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2018-08-30 23:06:00
日本が対米戦争を行わなかったら(2)。ハル・ノートが示す米国の対日要求は、1941年当時の日本が受け入れがたいとするものばかりだったが、しかし日本側にまつたく考慮の余地のないものであったのかというと、そうとばかりは言えない。★日独伊三国同盟への共鳴は、日本の軍部が熱心であったが、親英米の有力な政治家が日本にいなかったわけではない。それにしても前者(日本軍部)の指導力は強硬であった。松岡外相はこの傾向を代表する政治家であった。★日本は三国同盟に傾斜していたが、他方で日ソ不可侵条約を結んでいる。日本の外交自体大いにねじれていた。★日本は満州まで放棄する気はなかったとしても、中国本土への進出はさすがに満州よりは基礎がもろく、日中講和のためには中国本土からは撤退する政治的決断は、まるで不可能だったとも言えまい。日本は中国と果てしない戦争を続けることが、対ソ、対米いずれにせよ負担になると判断していたはずである。★近衛内閣は「もはや蒋介石は相手にせず」と声明したが、そして汪兆銘など日本が相手にしやすい「まとめ役」を求めようとしたが、うまくいっていない。蒋介石の重慶政府との日中講和は、あり得ないことではなかろう。ただ、蒋介石がどうそれに応じるのかは、微妙であろうが。★このような次第で、ハル・ノートの対日要求の線までは行かなくとも、それぞれの項目でかなり思い切った「妥協」がまったくあり得なかったとは私は思わない。ただ、あらゆる項目でもつとも強硬な国策を主張している日本軍部の意向が、容易に妥協を許さないものだったとは言える。★要するに、1941年当時の日本の「国家権力」を誰が主導していたのかという議論になる。端的にはそれは日本軍部であろう。しかしこれをドイツやイタリアのように「ファシズム」と呼んでいいのだろうか。軍部を中心とする日本当時の権力構造はたしかに当時のドイツ、イタリアと通じる点もある。しかしドイツ、イタリアとはずいぶん違う性質もある。「日本のファシズム」と呼ぶなら呼んでもいいが、しかしずいぶん日本独特の性質の強いファシズムということになる。この「日本独特」の点をよく吟味してみる必要があるのではないか。