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2016-03-29 11:02:00

2016年3月29日。今日、安全保障関連法が施行を迎える。思えば戦後70年の歴史は、日本国憲法第9条の内容を改正して最初の姿の正反対のものに変えてしまおうとする運動が着々と成功する足取りの歴史だった。戦後の日本の政治史はこの件を軸として回転してきたと言って過言ではなかろう。この運動は日本の変わらぬ「同盟国」米国が陰に日向に日本に対して希求してきたことも確かである。しかし世界は米国と日本だけで成り立っているわけではない。いつの日か、世界が世界の世論を挙げるときには、日本国憲法第9条の内容を骨抜きにしてきたこの戦後70年の日本の政治的歩みは、戦前に日本がいわゆる15年戦争に突入したさいの「画期」を、盧溝橋事件(その後日中戦争になる)とハワイ空襲(太平洋戦争始まる)に比すべき「画期」と評価するかもしれない。

日本国憲法第9条自体の条文を見れば、この「画期」の姿がはっきりする。

周知のとおり日本国憲法第9条はこうである。

第2章 戦争の放棄

第9条「戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認」

① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸空海軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この第9条が「戦争の放棄」をうたっており、「戦争の放棄」の具体的内容として、「戦力の不保持」と「交戦権の否認・いわゆる不戦」を定めていることは明らかである。

戦後我が国の政治史は、まず「戦力の不保持」という規定を空洞化することに熱中した。その「画期」が「自衛隊の創設」(最初警察予備隊の創設として出発した)なのが明らかだろう。その場合の憲法解釈は、「自衛隊は憲法第9条にいう戦力ではない」であった。(だから戦車ではなく特車であり、軍艦ではなくて自衛艦であった。ただ、海外では軍隊として処遇されていた。)日本国憲法に言う「戦力」は自衛のために日本がもつ戦力を含まないと解釈しているのである。

次にわが国の政治史は、「不戦条項・交戦権の否認」という規定を空洞化することに熱中した。それが近年の激論である。自衛権を集団的自衛権に拡大し、さらにこの集団的自衛権を海外にまで拡大して、「わが同盟軍を海外でも守る戦闘行動」にまで及ぼしたのが、今回の「画期的」な安全保障関連法である。このように集団自衛権で日本国憲法を解釈し、かつそのような自衛権が発揮される場を海外にまで広げることは、この運動以前の運動ではなかったことであった。その意味で今回の安全保障関連法は二重に画期的である。

しかし日本国憲法第9条を骨抜きにするような政治過程を、戦前の日本の政治史とだけ比較するのは無理。むしろ1930年代-1940年代に起こったドイツでの、ナチスドイツ勃興の政治史と重ねるほうが親近性があろう。とりわけ当時のドイツが、第1次大戦の敗戦後に成立した「ワイマール憲法」と「ワイマール体制」下で、形式的には「ワイマール体制」下の合法性に従いながら、実際には「ワイマール体制

とは似ても似つかない「第三帝国」を作った歴史と、事ある都度比較されることになるだろう。

ただ、ドイツ第三帝国には、宗教的要素というものが皆無で、指導者ヒトラーといえども神ではなかった。その点で日本は今も昔もおよそ近代とはかけ離れた宗教的要因が強く政治に持ち込まれている。あの戦時中でさえ、宮中を遥拝している日本の庶民に、ドイツの外交官が声を掛けて、「ツアーがどこかの窓から見ているのか」といったというが、天皇がみていようが見ていまいがそちらの方を拝むという日本人の行動は、日本人にはあたりまえでも、ナチスドイツの外交官には奇異であったろう。

日本にファシズムが成長するとしても、ナチスドイツ型になるのか、宗教的要素を根強く帯びたものになるのか、いまはそこまではわからない。しかし今の政治過程は単純な戦前復帰ではなく、日本に独自のファシズムが誕生していることを、想定していいのではないかと思う。

ドイツが敗戦してナチスが消滅したとき、ナチスが数百万人という人間を殺害したことが誰にも明瞭になったが(敵対するもの、邪魔なもの、を殺害したのである)、「こういったことをいったいドイツの普通の市民はまったく知らなかったのか」という怒りの声に対して、ドイツ市民は「知らなかった、知らされなかった」と応えた。しかし、「うそをいいなさい。しらないはずがあるものか」と言われて沈黙するしかなかった。政治過程の狂気は容易にみとおせることである。あまりにも単純な狂気ではなかったのか。