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2017-03-18 21:13:00
今の私には小林のこの本を概括提示する力がない。今日読んでいるところを例として示そう。第24項である。(277-285頁)この項の主題になっているのは、「てにをは」である。本居宣長に「詞の玉緒」という「てにをは」の研究があるので、小林はここでは「詞の玉緒」を多く引き合いに出す。「てにをは」は、「詞といふ玉を貫く緒」であると。「文といふ衣を縫ふ縫ひ手」であると。「『てにをは』の姿は、語意よりも文意へ、文意よりも文の「いきほひ」へと動く宣長の眼に捕らへられ、普通の意味での詞と対立する。玉ではない、緒であるとは、詞ではない、「語の用ひ方」だと言ひたいのである。云々」(小林)★今日の国語で学ぶ際に、「てにをは」は「助詞」とされる。『広辞苑』第4版では「助詞」をこう定義している。「体言、用言、助動詞などについて、その語と他の語との関係を示し、あるいは陳述に一定の意味を添え、または陳述する語。活用しない。」★このような説明であれば、「てにをは」は単語に「つけられる」語で、単語を補助する語と思うことになるのではないか。実際私は「単語を補助する語」としての「てにをは」の得体のしれなさについて、長い間悩んできた。★しかし本居宣長を引きつつも小林は、「てにをは」は語にあらず。漢文の助字にてはあらず。漢文に展倒があるのと同じとでも言ふべきものであると。「てにをは」は漢文や欧文の語順のほうに当たるのだという。続く
2017-03-18 20:48:00
前回「一冊50円」で店じまいの古書店から買った貴重な1冊としていたのが、この小林秀雄『本居宣長』昭和53年(1978年)、新潮社、である。小林にこの著作があることは、以前から知っていた。この堂々の大著は、607頁という浩瀚ということもあるが、読み進むと恐ろしく「読み進みにくい」本で、入手以来かなり日数がたつが、一度に数頁もはとても「進みにくい」本である。私だって人並みの読書力はあるつもりだが、読む都度考えさせられるところが多くて、早くは読めない。★本居宣長は、「国学者」の一人といわれる。「国学」とは、『広辞苑』第4版によると、「古事記・日本書紀・万葉集などの古典の、主として文献学的研究に基づいて、特に儒教・仏教渡来以前におけるわが国固有の文化および精神を明らかにしようとする学問」であると、その第3項に書いている。★「わが国固有の文化および精神」を明らかにするという課題が日本人にとって重要であることはいうまでもない。この小林著を手にして痛感するのは、「わが国固有の文化および精神」の内実が何なのか、その内実を探る仕方がどういうものなのか、ということ自体が、こういうことを考えるという課題自体のありようが、単純に天下ってくるのではなくて、重大な思索の対象になるということが、提示されているということである。この本居宣長という人物の偉さは、この課題を堂々と真正面から日本人に問うている点ではなかろうか。
2017-03-17 20:55:00
雨竜沼湿原って、何だ。北海道では湿原と言えば釧路湿原が有名だ。しかし札幌近辺に立派な湿原がもともと存在している。それが雨竜湿原である。雨竜湿原は、雨竜町の西、増毛町の南、浜益村の北方にある。お恥ずかしながら私も、この推理小説、梓林太郎『北海道雨竜殺人湿原』1993年、徳間書店、を読むまで知らなかった。★最近閉店する古書店があり、そこが「1冊50円」でなんでも放出するというので、見に行った。そこで思わぬ貴重書(今度書く)も入手したが、店主に「北海道の本がないか」と聞いた。郷土史の本でもあればと思って。ところが店主は、店内をぞろっと回ってから、手にした本を数冊差し出した。なんとみんな「北海道」の地名のつく推理小説ばかりで、それもずいぶん古い本である。「店の大半が漫画本なのだから、仕方がないなー」と思い、それらの推理小説を引き取った。上記『雨竜殺人湿原』がその1冊だ。★札幌から数時間でゆけるところにこんな立派な湿原があったのだ。この小説では東京の人間が旭川空港に降り、旭川から汽車で深川へ行き、深川からマイクロバスで雨竜湿原に向かうとある。湿原には南暑寒荘という山荘が、拠点として存在することになっているが、いまはどうなっているのだろう。私なら札沼線の終点から雨竜町に向かうだろうな。それとも増毛町に滞在しながらこの湿原に通うか。★札沼線の人、教えてください、どう「観光」するのがいいのか。
