インフォメーション
水曜日・晴れ、予想気温31-22度・札幌。☆本州連日の高い気温で、北海道の場合の最高気温と比べて、約10度の温度差がある。(道東はさらに冷涼)日本列島の気温は、本州を熱帯化し、北海道を温帯として維持するという方向に年を追うごとに定着しているのではなかろうか。一層のこと、「夏季6月から9月まで」本州の老齢者と学童未満の幼児(及び長期療養中の病人)は北海道に「退避生活」させるという国民的プロジェクトを考える時期ではないだろうか。北海道は夏季の台風も大雨も少なく、梅雨もない。☆戦時中から戦後にかけて、「北海道は日本の食糧基地」と言われた。北海道は全国一の酪農地帯であることを誇り、日本国民への牛乳および乳製品提供は、北海道が本命である。今日、米作の北限は北海道に延びていて、米飯の提供に困ることはなかろう。魚は、東西南北がすべて海という環境。野菜は日用品が豊富に提供される。現今のコロナ禍のもと、閉鎖的国民経済で数年間生きるほかないという宿命に襲われても、立派に自活できる地理であろう。
火曜日・曇、気温は28度から19度までという予報・札幌。☆盆過ぎの気候は、当分、日中は暑く、夜間急冷ということになろう。☆昨日のテレビも今日の新聞も、「リーマンショック以上のショック」で、特に個人消費の急落が大きいという。「回復」には4年はかかろうかと。さしあたり今年の年末に、国内で、コロナ禍が相当に抑制されているか、それともぶり返しを迎えているかで、目先の明暗が分かれよう。「抑制」されていないようでは、来夏のオリンピックなど、望めないものね。もっとも、世界のコロナ情勢は、とても見通せない。☆札幌市民は市内の施設を訪れることで満足したと、それで結構。それすら行けない人も多かった。☆当館アイランドコーポは、この時期から短期居住を開始して、そのまま冬季間も札幌に職を得てとどまり、通年居住にいたるという前例が多い。冬季居住も含めて通年居住というのは、北海道内からの方々にほぼ限られる。当館は1ケ月2万円(部屋代月額1万5000円、共益費2500円、水道代2500円、月額合計2万円)という料金で住んでいただけるので、安心して長期居住できるのだ。
8月15日、終戦記念75周年とか。テレビで終戦の日特集を見ていて、ふと、75年前の当日の自分を思い出した。☆当時のうちは、郡役所跡の坂の正面にあり、班長さんの家はちょうど坂を下り切ったところにあって、うちの向かいだった。☆私はふと自家の外に出て、向かいの班長さんの(ブリキやさんといっていたが、当時ブリキ業などしていない)家を見ると、班長さんの家の外に、家の中に入りきらない数人の人があふれていて、天皇陛下の終戦の放送を聴いていた。暑い日であった。なにやらくぐもったようなラジオの音声が聞こえ、立っている人々はときどきすすり泣きしながら放送を聴いていた。私は数分でその場を離れ家の中に戻ったので、それ以上の記憶はない。☆その日が大変に暑い日だったことは覚えている。母や祖父に見たことを知らせたが、「そうか」というばかりだった。それにしてもこの放送が、この土岐津町高山上町(たかやまかみまち)で戦中と戦後を分ける境になった。ラジオがあるのは限られた家で、うちにはもちろんない。それでも当時日中でもラジオをつけっぱなしにしているところが多いので、国民学校の帰校時など路上でどこかの家のラジオが鳴っているのが聞こえたものである。「空襲警報発令」とか「空襲警報解除」とかいう知らせを路上にいる人が聞かなければならないので、それは必須の習慣だった。☆私がこの放送の様子を目にした時の人々は全て私よりはるかに年長であり、この地区にそうたくさん子供がいたわけではない。してみるとこの高山上町の放送の思い出は、もう私の脳裏のなかにしかないのかもしれない。☆戦中は比較的に平穏に過ぎ、驚天動地の様々の出来事は終戦後にうわっと現れた。「出征軍人の家」という札が貼ってあった当家は、戦後まもなくこの土地を離れることになった。私の父は昭和12年(1937年)「シナ事変」の上海上陸作戦で、ダイジョウチンとかいうところで戦傷を受けた。この作戦で岐阜第68連隊が非常な打撃を受け、土岐津町から召集された壮丁が大量に戦死した。(後年私はこのあと同じ個所に入った長野県の連隊の人から話を聞く機会があった。)この大量戦死は以後の土岐津町の招集に大変な不都合を来し、この戦いに生き残った父はその後昭和20年まで何度も招集されることになった。それでも無事に帰って戦後を迎えることができたのは、運のよいことであった。
