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長澤規矩也『三省堂漢和辞典』6--7ページの要点を紹介します。
まず、漢字を左右か、上下かに分けられるかどうか、考えてみます。分けられたら、左半分(偏)か、上半分(冠)かが部首にあるかどうか捜してみます。
例1. 「相」。左右に分けると木と目とになります。そこで「木」が四画ですから、部首索引の四画の中で「木」を捜します。「木部」が427頁から始まっていることを知り、それから、「目」が五画ですから、次に枠の外--「柱」とよびます--で、【木(左)】の5を見つけます。430頁の第三段にみつりました。(このあと奇妙な説明が追加される。「相」のすぐ下に「もと目4」としてあるのは、普通の漢和辞典では「相」は木部4、つまり木部四画になつているんだと。なぜかというと、「相」というのは、木に登ってみるとよく見える、ということからできた漢字だからだそうだ。しかしこんな具合に漢字の「本来の意味が分からないと部首の判別ができない」のでは、初学者には判じ物みたいなものだろうと批評。長澤氏は、「見た通りの木部」で引く発想で、初学者が漢和辞典を使いやすくしているのだという。)例2. 「季」。上下に二分すると「*」カという冠と、「子」という脚に分かれる。部首索引で、この「*」カは、498ページとなつている。足の「子」は三画なので、500ページの第三段に「季」を見つける。そのすぐ下に「もと子5」としてあるのは、「季」という字は、末っ子という意味で、従来この字は、だから脚の「子」の側から引くのだとされていたことを表す由。この辞典ではそう引いてもちゃんと出てくるが。初学者はこの字は「*」カという冠から引くのが自然に感がられはしないかというのだ。(次回に続く)なお上記「子」という字は、二画でなく、三画である。辞典に「子」の書き順が示してある。それを注目すると、はあ、三画なのだ、ということがわかる。
この長澤規矩也『三省堂漢和辞典』に学ぶ点は無数というぐらいありますが、いまとくに私がありがたかった点、三点に絞ります。第一点。「親字の引き方」6--7ページに示される、「親字の見つけ方調べ方の練習」です。こういう具合に例示してもらえると、たいへんにわかりやすい。第二点。「漢和辞典の引きにくい理由のもう一つは、漢字の画数がよくわからいということです。」(3ページ)として、説明しておられる「漢字の画数の数え方のありよう」(5--6ページ)です。第三点。漢和辞典で初学者が、親字(漢字)をその「見たままの」部首(端的に、偏旁冠脚)で引こうと志した場合、なんとも形容しがたい困難に出会うだろうとしているわけですが、この困難を分解し、わかるような説明にまとめるのは大変なことで、それをこの辞典が4--5頁で説明している点です。この問題は、教育漢字と当用漢字のような初等教育レベルで漢和辞典を使うという教育的に基本的な場面では長澤氏流で問題ないと思います。しかし国民文化的には、このレベルでは満足しえないでしょう。『康煕字典』の部首を本来とする部首索引のありように理由があるというレベルがありはしませんか。それにしても初学者が多くは『康煕字典』の部首索引を本来とする部首索引のありようで、すでに大概挫折してしまった後の「国民的文化」を顕彰するのも、おかしなものです。
いま漢和辞典は売れないそうです。漢和辞典を編集し刊行する今後の日本の企画はかなり絶望的だと言われています。いま古本屋では、堂々の漢和辞典が、1冊100円から200円で売られています。300ないし350円出せば、かなり多くの種類の漢和辞典が容易に手に入ります。「千円以内」となれば、ほぼ問題なく買えるのではないか。どうぞ日本の同胞のみなさん。いま1冊か2冊、漢和辞典を入手し、漢字の問題を考えてくださるようお誘いします。ひょっとすると近い将来、漢和辞典がまったく書店に現れなくなるかもしれませんよ。もしそういうことになつたら、あなたの子弟に手元の虎の子の漢和辞典をを与えて、あなた自ら漢和辞典の引き方を説明したらどうだろう。まずその前に、あなた自身もいま、漢和辞典の引き方を回顧してみる。そうお勧めしたい。
漢字の学習(2) 長澤規矩也『三省堂漢和辞典』三省堂、2010年。しばらくこの辞典をガイドとして、この辞典が行っている部首索引のありようを紹介する。「これならうまくゆきそうだ」と、私は感心した。
まず私は「親字(おやじ)」という聞きなれない言葉に出会った。(なーに、私が聞きなれないのは、たんに私の無知からくるもので、そもそもまともに漢和辞典を引いたことがないので、そういう作業に際して知る必要のある言葉を、私が知らなかったのだ。)親字とは、つぎのようなことである。「今日の漢和辞典というものは、漢字の一字ずつについて、古来わが国で使っている読み方と漢字のもとからの意味とをしるし、その説明のあとには、その漢字--親字といいます--が頭についている二字以上のことば--熟語といいます--を並べて、その発音と意味とをしるしたものです。親字は、多くの漢字の中から、共通部分を取り出して、共通部分ごとにまとめてあります。この共通部分を部首というのです。」同辞典4ページ。この親字、熟語、部首という言葉を、当然のように念頭に置かないと、漢和辞典はさっぱりわからないことになる。