2017-03-11 23:40:00
今日3月11日、2017年。東北大震災から、ちょうど6年を経過した。★これまであえて言わないでいた主張を、この6年目の節目で、あえて言わせていただく。★「震災復興」というが、目標の取り方が最初から、至らなかった点がある。「復興」というが、「被災民が住居をあてがわれた」ことのみを「復興」と理解するのは、おかしいのだ。★そもそも東北の岩手県、宮城県、福島県の海岸部は、震災以前に、その多くが既に明らかに過疎地だった。それゆえ「復興」は、そこの住民の生活が立つような格段の施策を必要とするのだ。★この課題を東北の多くの人々は既にみな知っていた。知りながらあえて口にしていなかった。今だって知りながらそれを言っていない。(せいぜいがほのめかしている。)この「姿」を感知するのなら、「復興」は終わったのではなくて、これからなのである。★たとえば壊滅状態になった海岸の某市住民は、もうひとつ内陸にある隣接の某市に盛んに移住した。その内陸部の某市は、その市自体は住民が急速に減少する「過疎化」が起こっていたが、被災地の住民の移入によって急ににぎやかになった。しかし元来そこが過疎化しかかっていたという事実は歴然と存在するので、政治が無策を続けるならば、いずれは被災地もその隣接地もともに過疎化してゆく。★復興の課題を「第一義」としたはずの日本の政治は、この数年間、どの程度のことをしたのだろう。
2017-03-05 23:22:00
「回り番」だとかで、今度町内会の班長をせざるを得なくなった。「何区何班」という単位である。実際にはもっぱら家内がすることになる。★町内会の会合に「班長引継ぎ」ということもあって、今度出席することになる。その町内会の会合で、班長に「出席交通費」4千円を出すそうだというのだ。町内会館は5分も歩いたところにある。★家内は怒って、そんな出席交通費なぞどうしてつけるのかという。どうせその4千円は「年一回限りのものだろう」と批評したが、それにしても「そんなものが出るいわれがない」と息巻けば、そうかもしれない。何しろ町内会館は目の前にあるのだから。★お隣の奥さんは、それは市から金が出ていて、出席交通費もそこから出るのだろう、という。しかしこの理屈もおかしい。市が「業務移転によるしかるべき予算」を町内会に出しているのはその通りだろうが、どの金がどこへというものではあるまい。そもそも町内会の予算が、町内会費収入以外に「市からの委託費」も含めている。町内会によっては、その町内になにやら得体のしれない名目の「納入金」を少なからず取っている例は多い。町内会もまたひとつの事業体である。★子供が話題のついでに町内会長や有力な諸役員にはどういう「手当」があるのか、ネットで調べた。町内会にもよるかもしれないが、「意外な」そこそこの手当てが町内会長に、諸役員にはそれよりは低いが、それでも「年4千円」というレベルではない手当てがでいるのが「相場」だと。★私は家内に言った。その「4千円」に怒っていたら、この国と社会には住めないかもよ。なにしろ国と社会が挙げて「何かにたかる」たかり構造の国と社会だ。そのたかり方は上へゆけば行くほどきつくなる。このたかり構造と無縁の人は、人口の何割という程度しかいないのだ。いま話題の文科省の天下り、豊中市の国有地払下げ等々、「上の方」でたまたま話題が起こったことにすぎない。★shame そもそもこの町内会組織だって、戦時中に大政翼賛会が活躍したころに成立した「隣組」が起源だ。組織的にいいかげん制度疲労をきたしている。もっともPТAも制度疲労をきたしているけどね。国家と社会をこのような面から根本的に見直す時期に来ているのかもしれない。
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