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2018-08-30 19:48:00
日本が対米戦争を行わなかったら(1)。日米戦争を避けるために日本から野村大使・来栖大使が送られ、米国でハル国務長官と会談を重ねていた。1941年11月に、ハル国務長官は米国側の基本的態度を示す文書を手交してきた。いま中村隆英『昭和史上』東洋経済新報社、2012年を参考にして事態をまとめてみよう。11月6日に示されたハル・ノートの主要な内容は次のようなものであり、結局「日本が1931年の満州事変以前の状況に戻ることがハル・ノートの趣旨だったのである」(387頁)。「日、米、英、ソ、中、オランダ、タイとの多辺的不可侵条約の締結、日本の中国(満州を含む)、仏印からの一切の軍隊の撤退、重慶政府のみを中国の正統政府と認めること、日独伊三国同盟の否認がその主要な内容であった。」(387頁)★これは第1に、日独伊三国同盟をやめて連合国側につくように求めており、第2に、日本の中国(満州を含む)からの撤兵を求めており(関東軍を廃止せよというようなものだ)、第3に、蒋介石の重慶政府を中国の政府と認めてそれと和平交渉をせよといっている。★1941年当時の日本がとうてい飲めそうもないとした提案であったが、1945年夏に敗戦した日本であれば、「ああ、あのとき、もっとやりようはなかったのか」とうめくことになる歴史的経過である。(折を見て続けよう。)