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2018-04-17 22:55:00
東濃「今は昔」-下街道高山宿(5) 私は今は札幌に住んでいます。盛夏でも気温が極端に上がることなく、空気が乾燥していて、さわやかな土地です。幼時土岐津町で育っていたころの思い出では、夏には気の遠くなるほど暑い日があったことでした。あまりにひどい暑さを凌ぐ方法は、土岐川の河原へ行って水の中に入っていることでした。水は生ぬるいが、流水なので、暑さは凌げます。土岐川の水量はそう多くはなく、川底にはこぶし大の丸い石がぬるぬると並んでいました。泳ぐわけではなくて、浅い川底に座って時間を過ごすのです。たいてい誰の姿もありません。★あるとき水につかっていたら、茄や胡瓜のような野菜を小さく切った塊に小さな木の端が何本かさしこんであるものをみつけました。なんだかわからないが、間違いなく食べ物です。こういうかたまりをいくつか拾い集めて自宅へ持ち帰りました。大人はこれをみて、土岐川上流からお盆の供養で流してきたものだと教えてくれたが、私同様これが食べ物であることを認め、「これを食うのか」とため息をついて、これを汁の実にしました。(国民学校2年生の頃です)ふだん食べる野菜と言えば、カボチャとサツマイモだけでした。それに祖父が作っていたわずかばかりのジャガイモです。(これらは副食というより、主食にかわる食べ物です。)
2018-04-16 10:33:00
2018年4月16日。小学生だったツバメちやんは、今朝のNHK朝のドラマ「半分、青い」では突然に高3になった。舞台であった「東美濃市」とはどうやら恵那と中津川のことだったらしい。土岐郡とはまったく無関係のようだ。いや、無関係でもないな。土岐川が繋がる上流で、「お隣り」の地域ではある。★土岐津町高山から見た場合(当時の小学校低学年の生徒の目だが)、外側の世界は汽車の土岐津駅を通してしか想像できないが、西のほうと言えば、西隣が多治見、その先の向こうに名古屋があり、あとは名古屋との関連でのみ想像できる。東のほうと言えば、東隣に瑞浪があることは意識できるが、その先というと、この線の物理的終点の直江津を思い浮かべる(ただ、こうなると名前だけだ)。ただ、どうして土岐津駅より東のほうを鮮烈に意識しているのかというと、戦争が終わってこの地に訪れる混乱期に(日本のどの地にも混乱が訪れたと思うが)、もともと食料が不足しているこの地に、どうしても「闇の物資(非合法取引の物資、端的には主食のコメ)」を手に入れないと生存できないという生活が訪れ、町民の多くが中央線に乗って「東のほう」へ食料買い出しに向かうのが当然になった。当時の中央線は、旅行を制限はしないが、ただ、一回の改札につき10枚のように決まった枚数の切符しか売らない。(ただしどこまでの切符という制限はない。)前もって切符を入手していなければ、汽車に乗れない。そこで小学校の低学年の生徒にあたる私どもが、家族に代わって駅の窓口にならぶのである。★食料はなまなかのことでは手に入らない。通貨の貨幣価値はどんどん低下している。衣類なり道具なり、農家が欲しがりそうなものを持参して買い出しに行くわけだ。土岐津の近辺ではまず用は果たせない。はるかに東方までゆく。そこで「終点が直江津」というとんでもない遠方を意識しているのだ。★戦時の、そして終戦時の土岐郡なんて、長いドラマになる日は永遠に来ないであろう。実は、来てほしくもない。
2018-04-16 00:11:00
それで、こういうことになるのです。ひとつには、古語の学習で、限られた仕方だが、平安朝などの文物を再現しています。他方で英英辞典を使ってハリーポッターのような児童文学に親しんでいます。こういう学びというものは、それ自体たいへんな時間の浪費であって、だから今まで私はあまりこういうことができなかった。しかしこういう学びは生活に余裕を与えるし、ものを書くきっかけも生じます。(私はBの鉛筆でまず反故に縦書きで走り書きする。それを後で電子的に転記します。電子的にまとまったら、反故のほうは捨てます。)私、思うに、科学というものは、往々内容が空虚化しています。これをもし単純に実と思うのなら、その科学は迷信のようなものです。科学が「前進」しても、その前進は空虚をますます増やしかねない。★ことばの学びは、その空虚を反省するよすがだと思います。
