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ところでこの某大学某学部の同級生たち。その後の進路は、グロスにはだいたいはっきりしてきた。まず卒業生の三分の一は、様々な学校教師になり、奨学金を返さないで済んだ。つぎの三分の一は、さまざまな公務員になったが、社会福祉関係が突出している。最後の三分の一は、いろいろ様々で、みんな苦労した。何しろ当時は社会に出ても就職がおいそれとある時代ではなかったので。私あるとき東北本線を鈍行に乗っていて、郡山駅を通過したとき、プラットホームで腕に例の輪を釣っている人物を遠くに見かけた。あれ、誰君だ、という間に汽車が出てしまった。あれ、いつのまに国鉄に入っていたのだろう。☆例の「キャプテン オブ インダストリー」氏は、想像するに、きっと今頃は、大きな特養ホームを経営しているンじゃなかろうか。これがわが同級生の、もつともありうべき、事業家像である。
日曜日・晴れ・札幌。☆申し分ない好天気。ただ、明日から一週間ほど、毎日雪がちらつくという天気予報だ。☆NHK大河ドラマは、今度は渋沢栄一伝、「晴天を衝け」。第一回目は見逃し、今晩第2回をみる。国民的大河ドラマの主人公に、「資本家」を初めてもってきた。私、感無量。昭和31年に某大学某学部の1年生になって、最初に同学年生が集まった。こもごも立って、「これから何をしたい」というようなことを言った。たいていは「今年まずなにをしよう」という話で、「将来何になる」ということを言う者は少数派だった。いまにして思い出に残っている発言は、A君いわく、「僕はこの夏休みにモームのオブ ヒューマン ボンデジを読もうと思う」。みんな同じようなことを考えていた。B君曰く、「僕は早速『資本論』をドイツ語原本で読もうと思う」。そもそもたいていがドイツ語は第二外国語で学習し始めたばかりなので、とんでもない高い志と感心。(この男、某寮に入ったが、実際に日夜ベッドの中で『資本論』原本に挑戦していた。)C君曰く、「僕は同志を募ってエスペラント語という世界語の学習に努めたい」。(私はC君に共感して、その後エスペラント語に入門した。)ところでここに一人いて、「僕は将来キャプテン オブ インダストリーになるつもりだ。」この語を聴いた同学年生たち、いままでしんと黙っていたのが、急に異口同音、不服の声を挙げた。(この語が皆の気に合わなかったのだ。)☆今にして思えば、時代差とは恐ろしいものだ。「キャプテン オブ インダストリー」は、さしずめ事業家とでも言っているわけで、(ちょつとしゃれた言い方をしただけだ、)どうということはないのだが、あたかも「財閥になりたい」とでもいったかのように私の同級生たちには響いたのである。☆しかし、ひるがえって、「資本家」とは一体なんだろう。現実の存在としては、どう定義するのが、もつとも妥当だろうかね。即答して、妥当な定義を述べる御仁は、なかなかの人だろうよ。かくのごとく現実というものは、なかなか正確には語りにくいものだ。☆現代は組織の時代です。その組織を指揮するのが、資本家です。これは昭和40年頃私が聞いた「定義」。組織とは、株式会社さ。これは私が最初に就職した会社の社長の持論だった。君たちは会社の社員として時代のために尽くすがよい。本の書名、『社員時代』。
金曜日・薄曇り・札幌。☆朝方までの降雪数センチ。その後穏やかな天候。天気予報では、今日、明日、明後日、降雪なく、好天という。本州も悪天一過という。これで札幌も冬の峠を越えたな。うちの排雪業者は2月23日に来ることになっており、その後は3月に2回の排雪予定日で、今冬終了。町内会は3月3日に側道に堆積した雪を相当に排雪するだろう。☆ウエブに2月19日配信された記事、「中国在住で"貧困化"した女性の嘆き」、bizSPA配信。日本語教師として中国に8年在住している間に、当初そこそこの待遇と思っていた収入条件が3分の1ぐらいに低下してしまった、という嘆き。私も1980年代に米国で見聞していた事情で、日本人は最初の給与条件で満足して転職しない人が多いので、「当初の給与で据え置かれている」ために数年後に貧困化してしまうという嘆き。海外で生きる気なら、少しでも条件のいいところを求めて転職するライフスタイルでないとやっていけない。むろんそれ以外に、中国の経済発展が過去10年間活発だったということもあろう。
木曜日・雪・札幌。☆朝食頃30分ほど吹雪いた。雪は少量だが間断なく降っている。☆天気予報は、道新が午前9時前は雪と、ヤフーは午前中曇り時々雪と、テレビは午後雪と。みんな同じような、違うような。いずれにせよ今日一日は大変不安定な天候だろう。雪の分量自体はたいしたことがなさそうなので、風さえ止めば普段通りであろう。ただ、こういう天候の時には、公共の排雪車はほとんど出動しないから、遠距離の道路交通には大いに懸念があろう。☆うちの南面のベランダの雪は、昨日ほとんどなくなりかけていた。今朝の降雪で数センチ積もったが、これがなくなる日は時間の問題。☆うちの南側側道は町内会がいま道路整地中。道路ががたがたに緩んでいたので、平に敷いてるのだ。町内ほかの側道も、日を変えて、同様の作業をしている。春を待つ気分だ。
道新6頁に当面の「小樽運河問題」が特集され、読みでのある記事になっている。いまの小樽運河問題は、第3号埠頭の斜め向かいにある「北海製缶小樽工場第3倉庫」を解体させてしまうのかどうかという問題に集約されているようだ。この存在感のある歴史的建造物を会社が維持しがたいので2020年中に解体しようというのを、どう保存してゆくかというのが「今の問題」。むろんそれ以外に、小樽市の街並みをどう残すかという問題もあつて、商工会議所はすくなくとも「境町通り商店街から北運河のエリア」の「建物の色や高さ、形などの外観」を保存する条例を期待している。☆記事の真ん中に年表があって、小樽運河問題を考えるのに便利だ。おもうに「小樽運河問題」は、1960年代に小樽市の産業振興・産業開発に資すべく、道道小樽港線(臨港線)を建設するために「レトロ」な小樽運河を全面的に埋め立てようという開発計画に端を発する。当時は開発ブーム。石炭業もまだ存在感があった。苫東開発が当時北海道挙げての開発焦点だったころ。1980年代に横道知事の裁定で、運河の南側半分を埋めることになり、この方針で工事が完了した。☆さてさて、たいへん皮肉なことに、過去半世紀の間に天下の形勢が一変した。小樽市の生きる道は観光小樽であることが明瞭になった。(この劇的な形勢一変は、北海道しかりだろ、日本然りだろ。小樽問題は、北海道と日本の縮図であろう。そして小樽市を観光都市として盛り立てる政策は、非常に説得力があるが、ことが北海道となると、いま目の前で、平気で貴重な観光資源を次々に切り落としているんじゃないか。)☆観光でうまくいったら万歳だけで、問題は済まないと、この記事で堀川三郎氏は言っている。「観光でうまくゆくと駐車場が必要になる。そこで、歴史的な建物でも中途半端なものは壊して駐車場にする。あるいは、観光地となり地価が上がって固定資産税も上がると維持出来ないから、壊して新しいものを建てて人に貸す。こんな悪循環が起きているのです。」これじゃ困るじゃないかというのだ。観光政策は賢く精密で総合性のあるものでなければなるまい。☆しかし、まずその前に、観光でゆこうという確固たる気構えが必要だろう。