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2016年3月24日、木曜日、正午、札幌の天候、晴。ただし午前中数センチの降雪があった。その雪は、太陽が出たらほとんど溶けてなくなった。
昨日およびそれ以前にお約束している立花 隆『滅びゆく国家』日経BP、2006年の紹介であるが、その第3章「靖国論・憲法論」中で目立ったのが、憲法第9条成立過程についてのエピソードである。憲法9条が我が国にとって超重要な話題であるだけに、この話は内容的に、たんなるエピソードというような軽いものではない。
要点をずばり言うとこういうことだ。憲法第9条に規定される永久平和主義は、1946年冬に、当時の内閣総理大臣幣原喜重郎が、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーに直接に意見を具陳して、マッカーサーの同意を得たものだ、というのである。
憲法成立史を辿ってゆくと、いったい、いつ、誰が、この憲法第9条の成立についてたいへんな力を発揮したのかが、謎である。これほど重要な条文が、忽然と現れている。私は以前日本国憲法を勉強していて、この謎に出会った。憲法に興味をもつ程の人なら、みなこの謎に出会ったのではなかろうか。
私は、これほどの謎にインターネットが何らかの情報をあたえていないはずはなかろうと思った。
そしてインターネットを引いてみて、この件は、ネット上では、「幣原喜重郎、憲法第9条」という組み合わせで引くと、主要な記事が出てくると感じた。まずこの辺から手がかりをえられたらいいのです。
1. 平野三郎文書。「ちょっと便利帳。幣原喜重郎元首相が語った日本国憲法・戦争放棄条項等の生まれた事情について」参照。
幣原喜重郎がその死の10日ほど前に、かれの元秘書、平野三郎に語った談話記録。第9条の戦争放棄条項が、マッカーサーに対して1946年冬、幣原喜重郎が提言したことが語られている。
2. ワカベン。金森徹雄のブログ。
3. 米国の女性のブログ。
マッカーサーも後年、日本国憲法第9条があのようになったことについて、幣原喜重郎の名を挙げて証言している。
ところで、私が読んだ立花 隆『滅びゆく国家』については、いまネットでひいても第9条関係としては現れない。もちろんこの書名でアマゾンを引けば、売られていることが分かる。
立花が引用した堤 尭『昭和の三傑』集英社インターナショナルは、これもアマゾンでは売られていることが分かる。
立花は、この「先輩」堤の本を引用しながら、幣原喜重郎が戦争放棄条項をマッカーサーに提言したことを、「ゲオポリテーク」だといっている。この奇妙な批評は、褒め言葉か、けなし言葉か。どうも堤も立花も、立花に言わせると「ゲオポリテーク」に生きる人間のようであるから、「最大の褒め言葉」かもしれない。ずばり、立花の批評で言うと、したたかな外交官上がりの幣原喜重郎が、一世一代の大芝居で、ナイーブな軍人であるマッカーサーを欺いて、この第9条の文言を憲法に明文であらわした「大謀略」であったという。つまりは、この文言のおかげで、日本国はその後今日に至るまで、米国がいかに日本国に、軍事的に米国を支援するように脅迫しても、日本国歴代の首相はこの文言を盾に「うん」といわなかった、というわけだ。そういう外交的一大ポイントを幣原喜重郎に稼がれていたというのだ。
たしかにねー。この半世紀余を生きてきた日本人は、トリックと言われようが、謀略といわれようが、よくぞやってくれたと幣原喜重郎氏に感謝する。
交際していて、同年輩の韓国人やオーストラリア人の知己に、あの「ベトナム戦争に従軍していた」ことに気がつかされる場面はありませんでしたか。私たち日本人ははそれをしないで済んだ。この第9条のせいです。戦い終わってみれば、ベトナムとベトナム人が、ベトナムで武勇を振るった韓国と韓国人に対して、冷たく対応するのを、いま複雑な心境でみるわけです。韓国の運命は日本と日本人の運命でもありえた。
おもうにこのようなことは世界史でも事例は多くはない。ナポレオンが敗戦した後のフランスで、この敗戦国フランスを代表して縦横の腕をふるって祖国フランスの国益を守った外交官タレーランの名が取りざたされる。平和だ、中立だといっても、武力で国益を決するのが相場になっている国際社会ではそれが容易なことではない。あらゆる外交手腕を尽くすのが平和を擁護するありようになるが、それが容易なことではないのはしれきったこと。新憲法発布の頃、わが国は「東洋のスイスたれ」という言葉がよく口にされたが、むろん簡単に「東洋のスイス」になれるわけがない。
