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2021-10-27 11:09:00

(4) 経済政策論に関連する話題 に続く

ところで年に1回ぐらい、原田先生はこういうエピソードを話された。産業予備軍の問題について、あるとき宇野先生にこういう質問をされた。「産業予備軍も生存しなければならないが、その生存費用はどこから出るのでしょうか」。宇野先生の解答は、「それはパートタイムだろう」ということであったと。産業予備軍は、蓄えの費消なり、生存費用の切り詰めなどを行うだろうが、どうしてもそれでは到底足りなくて、同胞労働者に援助を仰ぐことになるだろうと。いわば同胞労働者がパートタイム化することで、失業者に仕事を作ると。たが、と原田先生はいう。それでは労働者全体の再生産が果たしがたいではないかと。つまり、「パートタイム」では理論的解決ではあるまいと。

そもそも資本主義の各段階ごとの「資本の政策」というのは、歴史の変遷に対して資本主義がどう変容するのかという優れて歴史的な議論であって、『資本論』自体は、それを「資本蓄積の歴史的法則」として提示している。その資本蓄積の歴史的法則のかんどころをなすものが、「資本の原始的蓄積」と「産業予備軍の生成」である。その後者がパートタイムではとても収まるまいと。

ところが、斉藤氏の議論は、この産業予備軍について、図らずもマルクス自身の「前進的」見解を示すことになったようだ。産業予備軍を養うには(生存させるには)「非資本主義環境」が必要になる。産業予備軍の不時の増大は産業予備軍の生存を助ける非資本主義環境をいつそう拡大することになる。そして産業予備軍の生存を助けている間にその「非資本主義環境」は荒廃し破壊されてゆく。この「環境」というのは、国内にとどまらない。ますます海外に広く及んでゆく。

 産業予備軍の絶えざる存在は、資本にとっては、存続と発展の必須条件である。しかし労働者からは、労働者階級窮乏化のきわみであり、生活環境破壊の広がりである。

 この回答なら、原田先生も満足されたに相違ない。

 ところで、この非資本主義環境とは何か。(こうやってゆくと大議論になってくるので、今はここでSTOPしておく。皆さん考えてみなさいよ。)ただ、これだけはいま言っておく。従来「非資本主義環境」という言葉は、資本主義が海外に新規市場を開拓するさいの対象地域を指す言葉だった。例えばローザ・ルクセンブルクの『資本蓄積論』は、資本主義が発展し続ける条件は、資本主義に必要な広さの海外市場が、従来未開拓の「非資本主義領域」に広がってゆくことであるとしている。だから「非資本主義領域」の消滅は、ローザの議論では資本主義の発展停止を意味することになる。(こういう議論を、いわゆる市場問題というよ。)従来マルクス主義は、非資本主義環境をもっぱら販売市場拡大の条件と考えていた。ところがわが斎藤流では、資本主義が破壊する自然環境ととらえているのだ。ここが従来とおおきに異なる点で、従来の議論のメタルの裏側を重視する議論だ。

公平のために、付言しておくが、この解決は、宇野弘蔵先生は、おそらくは認めないであろう。

その理由は、いささか、議論を要するので、後日書く。「非資本主義環境」というような解決を、宇野さんが認めるわけがない。