インフォメーション

2021-11-04 08:48:00

木曜日・朝方薄曇り・札幌。☆道新天気予報では「終日曇り」「気温12-7度」と、気温は下がってきたが、穏やかな日になりそう。

2021-11-03 14:00:00

10月中に行っていた「『人新世の「資本論」』を読んで」のフアイルの内容を、参考のために、示して置く。

 

(1) 10月26日。斎藤幸平氏がマルクスの思想を参照していることについて、従来日本のマルクス経済学で言われてきたところと、多少違う「学び方」をしている点について私が述べるという方針。

また、NHK出版がかって行った斎藤氏へのインタビュー記事の参照を求めている。

(2) 10月27日。斎藤氏が、マルクスの思想が地球の気候変動を衝いているとする際の議論の大枠。斎藤氏が日本マルクス主義について学んできた仕方。

(3) 10月27日。「インタビュー前編と関連して」斎藤氏がなぜ現在の日本人が地球の気候変動問題について関心を持てないでいるのかの原因を指摘している。

(4) 10月27日。「インタビュー前編と関連して」斎藤氏が宇野弘蔵先生の経済学を避けたという話題。宇野弘蔵『経済政策論』にまつわる私の思い出。

(5) 10月27日。「インタビュー全編と関連して」いわゆる産業予備軍の生存問題。

(6) 10月28日。宇野先生のいわゆる宇野派三段階論という構え。

(7) 10月29日。経済学の対象は何か。マルクスが経済学の対象を「資本主義的生産様式」と提示する過程。

(8) 10月31日。資本主義のシステムとは、資本主義的商品経済であろうと、藤塚知義先生の仕事を参照しながら、経済学説史的に提示する(宇野先生は資本家的商品経済としておられる)

 

この間、普通の記事の方にも多少関連することを書いています。

ちょっとほかの仕事が出て、記事を書き続けにくくなりました。藤塚先生のほうの議論をもう数回続けると、ずっと問題点がはっきりしてきます。

ところで、資本主義的生産様式と、資本主義的商品経済は、同じことをいっているだろうか、それとも違うことなのだろうか。 

たんなるフィーリングの違いですか?どうぞお考えください。

ただ、斉藤氏であれば、きっと資本主義的生産様式のほうを選ぶでしょうね。

「プラン資本論体系--資本・土地所有・賃労働:国家・外国貿易・世界市場」というマルクスの『資本論』執筆プランなどを念頭に置くと、これは「資本主義的生産様式」でしょうよ。

藤塚先生が「そんなこと考えて居なかった」のではありません。この方はプラン論争の有力な論客でしたよ。ただ、宇野先生はこの議論にはかかわりませんでした。宇野原論は、「資本論どおり」というのではありません。

そして今回の斎藤氏の議論を伺っていて、私がもつとも興味をもつのは、従来日本のマルクス経済学が「議論しにくかった論点」に、たくさんふれているからです。

 

 

2021-11-02 08:56:00

火曜日・朝方曇り・札幌。☆道新天気予報では「12時まで曇り、その後雨」「気温13-7度」。今日は日中あまりいい天候ではないみたいだ。

2021-11-01 09:46:00

月曜日・朝方晴れ・札幌。★道新1頁「自民 単独過半数」。☆衆議院選挙が昨日あり、結果は、自民権力は維持されることに。☆ウエブ上、共同通信10月30日配信、「ゲノム変異 修復困難で死滅? コロナ第5波収束の一因か?」という記事に注目される。現在コロナ第5波が急速に収まり始めていることが注目されるが、コロナウイルス側にとつて不利な次のような変異が起こっていて、コロナが「弱毒化」しているのではなかろうか、という話。ゲノム変異の遺伝子のコピーエラーがあれば、修復酵素「nsp14」というのが修復するメカニズムになっているが、この修復酵素に突然変異が起こって、修復機能が弱くなったのだと。もし本当なら大朗報だ。☆『人新世の「資本論」』斉藤幸平著を読んで思う、という記事を書いてきたが、もし斎藤氏が指摘する通りに、資本主義という社会的メカニズムがその環境破壊力で地球温暖化をも招いていて、資本主義のシステムを停止させなければ地球温暖化という悲劇を停めがたいというのであれば、(確かに斎藤氏の説く内容は非常な説得力を持っている)「資本主義というシステム」を学習し直してみたいと思う。ただ、ウエブ上に書くという形で行っているから、それほどたくさん書けはしない、自分なりに思うところを書くという程度になろう。斎藤氏がやったように、マルクスの思想を検討することを手掛かりとしてやってみる。そういう趣旨さえ明瞭なら、タイトルは、「資本主義というシステム」ということに変更し、文章は続けてゆくが、番号は今日書くのを(1)とすることにしたい。例によって、純粋理論的というよりは、経済史や思想史やの側の知見をも取り入れつつそれをやってみる。