私がこの「お知らせ」で取り上げた話題は、正しくは「電子自動車」ではなくて、「電気自動車」だろう。文字通り、ガソリンではなくて電気をエネルギーとして動く自動車だ。その自動車の運転系統が一個のシステムとして取り扱われて、自動運転を目指す方向であり、そのシステムはいわば巨大なAI・電子システムだから、電子自動車と呼んでも違和感はないが、普通はやはり「電気自動車」(EV)と呼ぶ。★わたしにしたってよく知っているわけではない。直接には、「エコノミスト オン ライン」上の「テスラが巨大工場で中国攻略 コスト優位性で日欧勢に挑む=湯進氏」という記事、20年4月27日配信、を引用している。特にその中の2020年1-3月の販売台数トップ10車種という表で、中国で開発・販売されている新エネルギー車(NEV)の中で、米国企業のテスラのモデル3が、圧倒的優位を示していることを、示している。☆「販売台数」で勢いを計るのは、従来の自動車メーカーの伝統的手法だが、いま、旧自動車から新自動車への移行期には、「販売台数の伸び」の持つ意味が、トヨタのような旧自動車メーカーでは非常な足枷(収益力の低下)を伴うものとなるが、新自動車メーカーにとっては指数関数的成長を意味することになる。この「事情」のゆえに、株価売上高倍率でいうと、テスラはトヨタの7倍の評価を受けて、たとえばグーグルと同程度の評価を受けるというのだ。★ネットで記事を読むと、その同じページに「エコノミスト8月11日・18日合併号」広告が出ている。その号の中の記事「ついに世界1位!悔しがるトヨタが到底まねできない[テスラだけの3つの強み]」という記事か出ていて、たいへんに参考になる。どうだろう。お盆はこのエコノミストを購読したら?☆ポストコロナにはこの新産業が世界の耳目を一層引くことになろう。どうしても米中経済協力がなければ、米国テスラが発達して首位に付けていることは不可能だと思うが、なおかつつまらない争いをくりひろげるのかね。
月曜日・曇り、気温予報26-20度・札幌。★青森県で、都会の人間が実家に一時帰省するのを非難する強烈な匿名の文章が「実家」の玄関に放り込まれていたと大騒ぎになっていると、テレビが報じている。それにしても都会の人間が3人なり4人なりの一行になってお盆帰省するのが、実家側にとって実は大変な「難行」と化す場合が決して少なくはない。(せっかく高い旅費をかけて実家に来た人々が、この機会に大いに羽根を伸ばして心身を休めようとするのは、「理の当然」かもしれないだろうがね。年老いて心身ともに不如意になつている両親をいたわるためにお盆帰省すると考える都会人がどれくらいいるか。)ましてやこのコロナ禍の下。この「とんでもない匿名の文章」は、かなり多くの地方居住者の心を表現しているような気がする。だからたまたま現れたこの文章、このニュース、これからお盆までぜひ連日テレビで報道していただきたいものだ。★道新5頁社説「厳しい世界経済 けん引役不在が心配だ」。世界経済の現在は、経済のけん引役が見当たらないので、将来が心配だという論旨。肝心の米国は、経済推進が「前のめりに過ぎて」感染抑制がおぼつかなくなっていて心配である。中国も現状維持が精いっぱいで盛り上がりを欠く、という。★たまたまブログで「自動車:テスラが」という文章を見たが、電子自動車というコンセプトが異常な成長率を秘しているという記事である。現在「テスラ」という米国メーカーがトップの座にあるが、欧米諸国の電子自動車の中国現地生産でも、テスラは並はずれて高い競争力を発揮しているという。どうして米国は、中国でのテスラ開発をこのコロナ禍の下でも急発展させて、「明日の世界の自動車王国」を目指さないのか。(というのは、米国ステラは目下休業中だからだ。)この米国が主導する自動車王国、米中の親しい経済協力がなければまったく成り立つまい。