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2022-10-15 21:38:00
『太平記』に思う(3) 呪縛からの脱却
前回書いた戦時中の精神状態からの脱却は、1945年、私が国民学校(小学校)3年夏の日本敗戦と、引きつづく大量のてんやわんや状態の中で急激に進んだが、次の2件は特に印象に残った出来事だ。1つ。進駐軍兵士との最初の遭遇。なんでも大変暑い日だったと記憶している。私はたまたま日中一人で、西方隣町の(神明峠方面から)まつすぐ当町を通り抜けて東の町へ行く道路の片隅に立っていた。きっと何らかの理由で鉄道の駅へ行く途中だったと思う。突然西方から兵士1名の運転するジープがたいそうな速さで現れ、私の立っていたところから少し先で急停車した。5歳ぐらいの幼児がひょこひょこと路上に出て、轢かれたのである。兵士は正体のない幼児の体を抱きあげ、絶叫しながら大人の姿を探した。/私にはこれはまつたく思いがけないありようで、「鬼畜米英人」という思いは感じようがなく、その兵士に人間らしい人間の姿を見た。2つ。敗戦後間もない日のこと。何種類かの教科書を持参し、習字の用具も持参するという指示が出ていた。まだなじみのない教師の指示で、数日前まで使っていた教科書を開き、詳細に指示・指定された箇所を墨で塗りつぶして読めなくする作業が延々と続いた。「なぜそうする」という説明は一切なし。学校の教師の多くが近隣の学校の教師と交換されていた。/テクスト(文章)というものは、このように、後からすっかり消して、「ないものにする」ということができるものなのだと、強く感じた。
現実が壊れては、戦時中の精神状態は、とうていありうることではない。それにしても、それに伴う「甘美な思い出」は、それはそれとして、消えはしない。/こういうことに対して、古人は、「敬して、遠ざける」というが、むべなるかな。