米国側ははやばやとこの「トリック」に気がついて、これを大きな声で「日本の安保ただ乗り」だといった。そんな大きな声でいわなくたってよく聞こえているが、歴代の日本の首相は「耳が遠い」ようすを装った。憲法第9条、どんずまりまで維持しませんか。いまさらトランプ米国大統領の指揮下で、シリアに一大平和境を建設するという地上派遣軍に編入されてたまりますか。
なお、堤氏は、「つつみかくさず」という動画シリーズをネット上に出しています。堤氏が国民学校3年生のときに戦争が終わった。この年齢はついに証言者の年齢になってしまったのか。まだゲートルも巻いたことがなかったのにね。(しかし歴代天皇の名は暗記したし、教育勅語も暗記した。)
2016年3月22日、火曜日、札幌の天候は晴、ときどき曇り。
昨日、立花 隆『滅びゆく国家』日経BP、2006年 の要点をご紹介するとお約束した。この「小泉内閣時代」についての政治的スケッチは、現在の安倍内閣時代の政治経済的構造の観察にも大筋で一致していると思うからである。(そのわりには立花 隆が回顧されることが少ないと思う。)今日のタイトルにしたのは、実にこの本の第2章の題そのものである。
立花が戦後の天皇制を考えるポイントははっきりしている。立花は、戦後の天皇制は主権在民の日本国憲法の下に置かれていると考える。それゆえ、皇室典範も(根本的には)現在の国会が審議して改変しうるものであると考える。無論単純多数決で。
皇室の後嗣が不安になってきた(当時そのような不安が強く存在した)ことについて、もともと「男子相続」というありようは、たくさんの側室を天皇が持つというようなことでもしなければ無理で、皇室は側室を認めないというありようだから、それならば「女子相続も可」のように皇室典範を改めればよいと立花は考える。
一刀両断真っ二つ。この立花のような判断でよろしいと、私も思う。
今日、男子相続も可能な状況があるかもしれないが、この問題は早晩、現在の天皇制が存続する限り根本的に消えない「現天皇制の弱点」である。このように原点に立って考えることにより、この弱点を軽減するのが、今日でも正論だと思うが、如何に。
なお詳細の議論を知るには立花の前掲書をアマゾンからでも買ってよくお読みになることだ。
2016年3月21日、月曜日、午後9時、札幌の天候、曇り、午後ときどき雪。ただし積もるほどではない。
マイナス金利の天気予報。今日は 立花 隆『滅びゆく国家 日本はどこへ向うのか』日経BP、2006年 を紹介しよう。これは10年前の小泉内閣時代に書かれた本だが、今日の安倍内閣時代が、まさにこの時代の後を継ぐものだということがよくわかる。この本にある問題意識は今日もすっかり有効である。詳しい紹介は次回に回して、ここでは本文各章のタイトルだけ書いておく。
第1章 ライブドアショック---会社とは何か
第2章 天皇論---女性天皇・女系天皇の行方
第3章 靖国論・憲法論---なぜ国立追悼施設はできないのか
第4章 小泉改革の真実---その政治手法と日本の行く末
第5章 ポスト小泉の未来---キングメーカーの野望
第6章 イラク問題---ブッシュ政権の欺瞞と日本の責任
第7章 メディア論---耐震偽装・NHK問題の本質
本書のもとになった材料は、2005年3月から、日経BP社のウエブページで連載がはじまった「立花 隆のメディア ソシオ-ポリティクス」だという。「これは一言でいえば゜、時々刻々のメディア報道をベースに書かれた日本社会論、日本政治論である」と。10ページ
「書き方としては、即物的な最新情報をいっぱいに詰め込んだページとして展開するのではなく、むしろ目の前の現実から一歩引いて、より広い視野からそれを捉え直したときに、何が見えてくるかを中心に書きたい」と、10ページで、著者はこのウエブページについて述べていた。
私は目を開かされた。これこそ私がこのようなブログを書くときに狙っていた境地そのものではないか。
そうすると、「株式会社論」では、あまりにも「目の前の現実から歩を引く」度合いがひどすぎるね。
まあ、よく考えさせていただく。
この本の第1章に、当時「ライブドア」社長ホリエモンこと堀江貴文氏が、ニッポン放送株を買い占めることによって、ニッポン放送が支配するフジテレビを手に入れようとした一件が述べてある。ここに「会社は誰のものか」というおなじみの議論が登場する。
「会社は株主のものである」と「会社は経営者、従業員その他会社関係者のものである」。ホリエモンはもちろん「会社は株主のものである」とする。しかしフジテレビ側は、フジテレビは経営者と従業員のものである(わざわざいままではなかった組合まで作って、組合のものでもある)等々と主張した。
2016年3月19日、土曜日、午前10時、札幌の天候。曇り、時々小雨。常温。北国としてはこのような「春」でも満足しなければならないでしょう。何度も言うようだが、「水道が凍らない」のなら、春です。3月15日に「もう水道凍結はあるまい」と判断し、水道を出すことにしました。とりもなおさずこれが、北国の春ですね。
