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2019-11-23 10:00:00
土曜日・薄曇り(日中は晴れそうだ)・札幌。★管理業は多忙な時期に向かっている。北大関係の入居募集は、「在学生の北大至近距離への住み替え」、「北大・大学院も含む・への合格・推薦入学による入居」で激しくなる。「本物」の来年度新入生が現れる以前に、当方のような安い部屋はなくなっているだろう。★建物屋根のドレン点検とか、冬季に備えての水道の止水指導とか、の時期である。積雪寒冷の冬季への備えだ。★「東京のお花見」関係。「推薦名簿6割黒塗り」道新2頁。「名簿を隠蔽、疑念拡大」道新5頁。と、政治と行政の貧困を示す情けなさ。★道新7頁。「大統領の見えざる窮屈さ」(渡辺将人氏)。わたしはこれまで、もと米国大統領オバマ氏の「出身・生い立ち」がこういう実像だったということは知らなかった。要点は。オバマ氏は米国民の多くが信じているような「純粋」黒人・アフリカから奴隷として米国に連れてこられた「純粋黒人」の子孫ではない。ケニア人留学生と白人女性の間に、インドネシアで生まれ、小学校時代はインドネシア人であるかのように育った・つまり回教の影響もある・。長じて中学・高校時代をハワイで暮らしたが、そこでは白人、アジア、中東の留学生たちと付き合い、なかんずく日系人とは親しいかかわりがあった・要は、黒人とのかかわりが少なかった・。その後の人生でシカゴで、カトリック教会の活動をしたのを、その後の選挙戦などで盛んに言い立てることになる・ようやく「米国人好みの経歴」だからだと。オバマ氏の性格も、作家・詩人・文筆家の線が強く、「政治が得意の人物」というのではない。それを強いて政治が得意なように選挙戦で印象づけたということになる。★これでどこが悪いんだ。立派な人物だったではないか。これが「立派でない」とする米国人の「好み」とは、失礼ながらたいへんひん曲がっている。トランプ氏が「米国人の好みぴったりの人物」なのだろうかね。何が何でも「アメリカ・フアースト」だとおっしゃる。
2019-11-22 08:56:00
金曜日・薄曇り・札幌。路上・歩道ともに積雪は消えている。★東京のお花見の件、内閣は当初の説明を手直しした説明を行うようになった。そして判で押したように、説明の最後に「内閣官房・内閣府に取りまとめの最終責任があった」という言い方をしている。(しかし参加者名簿を精査したくとも、内閣府は書類をすでにシュレダーにかけたというのだ。)この前代未聞の不祥事、「途中には責任がなく、責任があるとすれば、内閣官房・内閣府だ」という「処理」にしようという見解なのかね。首相の引責辞職などという最悪の政治責任の取り方を避けて、菅官房長官の交代とか、官邸の誰かの辞職とかでけりをつけるというだけのことだろうか。「法治国家」の法とは、こういう場合どう発揮されるのだろうか。そして、政治責任というものもあるよ。
2019-11-20 10:24:00
水曜日・薄曇り・札幌。今朝になったら、また路面、歩道とも、薄く積雪している。こういう雪が根雪になるとは思えないが。★東京のお花見の件。ぼろぼろぼろぼろと詳細が明かになってくると、政権政党のおごりがますますはっきりしてくる。これじゃ自民党の選挙宣伝のなかに行事がすっかり入り込んでいたことになってくるではないか。安部総理の最初の「説明」がいかにもその場しのぎだったのが、すっかり逆目になって、事柄の深刻度は、政府の文書管理政策の「空虚さ」をあぶりだすほどになった。この政党は政権を担う道義的資格があるのか。
2019-11-19 09:23:00
火曜日・薄曇り・札幌。この時期としては申し分のない天候で、路面と歩道の積雪はすっかり消えている。★東に米国大統領のウクライナ疑惑、西に日本首相の花見疑惑、「弾劾・告発」の言葉が重い。どちらも国政の中心話題ではない。指導者個人の指導者としての資質を強く疑問視している。
2019-11-18 19:04:00
英文を読む力を日本人の教養として育てていこうというわたしの心は、こうである。★国語は孤ならず。時には外国語を広い意味で取り入れて、国語の幅を飛躍的に広げてゆくものではなかろうか。★かつてわが日本語は、漢文を取り入れて今日の日本語に成長した。★同文の朝鮮は、「ハングル」という表現形式を発明したことで、日本とは少し違う方角をたどっている。日本の平仮名という工夫はあったが、日本は漢字仮名交じり文という方向をとった。日本の市民は3‐4千字程度の漢字を今日なお常用している。★英語は今では世界語だ。とくにIТの世界ほど、それが際立っている。わが国語は英文という表現形式をうまくとらえていっそう「広い」国語になってゆけないか。★たとえば一例として「パラグラフ」をとろう。文章を論理的に操る際に、日本文にも英文のようなパラグラフの呼吸が必要である。★英語をとりいれるという意味は、英語にひれ伏すというのとは違う。かつてヨーロッパ世界を風靡したのはラテン語であった。ラテン語は今日でも欧米諸国の基本的教養である。しかしヨーロッパの各国語は、ラテン語を学びつつ、固有の自国語を確立していった。今日、本場のイタリアですら、ラテン語はすでに死語である。(現代イタリア人はイタリア語という国民的言語を使用している。)★このようにきわめて「文化的」に言語を捉えるとき、言語の側面のうちで「文章」の比重が決定的に高い。★だからわたしは、英文を読む能力、書く能力を特段に重視する。★みなさんはどう思われるか。★そして英文を読む力、書く力というさい、学習過程で英英辞典を早く取り入れることは、きわめて重要だとおもうが、どう思われるか。この方針なら日本人は意外にすらすらと学習を捗らせそうな気がするのだが。