 

 

 

2021-10-31 10:25:00

資本への発展 

『資本論』の冒頭で、「商品-貨幣」という箇所から、議論が「資本」へ発展する箇所がある。

その「資本」へ発展するとっぱじめで、マルクスは、ここに問題がある、ここで跳べ、と言っている。「ここがロードス島だ。ここで跳べ」。

この箇所は、『資本論』を読む者がたいへん難しく感じる箇所で、なかなか一読できはしない。

ところでマルクスは、『剰余価値学説史』の中で、アダム・スミスは『国富論』の中で労働価値についての理解に迷い、労働価値に「二重の規定」を与えることになった、としながら、スミスが「迷った」ことを激賞している。そして生産過程での剰余価値の発生を事実上把握したとしている。つまりスミスが「ロードス島を跳んでいた」としている。

ではこの経過をわかりやすく説明してもらえば、「ロードス島」が理解しやすいのではなかろうか。

このような「説明」は、経済学説史論という経済思想論の一分野の専門家でないと、容易に果たせることではない。それに適当な本は、藤塚知義『アダム・スミス革命』東京大学出版会、1952年である。この本の第2章「アダム・スミスの価値・剰余価値・論」、その1、「スミスの価値・剰余価値・論における二重規定--『投下労働』価値説と『支配労働』価値説。『分解』価値説と『構成』価値説--」および2.「スミス価値論における二重規定の意義--労働価値説の確立の指標--」(25-38頁)という箇所を読むと、よくわかるように書いてある。「跳べなかった」人が読んでも、「跳んだ」人が読んでもよい。

この論点だけわかりゃいいんではなくて、アダム・スミスの学説の全体を見通しながら書かれている本でわかりたいもので、これは幸いそういう本だ。

(いや、難しい本だよ。ただ、ロードス島だけは跳べる、とおっしゃるかもしれない)

 

『資本論』冒頭の「商品-貨幣」しか、商品経済を論じているように見える箇所はない(しかももつぱらその形式からだけ論じている)が、資本主義というシステムが商品経済の上に乗っかっているのは確かであり、しかし商品経済だけでシステムとして成り立つというようなものではないので、これを「資本主義的商品経済」と呼んで全然おかしくない。(宇野先生は「資本家的商品経済論」と言っておられる。)むろん宇野先生は上記スミスの二重規定の件はとうにご承知だ。

ところで、この社会に生きる我々は、いま商品経済社会に生きている、「商品市場」に生きていると毎日意識している。これが実は、たんに商品経済でなくて、資本主義的商品経済で、資本主義のシステム、すなわち商品の生産過程で価値のみでなく剰余価値も生産しているというシステムが機能していて、初めて存続する商品経済社会である。

それにしても、資本主義のシステムは、当たり前のことだが、人間をとりまく自然環境が自らを維持し繰り返している働きを続けていることを、当然の前提としている。ところが資本主義というシステムは、これまでの人間社会でもっとも手ひどく自然を攻撃し破壊する活動をするので、これをやめるしかあるまいと、斉藤幸平氏は言われる。

そこで資本主義というシステムの機能を、初学者に帰って、学習してみたいと思うのである。

只今、コロナ禍という事実上の環境破壊が行われていて、これはヴィールス菌という自然の世界と、われわれ人間の世界の共存のありようを性急に求めている。このコロナ禍が行う破壊により資本主義システムがいますっかり機能不全に陥っている。(むろん資本主義商品経済も、うまく回らないでいる。)当面この問題への対応がどうなるか、指導者たちはどういう政策をとろうとするのか、いま選挙で問うている・問われている。

地球の環境保全も、これまた待ったなしで、11月中に対策のための国際会議をしている。こちらもやはり選挙で問うている・問われていることと思う。