことがまったくかんがえられないというのではないんです。★ 部屋を借り、家具備品を入れ、客(たぶんに外国人ですが)を1泊から1週間程度有料で受け入れてもてなす責任は、借りた人がおとりになる。さあそれで、なるべく安く一部屋貸してくれないか。できれば2LDKぐらいの広いところがよろしい云々。★ この方が想定していらっしゃるように、そのようにかるがるとできるのなら、オーナー自身がとうの昔に仕掛けていますよ。なにやらという外国の民宿専門ネットワークに申し込んでおくだけで客がとれますし、ふだんネットを使うのと、英語や中国語を使う機会が多いだろうとはおもいますが。それはできないことではありません。★ 道新に小樽と室蘭で、300万円ぐらいの古家を買って民宿を始めた外国人の話が出ていました。札幌へ来ればさすが300万円の物件はありますまい。やはり最低でも1000万円ないし2000万円ぐらいみておく必要がありましょう。そういう一戸建ての家を買ってお始めになれば、私などと雑談している手間暇は免れるでしょうね。
2016-09-08 16:43:00
小西甚一『古文の読解』第1章「むかしの暮らし」・「あかずの格子」。この挿話の趣旨は簡単だ。平安時代の建築「寝殿造り」で、廊下と母屋である大部屋の間は、「格子」(こうし)で仕切られている。この格子の上の部分は、ピアノの蓋みたいに、上に揚げることができる。では下半分はどうか。「格子の下半分は固定されていて、動かせないのではないか」という解釈も多いが、実際は下半分も動かせて、ここから人が出入りしたのではないか、と小西さんは言う。証拠は次の通り。(ほかにも例文は出ていたが、省略しました。)「おうな」は翁の妻です。漢字がなくて出せません。 ★竹取物語より。「母屋の内には、女どもを番におきて守らす。おうな、塗籠の内にかぐや姫を抱かへており。翁も塗籠の戸をさして、戸口にをり。翁のいはく『かばかり守る所に、天の人にも負けなむや』と言ひて、屋の上にをる人々にいはく、『つゆも物空にかけらば、ふと射殺したまへ』。守る人々のいはく『かばかりして守るところに、蝙蝠(かはほり)ひとつだにあらば、まづ射殺して外にさらさむと思ひはべる』と言ふ。」★天のみ使いが降りてきて、結局抵抗できず、かぐや姫は月の都に帰ることになった。「『いざ、かぐや姫。きたなき所にいかで久しくおはせむ』と言ふ。たてこめたる所の戸、すなわちただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。おうな抱きてゐたるかぐや姫、外に出でぬ。え留めまじければ、たださし仰ぎて泣きをり。」★ 質問。この例文で、母屋の格子の下半分は、閉まっていてあかないものですか。それとも必要があれば開くものですか。答。後者です。塗籠とは、母屋の中の小さな部屋。
2016-09-08 10:29:00
『徒然草』第74段 「蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。」続けて言う。「高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕べに寝ねて、朝に起く。」兼好は、生の営みをこのように街頭に活写します。「いとなむところ何事ぞや。」(なんのためにこのような生の営みをしているのだろうか。)「生をむさぼり、利を求めて止む時なし。」(長生きすることのみ求め、営利を求めるばかりであろうが。) ★以上が前段です。人間の生の営みを街頭に活写する冒頭の文章が、印象深いですね。それだけに、人間が何を思ってそうするのかという結びが、苦々しいのです。★ つぎに後段です。人はこのような生の営みのうちに老いと死を待ちながら、「名利におぼれて」老いと死の近いことをいまは顧慮していない人もいるし、「常住ならんことを思ひて」(世間も自分の生活もいつまでもかわらなければよいと思いながら)現実にはそうはならないので、悲しむ愚かな人もいる。この愚かな人を「変化の理を知らぬ人」としているのが、この第74段の「要約」となっている。「変化の理」を知らぬ人。★ この「変化の理」というのは、『平家物語』の冒頭の有名な言葉、「諸行無常」の理ですね。
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