漢字の組み立てはこうだとまず述べてくる。「漢字というものの多くは、左右か上下かに二分できます。左右に二分したとき、左半分を偏(へん)といい、右半分を旁(つくり)とよび、上下に二分したとき、上半分を冠(かんむり)といい、下半分を脚(あし)とよびます。」同辞典4ページ、のように「偏旁冠脚」を説明する。ところがこのように理解していると、まったく想像を絶する事態に出会うので、どうも初心者は訳が分からなくなるというので、なんとかこの「偏旁冠脚」という理解で引けるように漢和辞典の側で工夫しようではないのかというのが、この長澤氏の辞典である。この辞典の6--7ページで「親字の引き方」という「親字の見つけ方調べ方の練習」を示している。愚直にこの実例に従ってみることだ。(この文章ではとても紹介しきれない。)
いま引こうとする親字の偏なり、旁なり、冠なり、脚なりを(つまり部首を)探したら、辞典でその部首の箇所のページを開き(辞典巻頭の部首索引に、どのページを開けばよいか示してある)、対極の部分、つまり偏なら、右側、旁なら左側、冠なら下半分、脚なら上半分、の画数を数え、その画数にあたるページを開くとその辺に引こうとする親字が存在し、その親字の読み方、意義、その親字で始まるいくつかの熟語とその意味、が書いてあるという次第である。うーんこれなら何とかなりそうだ。いかがですか。
漢字の学習
これはまた、おそるべき固い題だが、多分これが最適の題だろうから、仕方がない。
漢字を用いるさいに最も多く漢和辞典を引くのはどのようなときかといえば、ある漢字を漢和辞典を引いて見つけ、その読み方(音と訓)や、その漢字を用いた熟語の意味を知るということだろう。
ところが、漢和辞典は部首で引くようになっているが、そしてその部首はたいてい漢和辞典の表紙の見開きに大きく、たくさん、提示してあるが、今引こうとしている漢字がどの部首に属するのかということがわからないと、引きようがない。
漢和辞典は漢字の総画数で引くという方法も用意しているが、画数の非常に多い漢字はそれだけでもう引く意欲をなくしてしまう。
漢和辞典は読み方(音または訓)で引く方法も用意しているが、そもそも読み方を知らなければ引きようがない。よしんば読み方を知っていても、漢字は「同音異義」の場合が非常に多いので、同じ「読み」について膨大な候補が現れると引く意欲を失ってしまう。
低学年のさいに漢和辞典を引く努力が一向に奨励されず、「新しい漢字が出てくるたびにしっかり学習すれば、漢和辞典を引く必要自体があまりない」などど指導者が公言するようでは、まるで漢和辞典を引くのは不急不要の仕事をするバカになったような気さえする。(実は英語の学習でも、このように公言する指導者がいるので、英和辞典を引く癖がなかなか生徒にできなかったりする。)
今度入手した長澤規矩也編『三省堂漢和辞典』は、この、漢字学習に際しての部首の引き方について、たいへんわかりやすい対応方法を用意しているように思われる。あえてこの話題を数回に分けて述べてみることにしたい。
『太平記』に思う(3) 呪縛からの脱却
前回書いた戦時中の精神状態からの脱却は、1945年、私が国民学校(小学校)3年夏の日本敗戦と、引きつづく大量のてんやわんや状態の中で急激に進んだが、次の2件は特に印象に残った出来事だ。1つ。進駐軍兵士との最初の遭遇。なんでも大変暑い日だったと記憶している。私はたまたま日中一人で、西方隣町の(神明峠方面から)まつすぐ当町を通り抜けて東の町へ行く道路の片隅に立っていた。きっと何らかの理由で鉄道の駅へ行く途中だったと思う。突然西方から兵士1名の運転するジープがたいそうな速さで現れ、私の立っていたところから少し先で急停車した。5歳ぐらいの幼児がひょこひょこと路上に出て、轢かれたのである。兵士は正体のない幼児の体を抱きあげ、絶叫しながら大人の姿を探した。/私にはこれはまつたく思いがけないありようで、「鬼畜米英人」という思いは感じようがなく、その兵士に人間らしい人間の姿を見た。2つ。敗戦後間もない日のこと。何種類かの教科書を持参し、習字の用具も持参するという指示が出ていた。まだなじみのない教師の指示で、数日前まで使っていた教科書を開き、詳細に指示・指定された箇所を墨で塗りつぶして読めなくする作業が延々と続いた。「なぜそうする」という説明は一切なし。学校の教師の多くが近隣の学校の教師と交換されていた。/テクスト(文章)というものは、このように、後からすっかり消して、「ないものにする」ということができるものなのだと、強く感じた。
現実が壊れては、戦時中の精神状態は、とうていありうることではない。それにしても、それに伴う「甘美な思い出」は、それはそれとして、消えはしない。/こういうことに対して、古人は、「敬して、遠ざける」というが、むべなるかな。