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2016年6月8日、主要新聞が一斉に伝えるところでは、日本の都市銀行の代表格である東京三菱UFJ銀行が、国債引き受け特別資格について返上する検討をしているという。
日本銀行がマイナス金利政策を採用して以来、国債市場は「ひん曲がった」市場になっている。買った国債を満期まで保有しても損失にしかならない。現在は日本銀行が「高値」で国債を買い取ると「約束」しているので、国債を買った者は日本銀行に売ることによって損にはならない。しかしこのようなありようを強制される日本の都市銀行としては、経営的にこういうことでは困ると考えているのであろう。
もともと日銀のマイナス金利政策に関して、都市銀行からあからさまな批判の声が数週間前から上がっていた。東京三菱はついに強硬な態度に出ようとしている。東京三菱の都市銀行としての存在感の大きさからいっても、事態はとうてい放置を許すまいと思う。
地方銀行やゆうちょ銀行となれば、その経営上のありようから見て、事態は都市銀行よりも深刻であろうと思う。それがいまにわかには表面に出ないのは、日本銀行が80兆円という巨額の目標を定めて、人為的な高値で日本国債を買い上げているからだ。すでに国債発行額の3分の1が日銀保有になっているという。最近は日本国債格下げの話題もささやかれており、そうすれば日本の銀行の格付けもそれに引きずられて下がると、銀行関係者は懸念する。
日銀のクロダミクスは、日本の民間銀行の支持がなければとうてい継続できるものではない。政府・日銀が強権だけで押し切ろうとするのには、無理があろう。
日銀はマイナス金利をやめるときではないか。
安倍氏がいわれのない世界経済の危機観をもっていると、いま日本中のほとんどあらゆる立場の人々から叩かれている。
私はこの前この欄に、「いま世界経済に危機観をもっていなければ、そのことのほうがよほどおかしい」という文を書いた。
今日はあえて言いたくもないのだが、「決定打」を書こう。どうして現在のような極端な世界経済の構図を、危機とは思わないのか。
リーマンショック以後、欧米の中央銀行は、貨幣発行量の量的大緩和・いわばはらまき・を行ってきた。それはおのずと超低金利政策を伴っていた。その結果欧米通貨の対外価値は低く維持された。
そうしなかった日本のような国と比べれば、その間欧米諸国の経済成長率は高く維持され、欧米にはデフレは起こらなかった。
このような欧米の金融政策は、おのずと国債の大量発行政策とつながるであろう。
さて、2012年に安倍内閣が成立したときに、安倍氏の「おともだち」である黒田氏が日本銀行総裁になった。そして黒田氏の下で、日本銀行はここに述べた欧米型金融政策をとる決断をした。
ただ、自然にそうなったのではない。浜田宏一氏その他の幾名かの経済学者がこの「クロダミクス」を慫慂したのである。
浜田宏一氏『アメリカは日本経済の復活を知っている』講談社、2013年には、浜田氏がどのような理屈で安倍氏に「クロダミクス」を勧めたのかということが、詳しいデータ入りでくっきりと示されている。
今思えば、「アベノミクス」の「成功」の90パーセント方は、この浜田氏のような意見を安倍氏が採用したということにあるだけである。
その意味では、「アベノミクス」は手品でも幻でもない。
しかし、リーマンショック以後じつに8年もたつのに、欧米日の中央銀行がこのはなはだしい、緊急的金融政策を、続けているとはどういうことか。そのこと自体がたいへんな危機ではないのか。
早い話、この緊急的政策からの「出口」を、欧日の中央銀行は、どのようにまじめにかんがえているのですか。ぜひヒントなりとお示しくださいな。
米国の中央銀行である連邦準備銀行は、ご存知のとおり、何とか通常の金利政策に復帰しようと躍起になっている。それがうまく、問題なく、復帰できるでしょうかね。欧日はどの程度それに「協力」するんですかね。そのようなシナリオを損なう意外な突発事項が世界経済に起こる可能性は、ぜんぜんありえないのですかね。
安倍氏がどのような根拠で世界経済の危機観を直感しているのかは、私は知りません。しかし私は、世界経済の危機の懸念は濃厚にあると思いますよ。
日本の金融政策を急速に欧米に合わせるだけなら、この世界マクロ経済的な判断からすれば、日本の財政規律はローカル問題でしょうね。しかし日本の貨幣量増加政策は、日本自体のローカルな政策としては「デフレ退治」という触れ込みを強調して行われました。それに国債大増発を伴っていることは、ローカルに財政規律を取り扱うときに微妙な綾を生みます。要するに、世界マクロ経済的判断と日本国内のローカルな判断がどう「接合」するのかという問題です。
つまりは、世界経済の危機という認識が、どのようにローカル経済政策の認識につながるのかは、安倍首相の政治責任ということでしょう。この「接合」の仕方に一義的答えはないでしょうよ。
なお諸氏は、いま世界経済の危機はない、と言い張るのですか。
最近、民泊をもっと手掛けやすくしようという勢いが、強くなってきたようだ。
当アイランドコーポにしても、民泊への取り組みは考えていないのかと、いぶかる人もあろうかと思う。