マイナス金利の天気予報。今日は臨時に寄り道する。
民主党(もう民進党といわなければならないのだろうか)が政策に奨学金拡充を提出しそうだという。ツイートをみたら、最初の何十と言う意見の中でもっとも目立つのが、「その財源はどうするんだ」という「意見」のようです。
しかしこれはおかしい。「その必要ありや」「その必要性の優先順位いかん」が、まず問うところでしょうよ。
奨学金というけれど、内容的には「教育ローン」に過ぎない。多少の寛大さはあるが、ある個人にサラ金が金を貸し付けているのと、そう違わない面がある。借りた人間に担保などなく、いってみれば「出世払い」になっているわけです。思うように出世できなかった者が後日返済計画を守れないで滞納を起こす。出世ばらいできない人口が多すぎたというだけのことかと思います。
3月19日付け北海道新聞39ページに「道内大学生困窮 奨学金利用47%」という記事が出ていました。「道内で日本学生支援機構の奨学金を受けている大学生の割合は、全国より9ポイント高い47.7%である」と。札幌の弁護士らでつくる「北海道学費と奨学金を考える会」の調査結果であると。この会は「給付型拡充を」唱えているらしい。たぶん民主党のいわんとするところも、これとそう異ならないでしょう。
私は、まったく個人的に、考えてみたい。その結果がつぎのような意見です。
なによりもこの問題を、実際に「受給するか、しないか」という立場にあるはずの、当事者の青年達に「本音ではどうなんですか」と聞いてみたい。その程度の政治性もない者が選挙権を持つにはあたりませんので。
わたしはその当事者達に、私個人の経験を申し上げたい。
1. 経済的に困っているのなら、まず進学コストをぐんと引き下げなさい。受験と塾ばかりでカネを使いながら青春を使い果たすなんておよそ考えられない。学校はばら色の場ではないのです。受験ぐらい自分の工夫と努力で乗り切りなさいよ。
2. いざ進学したら、学費・生活費を徹底的に低くしなさい。学費軽減制度などあれば徹底的に検討しなさい。アルバイトの稼ぎでコンパをしたり旅行したりなどもってのほか、何のために学校に入ったのか。大学から3分の新築のマンションにばかり殺到するなど、愚の骨張、昔の北大生はかなり遠いところに住んで、毎日何十分も歩いていましたな。どうして1万円でも2万円でも安いアパートを選ばないのですか、昔の北大生は自転車に乗って自分で安いアパートを探していました。
3. 将来の自分の「出世」と「稼ぎ゜」の見込みを、ぐんと低く取りなさい。せっかく卒業した日が、失業の第1日かもしれないのです。一生かかっても、大学生時代のアパートの部屋が、「いちぱんましな生活環境だった」ということになる公算が大きい。
ここまで考えれば、「奨学金」と称するものは、給付型を除いて、受けないほうが無難ですね。
多くの大学卒業生にとっては、これが「正夢」なのではありませんか。
そういう現実感をいま持てる人だけが、多分奨学金を未来に返済できる人です。あとは大半貸しだおれでしょうね。
たいへん正直なことを申し上げると、私は学歴なぞと言うものには依存しないという強い決心をしていました。しかし結論から言うと、自分の学歴が世渡りの下手な自分を救ってくれたと思わざるをえません。それにしても私は、まるで経費と言うものを学校にはかけなかった。その半面で世の中に大いに救われたと感謝しています。
結局奨学金はきちんとみごとに返済していますよ。たいへんありがたいことに。
私は入学した大学の第1日目を鮮明に覚えています。入学式が終わってたくさんの人間がみないなくなった後、どういうものか、どこへもゆく予定のない、時間の余った人間がその場に10人ほど残った(私もその1人だったのですが)。それでなんとなくお互いにはなしをしたわけですが、あきれたことにその人々はまったくの孤手空拳でそこにいるわけで、全員、今晩から寝るところの予定もないのです。これでなんとかなると思っている所が、若さであり、自負なんでしょう。その一人などは、行李をひとつ背負っていて、話が決まり次第そこへ住もうというわけです。ちょっと話し合った後、全員が同類だと分かって、それじゃ解散しておのおのの運命をさがそうということになった。(それにしても似た様な者がたくさんいると知って、たいへん心強かった。)
むろん入学式に父兄がついてくるなんていうケースは当時ありませんね。大人に父兄がついてきて何になるか。
この時代の青年達に早めに選挙権を与えていれば、政府を何十回もひっくり返したでしょうね。
2016年3月18日、金曜日、午後8時、札幌の天候。晴。気温6度。昨日もいい天候だったが、今日もいい日。ただ、今後はまた悪くなりそうだ。