2018-04-15 23:27:00
以前、『今昔物語集1』を買ったことを話題にしましたね。あれから少しずつ目を通してきて、今「第35話」まで来ました。仮名が振ってあるし、注がつき、現代語訳がついているので、なんということなく読み進めます。各話の題は、たとえば第35話の場合、藤原伊勢人始建鞍馬寺語第三十五となっています。題の組み立ては、藤原伊勢人(主語)始建鞍馬寺(始めて鞍馬寺を建てる)語(物語と考えればよい)第三十五(第35番目の物語)のようになります。判で押したようにこういう組み立てです。この読み方は、まさに漢字かな交じり文で、わが文章表現の基本なのでしょう。★『今昔物語集』のほかの巻も買おうと、書店に行ったら、その書店では岩波書店版を売っていた。アカデミックにはどうか知らないが、素人の私には小学館版の編集がとても読みやすく感じられます。そこで急遽『今昔物語』の他の巻を買うのはやめて、小学館版、『御伽草紙集』『古今和歌集』を買った。これがとても面白く、『御伽草紙』はすでに「猿源氏草紙」まで読んでいる。なぜ和歌の本なぞ買ってきたのかというと、古文を読んでいると当然のように和歌がいろいろ挿入されてくるので、和歌を気にかけないではいられない。そんならどうせ一番有名なものを手にしてみようとしたのが、この『古今和歌集』。歌というものはすらすら流し読めるものではなくて、一度に一首かせいぜい二首しか目を通せませんが、なんとなくその歌の組み立てが分かってくるところが面白い。これはさすがに進むのが遅くて、いま巻頭八首目ですが、こういう具合だ。文屋康秀作。春の日の光にあたる我なれどかしらの雪となるぞわびしき。「我なれど」で前後に分かれる。前の句も後の句も二つの意味を持って詠まれている。いま春の日に当たっている自分であるが(東宮の恩寵を得て幸せいっぱいの自分であるが)、自分の頭の毛に時ならぬ雪がまつわりついているのが情けない(老齢になって自分の頭髪に白いものが混じっているのが残念である)。わかりよい技巧を交えながら、率直に心情をうたっているのが、きもちよく感じられます。この「初春」という、うたわれている時期は、北海道の今の気分ともよく合うのです。桜の歌より、このように春の雪を読み込んだ歌のほうが私らの気分に合いますね。★こうやってすこしずつ場数を踏んでゆくうちに、古代人の心が、そして日本語の表記法が、だんだんわかってくるものと思います。
2018-04-14 22:19:00
2018年4月14日・札幌。東濃「今は昔」-下街道高山宿(3)。NHK朝のドラマ「半分、青い」のスズメちゃんの生活より、20年も昔の、同じ地域を背景とする生活を描いています。当時の私の年齢はスズメちゃんぐらいですね。★私の生活圏は、この高山宿の図の範囲でしたね。ただ、土岐津国民学校に通うので、土岐津国民学校がある土岐口のほうまで毎日歩くわけですね。あとは何か用事があって土岐津駅のほうへ行くことがあります。必ず土岐津駅からまっすぐ南下する道路と橋を選んでいます。★歩いていて途中出会う乗り物など皆無です。幼時は駄知線という鉄道が動いていました。たいへん遅い汽車で、たまたまこの汽車が走っているのを見かけると、必ず「だちかん(だちゃかん、だちゃかん)」と声を上げました。大人がこの線を話題にするときに、二言目には「だちかん」というのです(これは地元の愛情表現・ダメという意味・なのですが、子供はこれをあざけりの声としか理解しない)。★土岐川を挟んで、対岸は泉の国民学校の領域で、たまたま双方(当方は土岐津国民学校に通っている生徒)が数人の集団で遠方から見かけると、双方で悪口の言い合いをするのです。「泉の学校、**学校、なんやらなんやら」と悪口を叫ぶ。(結局一種の近親憎悪なのですが)そういうわけで、高山の子は、土岐津駅へ行くときに、決してこの下街道高山宿の坂の下の橋は渡らないのです。(土岐川の河原に行くことはあるのです。しかし対岸に渡ろうなどとは思わない。)★今日は日本ハム対オリックス戦で、日本ハムは順当に勝ちました。対ソフトバンク戦では日本ハムは1勝2敗の負け越しになったが、対オリックス3連戦はどうなるでしょうね。