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2019-05-24 13:43:00
平成を閉じ、令和に移るに際して、平成をどう考えるかという話題が、しばらく新聞とネットを賑わせた。令和がどんな時代か考えるのにも、まず平成観が必要であろう。★私はAlvin Toffler, Powershift, Bannam,1990を、たまたま読み直していた。復習になるが、1970年初めに出たFuture Shock,1980年代初めに出たthe Power Shiftに次ぐ3部作の総括版である。★ここで「パワー」とは(権)力の事であり、このパワーを構成する三要素を、トフラーは日本の皇室を例として、「剣」(武力、軍事力)、「宝石」(マネー、資産、財産)、「鏡」(知識、知恵、情報)であるとする。★トフラー氏に独特の点は、20世紀の多くの思想家が当然としていた発想方法、「資本主義・民主主義」という価値軸、「社会主義・独裁」という価値軸を中心にはしないで、汎時代的に、「剣、宝石、鏡」がどのようにパワーを支えるのか、パワーの内容の比重がこの三要素の間でどのように変遷しているのか、という発想をとる点である。逆にそれなるがゆえに、「資本主義・民主主義」か、「社会主義・独裁」か、のように盤石のように固定していた20世紀の思想に・大きなショックと知見をもたらすことになったのではないか。★トフラーが当時著名な経済学者フリードマンをあざけって、「フリードマンの本にはpoowerという言葉がまつたく出てこない」とやつつけたのも、「そんなことでは経済すらわかるまい」という含意がある。市場経済にせよ自由競争にせよ、現実のその姿を把握するのに剣や鏡という要素抜きにしてどうしてそれが分かるのか。★さてこの1990年代初めに書かれたPowershift、目の前でPowerに大きな変化が起こっており、この趨勢ははるかに先まで続くとして、「2025年ごろまで」と言っている。トフラーの「パワーシフト」の予言は、1990年代初から、平成の約30年間を含んで、2025年ごろまでを展望しているのだ。★それで私、1990年代初に、これから衰えて消滅する運命にあるものとして示唆されている事柄が、平成30余年の間にどうなったのか、思い返してみた。そしてここに驚くべき結論に達した。「パワーはいま、維持されている」のである。確かにソ連と東欧世界はすぐに消滅した。しかし、トフラーが滅びるものと示唆したパワーは、そりゃあ多少いろいろのことはあったが、平成が終わるにあたって、確固として維持されており、そのパワーは逆に強まっている。米国の覇権しかり。わが国の自民党の覇権しかりである。★なぜパワーシフトが起らなかったのか、いま平成が終わるにあたって勘考してみるのは、大いに有益だと思う。「トフラー」を持ち出しているがゆえに、この思考は、既成価値軸に囚われず、「鏡」に強く力点をおくものになるだろう。いかがですか。
2019-05-24 08:27:00
金曜日・晴れ・札幌。★西武対日本ハム。午後6時。メットライフドーム。テレビS.T.V。BS朝日。ラジオHBC、S.T.V。★昨夜の対楽天戦で、日本ハムは快勝したが、この試合で不思議な新人が日本ハムの打撃陣に誕生した。名は「すぎノール」という。2番セカンドで出場した杉谷選手、右打席でホームランを打ち、次の打席は左打席に立ってまたホームラン。こういう事例は過去にもあるのだそうで、ごく卑近な実例がもと日本ハムにいた「セギノール」選手。戦後お立ち台に立った杉谷選手、自分のことを「すぎノール」と称した。★ここに立派なトリックスターの誕生。こういうトリックスターの誕生が例年、日本ハム躍進の前兆である。ひょっとして今に、「4番 すぎノール」というのが現れるかもしれないぞ。日本ハムの僚友ともども、そういう場面を楽しもうではないか。
2019-05-23 09:21:00
木曜日・晴れ・札幌。★東北楽天対日本ハム。午後6時。札幌ドーム。テレビNHK、BS1.ラジオHBC、S.T.V。★エンジェルス対ツインズ。打者大谷観戦。テレビ午前10時。NHK、BS1.
2019-05-22 08:27:00
水曜日・晴れ・札幌。★楽天・日本ハム。午後6時。札幌ドーム。テレビHBC、S.T.V。★大谷観戦。エンジェルス・ツインズ。テレビNHK、BS1.
2019-05-21 10:03:00
火曜日・雨・札幌。★楽天・日本ハム。札幌ドーム。午後6時。テレビHТB。ラジオHBC、SТV。★米国野球。打者大谷翔平を観戦。エンジェルス対ツインズ。午前11時。テレビNHK、BS1。テレビをBSに設定し、1を押すと、ぱっと画面が出てきます。少し長く見ていると、プーホルズだの、トラウトだの、大谷と並ぶエンジェルスの盟友強打者にも馴染みます。体格のいい米国野球選手たちのプレーがきびきびしていて、見ていても気持ちがいい。(選手たちがときどきとんでもなくズボラなプレーをすることがあるのも、愛嬌。)