インフォメーション

2018-09-02 15:08:00
2018年9月2日・日曜日・晴れ・札幌。台風21号が日本南方にあって、やがて北上して4日から5日に北海道に来て、サハリン方面に向かうというように、道新34ページの天気図ではみられる。この台風、足が速そうだ。もっとも現在まだ日本本土に上陸してはいないが。★日本ハム対ロッテ。午後5時。ゾゾ千葉球場。日本ハムは2勝した。★道新4頁。「社会保障給付費最大の116兆円」。内容は一に年金、二に医療、三に介護だという。★道新6頁(読者の声)「介護職若者ぜひ目指して」。社会的介護を要望する需要が潜在的・顕在的にない家庭などありはしない。しかし介護という職業を選ぼうという若者は、私の周辺では聞かない。(でも私の娘は、障害者教育を職業としている)日本で社会的に介護職のなり手がいない場合、自家の介護体制を強めるか、あるいは海外から介護職移入をするということになろうが、どちらも問題山積。「介護職の待遇を高める」といっても、これまた問題山積。★道新別冊。「天然痘との闘い」。中川五郎治という人が帝政ロシアに5年間抑留された後日本に帰国して、北海道松前に80歳で死ぬまで住んだ。この人がロシアから種痘法を日本に持ち帰り1824年初めて実施、日本に広めたという。ただ、当時の日本中央(江戸幕府)はこれを無視したので、中川五郎治のこの話が日本全体として知られたのが大正になってからだという。西洋文化が北のほうから日本に入ってきていた珍しい例。
2018-09-01 11:20:00
2018年9月1日・土曜日・曇り・札幌。★9月に入った。冷涼。道新1頁。「道内コメ不良見込」8月15日現在の道内が、低温・日照不足で、コメ不良と。★道新12頁。「続く悪天農家危機感」。★日本ハム対ロッテ(2戦目)。午後5時。千葉ゾゾ球場。ラジオのみ、HBC、SТV。今朝はのんびりとBS放送でエンジェルス対アストロノス戦をみていた。大谷は6番DH。★道新20頁。「区民センター全面禁煙」。札幌市が来年1月から市役所全庁舎と区役所を全面禁煙にすると決めたのに続いて、区民センターも、そしてその他多くの市の重要な施設も、全面禁煙になるらしい。当館アイランドコーポは札幌市たばこ吸い殻ポイ捨て禁止条例が出た時点から館内外全面禁煙にしているよ。★道新9頁。「非核化沈黙の北朝鮮」。トランプ氏が最近「北朝鮮非核化全面履行せよ」というのに対して、道新の記事より以前にネット上にいくつかのブログ記事が出ていた。ここに至っての戸惑いは、トランプ氏は6月に北朝鮮の金氏とシンガポールで会談した際に、口頭で「朝鮮戦争終結宣言」を約束していたのではなかったのかという疑問である。さきに5月の文金両氏南北首脳会談に際して、「朝鮮戦争終結宣言年内締結予定」とうたっている。むろんこの宣言は米国を入れなければ実行不可能だが、それ以前に南北融和の議論の中で議論していた。そして、「非核化完全実施」といっても、技術的に考えてすらそれは1年以内などはとても無理で、もう少し日時を要するだろうとネット内でも議論されている。してみれば「朝鮮戦争終結宣言」と「北朝鮮非核化完全履行」は、関連付けて並行して議論されざるを得ないのではないか。それに5月の南北融和会談のさいには、「朝鮮半島」非核化とネーミングされていた...こういう状況の全体からいうと、「北朝鮮非核化完全履行せよ」とぶちかますのは、いったい具体的には、なにを狙っているのかということになる。もっともわが安倍首相はもともとトランプ氏よりもよほど強硬に「まず北朝鮮非核化だ」としていたから、さらに「拉致問題完全解決が前提」としていたから、今回のトランプ氏の声明は、トランプ氏が前言を翻して過ちと考え、安倍氏の主張に歩み寄ったのだということになる。★だけど、現実的・具体的には、これは今後どうなるというのか。
2018-08-31 13:02:00