この4月に、いったん、民泊を「自由化」するかのような決定が公的になされたかに見えた。
しかし現実にいま日本に押し寄せている外国人宿泊の勢いに比較すれば、公的なこの4月の決定はとてもとてもお話にならない非現実的な、自由化の度合いがとてもとても低いもので、ほとんどなにも決定しなかったに等しいものであった。だから、とくにこの4月から公的な意味での民泊が画期的に増えるなどということはなかったのである。
決めた公のほうが、この4月の決定の非現実性に気が付いて、「格段に画期的」な民泊制度を打ち出そうと呼号している。
しかしそうそう簡単には事態は進むまいと、私は思う。
にもかかわらず、大勢としては、民泊を大幅に自由化しないかぎり日本における今後の外国人宿泊の解決は難しいと思う。
ただ、従来の日本の強い規制措置と、今後必要な宿泊態勢のあいだで、事態はしばらくあっちへいったり、こっちへいったりすると思う。
とにかくこの民泊の自由化という事態は、「自由化」を唱えてもその自由化の内容が非常に危うく、事業上たくさんの「わな」が控えている。
(たとえば一例。日本における外国人宿泊者の動向は、円安か円高かで非常に違ってくる。同じ円安でもその程度や、為替の安定度も関係する。突然需要が収縮するだろうが、そのようなリスクを助けてくれる仕組みなぞどこにもない。)
当アイランドコーポは、むしろ、今後ありうべき多数の民泊事業希望者と、共に助け合いながら進むという方向を取ろうと思う。そのような共栄共存の社会的関係のために、当アイランドコーポをも役立てたいと思う。
時あたかも、野口観光というホテル業・温泉旅館業の大手が、ホテルや旅館で働く人材を育てる全寮制の職業訓練校を、苫小牧に2018年度に開校するというニュースを見た。(北海道新聞2016年6月5日号、1ページ)野口観光は苫小牧に、苫小牧プリンスホテルをもっているし、その近所の温泉地に経営する旅館を持っている。いわゆる「オン・ジョブ・トレーニング」も可能になるのではないか。
今後とも北海道に発展しそうな産業は、観光業、ホテル業等であることは間違いない。特に外国人を顧客として受け入れる仕組みは、北海道では非常に不足している。それに、切羽詰まったところ、外国人を待遇できるような観光業、ホテル業の従業員は、現在すでに払底しており、それを急速に養う必要がある。ローマは一日にてはならず、であろう。
私が考えるところも、民泊業の事業者がおたがいに助け合って事態を切り開いてゆくことである。たとえば、英語や中国語になんとかなじめる訓練、民泊に関する情報を交換し、なんとか窮地に陥らないで事態を切り開いてゆく相談を普段から行う仲間組織、各事業者が持っている特徴や強みを事業に生かしてゆく研究、(事業者個人がもっている資産、家屋、畑、趣味、人材、人脈、技術たとえば料理の技術、土地勘等々、生かしようでいきると思う)等々、かんがえられることはいっぱいある。
要するに「民泊研究会」を企画する。たとえば現在60歳ぐらいで、現在の家庭、資産構成、家族をもとに将来の家計を強化して老後の安定をはかりたいとお思いにならないか。
まあとりとめもなく書いたけれども、そのうちにもっと整った計画として公にする。
とても野口観光さんの学校とは比較になるまいが、一種の「民泊学校」かもしれない。各個の民泊事業者がばらばらに考えるより、協力できる点は協力するほうがいい、と私は考える。
ご一緒に、集まって、考えませんか。
北海道大沼公園近くの町で、七飯町(ななえちょう)で5月28日に行方不明になった小学校2年生の男子生徒が、6月3日朝、隣町の鹿部町(しかべちょう)の自衛隊演習地内の小屋で無事発見された。
この小屋は自衛隊のかまぼこ型の小屋で、自衛隊員50人が宿泊できる広さがあり、その中に置かれていたマットレスにくるまり、小屋の前の水道の水だけを飲んで過ごしていた由。行方不明になった地点からこの小屋までは10キロぐらいあるが、5月28日のうちにそこへ移動していた模様。この間6日ほどの捜索活動は、行方不明になった地点を中心に行われていたように思われる。7歳の少年にこれだけの行動力と生命力があったというのは、ありがたい驚き。
このニュースは全国的となり、ネット上でも驚くべき多数の人々の関心を集めた。書き込みの半分は、なにしろこれだけ長い間少年の音沙汰がなかったから、戸惑いの声であったと思う。他人を信じ、己を信ずることの尊さが、お互い、身に染みてわかったのではなかろうか。
本州の人であれば、北海道地図をご覧になると、函館市の上のほうに七飯町があり、そこは大沼国定公園の東である。その位置から地図は右のほうにぽっこり膨れていて、駒ケ岳と鹿部町がすぐわかる。少年が発見された小屋は、函館本線鹿部駅に近い。
実は私も、幼時に、家族を心配させたことがある。私は当時国民学校1年生で、8歳。3月末に父と祖父の蕨刈りに同行し(3つ下の妹も伴っていた)、大人二人が深山で蕨刈りをしている間に、はぐれてしまった。場所は土岐郡の広い山中であった。私は妹を伴って独力で家に帰ったところ、やがて大人二人が帰ってきて、大いに叱られた。二人ではとうてい探しきれないので、消防を頼むしかないと帰ってきたと言っていた。不徳の至り。妹はこのことを、いまでは全然記憶していない。
それにしても大和(やまと)君、よかったね。