インフォメーション
木曜日・朝方晴れ・札幌。☆気温は低い。一日の天候がどうなるかは、いまわかりようもない。☆昨日、確定申告してきた。今年の税務署は、「ものものしい入場制限」を予告しているので、どうなることかとおもった。たいていの場合、うちでは、「窓口提出」だけなので、その場合でも物々しい入場制限にあうのかと不安だった。税務署に電話しても、さんざん待たせるばかりで、一向に運ばない。実際に行ってみたら、「窓口提出」だけならば、入り口でそのように述べれば、すぐに「提出窓口」に誘導してくれて、何の問題もない。(もしその人が税務署の駐車場を使わなければ、窓口提出だけなら、なんの問題もない。)いつもの税務署だが、入ってくる人の誘導路と出てゆく人の誘導路がちゃんとテープを張って区別されており、入り口で「機械検温」される。少なくとも一階は、普段よりも静かなくらいであった。(もっとも、提出だけなら、郵送してもいいわけで、直接に税務署に行く必要もないことになる。)今年は確定申告の締め切りが1ケ月延長されているので、気分の上でゆとりがある。★道新1頁「卓上四季」。先月のタイム誌の表紙に、ファイザー・ビオンテック製コロナワクチンの開発者の夫婦の写真が載ったという書き出し。私、この著名なワクチンの開発は定めし「アングロサクソンの堂々の偉業」なのかと思っていたら、ドイツ人で「移民の子」なのだそうで、ドイツの首相メルケル氏はこの「移民の子」を「ドイツの誇り」と讃えたそうだ。移民を相当に受け入れるのは、先進国の人口政策として今日必須だと思うが、受け入れた人々が納得できるような待遇を保証するように考慮するのが、「先進国」に必要なことだと思うよ。教育上の扱いにしても、選挙権を与えることにしても。
北海道新聞、2月21日号。この日曜版に、改めて世の人が覚醒すべき話題をどんと盛り込んでいる。その中でも際立った話題を二三のみ拾わせていただこう。私たちは情勢に追われてばかりいないで、時には覚醒しなければ。★6頁「カツコウ鳴く街で」。最近の政治の口癖が「震災復興を忘れない」だが、口癖ばかりに終わっていないか。聖火ランナーを走らせるのが、福島県をクローズアップしていて、「震災復興を忘れない」のお手本のように聞こえるが、イベントばかり並べていて、震災復興になるのか。原発政策を続けることには今度の福島震災で抜本的反省を迫られたはずだが、いつきっぱりと原発をやめるのか。私も指摘していたところだが、もともと東北震災地の中のかなりは、もともと震災前に過疎化が問題になつていたところが多い。震災復興住宅を丘の上に並べて建てれば、「復興終了」というわけにはゆくまい。住民の社会・経済は、どうやって立ちゆくのか。★7頁「米軍駐留費交渉 巨額負担の検証必要だ」。欧州の場合等と比較して、もともと日本の負担が過重ではないか。日米地位協定では日本の法的地位がひどくみじめではないか。★留萌線存続協議 道の主導が欠かせない」。いまや留萌線の存続が累卵の危うきにあるが、日高線に続いてここも切り捨てようというのか。
月曜日・晴れ・札幌。☆降雪なく、朝方晴れ。★道新1頁「高齢者接種遅れも 4月ワクチン供給限定的 政府、計画変更へ」。ワクチン供給計画が、なにやら、大きく狂ってきて、政府が従来説明していたような国民的接種日程が、大きく変更(つまり延期)されることになりそうだ、という驚くべきニュース。★従来のような政府説明であれば、高齢者接種は国民的に4月中にかなりできそうだった。しかし今は、5月?★従来は国民的接種が初夏までにかなりできるような印象を政府は与えていた。それというのも「6月」に大分量のワクチン輸入を政府が見込んでいたからだ。それが「6月」でなくて、年内?だというから、なんと半年も先に伸びそうだ。しかも確たる見通しを政府は発表していない。「大変だ」という見通しだけを振りまいた。★これじゃ「前のめりの経済回復」だの「予算に糸目をつけない補償」だの、口にする方が気が狂っている。これは「防疫」の先の見通しがはっきりしていて初めて画策できることだからだ。現実的な経済・社会の運営を、改めて心がけねば。★今夏予定のオリンピックは完全に無理だな。
ところでこの某大学某学部の同級生たち。その後の進路は、グロスにはだいたいはっきりしてきた。まず卒業生の三分の一は、様々な学校教師になり、奨学金を返さないで済んだ。つぎの三分の一は、さまざまな公務員になったが、社会福祉関係が突出している。最後の三分の一は、いろいろ様々で、みんな苦労した。何しろ当時は社会に出ても就職がおいそれとある時代ではなかったので。私あるとき東北本線を鈍行に乗っていて、郡山駅を通過したとき、プラットホームで腕に例の輪を釣っている人物を遠くに見かけた。あれ、誰君だ、という間に汽車が出てしまった。あれ、いつのまに国鉄に入っていたのだろう。☆例の「キャプテン オブ インダストリー」氏は、想像するに、きっと今頃は、大きな特養ホームを経営しているンじゃなかろうか。これがわが同級生の、もつともありうべき、事業家像である。
日曜日・晴れ・札幌。☆申し分ない好天気。ただ、明日から一週間ほど、毎日雪がちらつくという天気予報だ。☆NHK大河ドラマは、今度は渋沢栄一伝、「晴天を衝け」。第一回目は見逃し、今晩第2回をみる。国民的大河ドラマの主人公に、「資本家」を初めてもってきた。私、感無量。昭和31年に某大学某学部の1年生になって、最初に同学年生が集まった。こもごも立って、「これから何をしたい」というようなことを言った。たいていは「今年まずなにをしよう」という話で、「将来何になる」ということを言う者は少数派だった。いまにして思い出に残っている発言は、A君いわく、「僕はこの夏休みにモームのオブ ヒューマン ボンデジを読もうと思う」。みんな同じようなことを考えていた。B君曰く、「僕は早速『資本論』をドイツ語原本で読もうと思う」。そもそもたいていがドイツ語は第二外国語で学習し始めたばかりなので、とんでもない高い志と感心。(この男、某寮に入ったが、実際に日夜ベッドの中で『資本論』原本に挑戦していた。)C君曰く、「僕は同志を募ってエスペラント語という世界語の学習に努めたい」。(私はC君に共感して、その後エスペラント語に入門した。)ところでここに一人いて、「僕は将来キャプテン オブ インダストリーになるつもりだ。」この語を聴いた同学年生たち、いままでしんと黙っていたのが、急に異口同音、不服の声を挙げた。(この語が皆の気に合わなかったのだ。)☆今にして思えば、時代差とは恐ろしいものだ。「キャプテン オブ インダストリー」は、さしずめ事業家とでも言っているわけで、(ちょつとしゃれた言い方をしただけだ、)どうということはないのだが、あたかも「財閥になりたい」とでもいったかのように私の同級生たちには響いたのである。☆しかし、ひるがえって、「資本家」とは一体なんだろう。現実の存在としては、どう定義するのが、もつとも妥当だろうかね。即答して、妥当な定義を述べる御仁は、なかなかの人だろうよ。かくのごとく現実というものは、なかなか正確には語りにくいものだ。☆現代は組織の時代です。その組織を指揮するのが、資本家です。これは昭和40年頃私が聞いた「定義」。組織とは、株式会社さ。これは私が最初に就職した会社の社長の持論だった。君たちは会社の社員として時代のために尽くすがよい。本の書名、『社員時代』。