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(3)から続く
愉快なのは、この人が、自分は宇野派からまつたく影響を受けなかった、「宇野派からまつたく影響を受けない環境でマルクスを自由に研究できた」としていることである。それだからこそ、『資本論』について自由な読み方ができた、と言っている。
日本のマルクス学は、『資本論』の理解は深いが、宇野派の影響が非常に強かった、から経済思想の自由な発展に遅れた、と言っているようである。
これはたいへん興味深い指摘で、この指摘が分かる点は非常に多いのだが、しかし人情としてはちと宇野派に気の毒な気もする。おもいきり宇野派の偏向を批判しきれなかった努力不足を自ら批判するのみである。それにしても私が愛読している宇野弘蔵『経済政策論』弘文堂など、画期的な本だったな。(他方で批判はさせていただくけど)
宇野弘蔵『経済政策論』は、昭和16年・1931年、宇野先生が東北大学法文学部助教授の時出版された本だ。資本主義には発生期、発展期、爛熟期があり、それぞれの時期の「資本の客観的政策」は異なった特徴を持つであろうことを論じた本である。私は昭和30年代に、原田三郎先生が「経済政策論」をこのテクストで講義されるのを、法文1番教室で3年間聴講した。なかなかわかりにくい講義内容で、いつもわからないことがたくさん残った。
この「前編」には、「日本人はなぜ気候変動問題に関心をもてないのか?」という題がついている。斎藤氏はこのことを、日本人の多くが次のようなメンタリティになっているからだと思っているようだ。
日本人の思想の現状は、生産力の発展の上で将来に解決を見たいが、日本経済が一向に経済成長の可能性を見せないから、いま何を考えても逼塞するしかないみたいな、出口のない逼塞感に囚われている、とみる。この逼塞感を打ち破る新しい思想がいまの日本に必要ではないか。マルクス読み直しは、そういう新しい思想に繋がらないか。こう斎藤氏は、考えているようだ。
この斉藤幸平という人は、日本的にみると、たいへん変わった経歴の人で、そもそも日本の大学は東大に数か月(しかも理科の学生だった)在学しただけで、あとは米国の大学、そしてドイツの大学院で、学者になつている。
この人は、経済思想への傾斜はすでに在日中にもっていて、いまみられるようにマルクス学者だというほどマルクスの思想に傾斜したのは、まず米国における自由闊達なマルクス思想の研究に刺激されてのようで、ドイツでの蘊蓄、日本マルクス主義への傾倒が、それに続いて起こっているもののようだ。
面白いことに、この人は、日本のマルクス主義思想については、たいへんに限られた接点から(しかし深く学んだというわけだが)しか学んでいない。若い時に学んだ物象化論の広松渉、後年深く学ぶようになった久留間鮫造、大谷禎之介、の名が挙がる。日本的に言うと、初期マルクスの人間主義の影響は強く、この辺がアルチュセールとは一線を画そうとする姿勢になるのであろう。(ある意味でアルチュセールを評価しつつ、しかし一線を画そうとする。これはこの人の『資本論』のみには重点を置ききれない姿勢に通じるのであろう。そうすると勢い、生産様式論を現実には評価していながら、あえて生産様式論をひとまとめのものとはしないで、あえて区々バラバラに扱おうという姿勢につながるのであろう。)
マルクスの議論の大枠は、次のようになるのではないか。
マルクスの思想の大枠。資本主義という社会システムは、資本が自らは作ることができない労働を、自らの勢力の下に調達・制御できなければ成り立たない。その労働の対象ともなり、手段ともなる自然についても、同様である。
資本主義という社会システムは、「失業」を作り出すことによって、労働者を制御し、しかるべき賃銀で必要な人数の労働者を雇用できるような体制を作り上げている。
資本主義というシステムの中で行われる自然破壊の中で、もつとも手ひどい自然破壊は、失業した労働者が生存する条件を模索する中で生じる。資本にとっては雇用の安全弁として作用しているこのような「失業者群」を、マルクスは、産業予備軍と呼んだ。
水曜日・朝方晴れ・札幌。☆道新天気予報では「12時まで晴れて、午後曇り、18時以降雨」「気温17-8度」。☆米国電気自動車テスラが販売好調で、テスラの株価総額でアマゾンなど巨大企業並みの1兆ドルレベルになったと、今朝テレビで放送していたが、ネットにもいくつか関連記事がのっている。電気自動車の成功は、地球の化石燃料消費量を激減させてゆくことに大きな助けになろう。資本主義の工夫が地球温暖化問題軽減に寄与する可能性もあることを現実に示す一幕だ。
斎藤幸平氏の評判の新書、『人新世の「資本論」』を読んで、その思いがけない斬新さに感心した。この書によって説かれる「地球温暖化阻止」の談義は、いまの世の中の逼塞感を取り払ってくれるような気がする。
この書は、『資本論』をはじめとするカール・マルクスの著書や、マルクスの未発表の草稿やの読みを、重要な手掛かりとして書かれている。それにしてもマルクスに関連して従来この日本で言われてきた議論を、重大な手掛かりとしつつ、しかし当然というべきかもしれないが、従来言われてきたことと違う説き方をしているので、人によっては違和感を感じる向きがあるやもしれぬ。そういう点を多少コメントできたらいいと思うので、今後何回か、書いてみたいと思う。
今日は、斉藤氏の『人新世の「資本論」』の背景になるようないきさつを、斉藤氏その人がインタビューに答えて話している文章を紹介しよう。連載 NHK出版新書を探せ! 第10回と第11回をお読みいただきたい。どちらもプリントすると、A4判10枚ずつの長編になった。「日本人はなぜ気候変動問題に関心を持てないのか?---斉藤幸平さん(経済思想学者)の場合」。前編と後編。