マイナス金利の天気予報。ずっと法人企業を話題にしていた。話題をそちらへ戻す。
以前、商業世界というのは、経済学ではマルクス『資本論』第2部「資本の流通過程」が全巻かけて論じていた、と書いた。商品経済と見えるのは、マルクスに言わせれば、個別諸資本の回転が絡み合って現れて居るもので、一言で言うと「資本の回転」の全様相であろうと。(その意味で、資本の流通、と呼んでもよろしい。)
ところで、です。ここで「資本」といっているのは、「産業資本」のことだが、「産業資本」は資本の総称であって、それは、生産資本(狭義の産業資本)、金融資本(銀行資本)、商業資本という3形態に派生する。
さて、です。いま私たちが「法人資本」というのは、実に20世紀的な資本形態だが(そしてまちがいなく現代の経済社会の中軸だが)、「法人資本」というとき、私たちは自然に、生産的な・産業的な巨大資本をイメージし、それと合わせて、巨大な規模の銀行資本をイメージ゜します(つまり、金融資本を)。
しかしにわかに商業をイメージすることはありません。「商業的」なものならイメージするかもしれないが、商業そのものはイメージしない。
すくなくとも日本の場合、戦前には商業に巨大法人企業は存在しない。存在したのは米国のほうです。たとえばシアーズ・ローバック。
ところで私たちがみている前で、日本でも戦後、巨大な法人企業が小売商業の世界に現れることになった、イトーヨーカドーや、セイユウや、ダイエーなどですね。小売商業の一角から消費大衆の利益を呼号して、スーパー群が現れ、流通革命と言われた。セイキョウ・生活共同組合もまた、この流れに入るとおもいますよ。
これまた法人企業形態をとってますます巨大化し、ついには流通界のさまざまな分野にコングロマリット化するに至った。戦後半世紀の歴史上最大の経済的事件のひとつでしょ。
こうして小売商業もまた法人企業形態から無縁ではないことを証明しました。
こういう過程で、日本の零細小売商業は全滅してしまったのですね。おなじ過程で、日本の小生産・小農業もまた、全滅に瀕しています。ひとことでいうと、小生産の壊滅です。いまや個々人は、法人企業に雇用されるか、さもなければ滅びるしかないのです。その意味で、世は法人の「社員時代」なのでありましょう。もうひとつの生き様は、生活保護の受給者にでもなるしかない。
ところでこの小売商業という分野は、結果的には同じく法人企業形態の支配するところとなったが、その過程でなにやら不思議な論理を示しています。これを正面きって議論する必要がありはしないかと思います。
1970年代ごろ、セイキョウ運動が盛んだった頃、(市民セイキョウの発展期ですね)いろいろ議論していました。「消費者主権論」とでもいうのでしょうか。あの頃はみな「セイキョウ」とは市民運動の一形態だと思っていました。そうするといまのセイキョウはなんなのだろう。
マルクス経済学のほうでは、吉本隆明さんが、超資本主義論、高度消費経済論を説いていました。
20世紀資本主義を考える場合、私は、小売商業という分野をどう考えるのかという議論を欠かせないと思います。ここから現れた動きが、既成の大メーカーと大銀行の秩序をゆすぶったという事実を、度外視できないと思います。その意味で法人企業論は一枚岩ではない。
この議論が意外に難しい議論だということは、感じていただけると思います、しかしこういう「法人資本論」の切口もあることを提案している分には、みなさんにご理解いただけると思いますが。
これは皆さんの人生史でもあるのだから、多少論点がぶれてもナマのお話をもってきて再考するほうがわかりよい。ちょうどいい本がありました。佐野真一『カリスマ 中内功とダイエーの戦後』日経BP、1998年。これを議論の切口にしてみたらどうでしょうか。(皆さんの人生からあらゆる小売商業が消滅してゆく歴史ですね。)吉本さんの本も切口になるでしょう。吉本さんもこうやって読むと面白いのです。
ところで私、前回だったか、申告納税はシャゥプ勧告から、と書きましたが、あれは間違いだと気がつきました。正しくは昭和22年(1947年)からだそうで、2.1ゼネスト中止の混乱を乗り切る緊急策だったそうです。しかし税制として定着することになった。武田昌輔『法人税回顧60年』TKC出版、2009年 の11-13ページに、書いてあります。それにしても、法人企業とは何かということが、確たる内容としてはなかなか定まらなかったのが現実の歴史だということは、この武田さんの本を読むとわかるのです。税制史は法人企業とはなんぞやというぬえのような問題と取り組んできたんですね。この本自体がそのような優れた切口になります。
このように具体論で押してゆくと、なんでも参考になるのですよ。
たんに抽象的に、法人企業とはなんぞや、とやっていたのでは、前進はありません。ネスパ。