2018年8月31日・金曜日・雨・札幌。★日本ハム対ロッテ。午後6時半。ゾゾ千葉球場。テレビBS日テレ。ラジオHBC、SТV。★道新1頁。「河川、ダム復旧6割 作付一体いつに」(岩崎あんり記者)。このリポートを読んで驚いた。北海道内では、2016年すなわち一昨年の連続台風による河川やダムの復旧工事がまだ6割しか済んでいないのだ。将来の被害防止どころではないのか。しかもこの一昨年の被害。作付けができない農家を数多く今に残しているという。★道新35頁。「道、水位計設置拡大へ」。これも驚くべきニュース。河川の水位を見る水位計を、安い値段の水位計で多くの河川に設置するという話だが、河川の水位を見て危険を判断する責任はだれが果たすのか、洪水危険を住民に知らせる公的な仕組みはどうなっているのかと考えると、この記事をみる限りそのような責任も、通知の体制もほぼゼロではないかと思える。★これでは洪水ハザードマップだの、洪水危険通知体制だのといっても、道内では話がかみ合わないはずだ。おそらく道新の記者も、それどころか道庁等の役所の担当者たちも、問題の所在を十分に察していながら、問題提起はできないでいるのか。これは政治の貧困ではないか。
2018-08-30 23:06:00
日本が対米戦争を行わなかったら(2)。ハル・ノートが示す米国の対日要求は、1941年当時の日本が受け入れがたいとするものばかりだったが、しかし日本側にまつたく考慮の余地のないものであったのかというと、そうとばかりは言えない。★日独伊三国同盟への共鳴は、日本の軍部が熱心であったが、親英米の有力な政治家が日本にいなかったわけではない。それにしても前者(日本軍部)の指導力は強硬であった。松岡外相はこの傾向を代表する政治家であった。★日本は三国同盟に傾斜していたが、他方で日ソ不可侵条約を結んでいる。日本の外交自体大いにねじれていた。★日本は満州まで放棄する気はなかったとしても、中国本土への進出はさすがに満州よりは基礎がもろく、日中講和のためには中国本土からは撤退する政治的決断は、まるで不可能だったとも言えまい。日本は中国と果てしない戦争を続けることが、対ソ、対米いずれにせよ負担になると判断していたはずである。★近衛内閣は「もはや蒋介石は相手にせず」と声明したが、そして汪兆銘など日本が相手にしやすい「まとめ役」を求めようとしたが、うまくいっていない。蒋介石の重慶政府との日中講和は、あり得ないことではなかろう。ただ、蒋介石がどうそれに応じるのかは、微妙であろうが。★このような次第で、ハル・ノートの対日要求の線までは行かなくとも、それぞれの項目でかなり思い切った「妥協」がまったくあり得なかったとは私は思わない。ただ、あらゆる項目でもつとも強硬な国策を主張している日本軍部の意向が、容易に妥協を許さないものだったとは言える。★要するに、1941年当時の日本の「国家権力」を誰が主導していたのかという議論になる。端的にはそれは日本軍部であろう。しかしこれをドイツやイタリアのように「ファシズム」と呼んでいいのだろうか。軍部を中心とする日本当時の権力構造はたしかに当時のドイツ、イタリアと通じる点もある。しかしドイツ、イタリアとはずいぶん違う性質もある。「日本のファシズム」と呼ぶなら呼んでもいいが、しかしずいぶん日本独特の性質の強いファシズムということになる。この「日本独特」の点をよく吟味してみる必要があるのではないか。
2018-08-30 19:48:00
日本が対米戦争を行わなかったら(1)。日米戦争を避けるために日本から野村大使・来栖大使が送られ、米国でハル国務長官と会談を重ねていた。1941年11月に、ハル国務長官は米国側の基本的態度を示す文書を手交してきた。いま中村隆英『昭和史上』東洋経済新報社、2012年を参考にして事態をまとめてみよう。11月6日に示されたハル・ノートの主要な内容は次のようなものであり、結局「日本が1931年の満州事変以前の状況に戻ることがハル・ノートの趣旨だったのである」(387頁)。「日、米、英、ソ、中、オランダ、タイとの多辺的不可侵条約の締結、日本の中国(満州を含む)、仏印からの一切の軍隊の撤退、重慶政府のみを中国の正統政府と認めること、日独伊三国同盟の否認がその主要な内容であった。」(387頁)★これは第1に、日独伊三国同盟をやめて連合国側につくように求めており、第2に、日本の中国(満州を含む)からの撤兵を求めており(関東軍を廃止せよというようなものだ)、第3に、蒋介石の重慶政府を中国の政府と認めてそれと和平交渉をせよといっている。★1941年当時の日本がとうてい飲めそうもないとした提案であったが、1945年夏に敗戦した日本であれば、「ああ、あのとき、もっとやりようはなかったのか」とうめくことになる歴史的経過である。(折を見て続けよう。)