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2020-05-16 10:17:00
土曜日・曇・札幌。マルチチュード、倍率を重ねた結果の大量。予想もしなかった大量。★マルチチュード(1)で、サイコロ賭博の自他「1対1」という原始的・基本的賭けの倍率の話題を取り上げた。この発想を「すこし」広げると、常軌を少しばかり外した(しかし容易に連想しうる)賭けのありようになる。ひとつ。「連続してかけ続ける」。勝ったところで、勝った額も含めた全額をまた賭ける。これをそのまま続ける。これは数回続いただけで(続いたとして)恐ろしく高額の賭けになってゆくから、これを受けるとしたら賭場の親分しか受けられない。負けたら親分の店仕舞いとなろう。もうひとつ。これも「連続してかけ続ける」。負けたものが、掛け金を倍にして再度賭ける。負けたら、掛け金は再再度、倍にする。これを続けてゆけば、理屈の上ではどこかで負けを取り戻せる。★「連続する」というありようが、常軌を超えた「大量」につながるわけだ。しかしこれは、ズルの世界ではない。納得しうる論理である。★ところで今日の道新3頁に、「数理工学コンテストに道内で唯一入賞」という記事が出ていた。「数理工学」とは、「自然・社会現象を数値化し分析する学問」だそうだ。してみれば、このマルチチュードという話題も、立派に「数理工学」なんだろうね。そうさな、西洋で賭け事が、数学の発展につながったのは有名な話だから、確かにそうだろう。まさか本欄の「視聴率」が昨日突然普段の10倍に跳ね上がったのが、これが「数理工学」の話題につながると見られたせいでもあるまい。★多くの「数理工学」者は、たぶん自然現象を取り上げるだろう。価値観だの人情だのという面倒な要素が介入してこないからね。人生に深刻なのは、価値観が絡む問題だ(つまり社会現象)。★コロナ禍という現象は、どっちの世界だろうね、純然たる自然現象だと思われるだろうかね。「コロナウイールスK型によって日本国内に集団免疫が生まれた」という話題は、(これは一種の数理工学的推論による結論だが、K型についての科学的知見を背景にしている)いまのところたんに「仮説」の域に置かれている。いつかはこの不審が解けるだろう。★道新夕刊。1頁「米、ワクチン開発に総力」。「世界で100以上あるワクチン候補のうち有望なもの14を選んだ」とあいまいに発表しているが、「年末までに用意したい」という。まあ旨く行って1年はかかろう。この「14」の中に、わが「コロナウイールスK型」が含まれているのではないか。そういう観測にしておくよ。
2020-05-15 09:30:00
この「お知らせ」5/11に、大前研一氏の「新大陸」観のさわりを紹介し、この「新大陸」が、グローバル、サイバー、マルチチュードという3つのモメントから成っているとした。★じつにこのマルチチュードという概念が、社会通常の人々の知見にはなかなかなじまないようなのだ。★この概念は、もともと資本主義の経済にとって、いやあえて信用経済にとつて、いわば当然のことなのだ。この当然のことが、通常の人にはもともと見えにくかった。ましてやこれが「新大陸」とかの一モメントとなると、さらに見えにくい。これを解きほぐす文章も、超ゆうゆうと進むのが至当。★大前さんはもともとたいへんに言いにくいことをうまく言い開いている。肝心のところをおぼめかしく表現するのは、ゆかしいお人柄だ。それは同時にわかる人にはすぐわかるがわからない人には全然わからない文章になる。さてマルチチュードとは、かのベルリッツの英英辞典では、multiple; multiplex; multiplication; multiplicity; multiplier; multiply; multitude という単語が並んでいる。倍率ということだろ、倍増だったり、大量だったり。信用経済と言うのなら、「投資効率」かな。まあそう先走らない。もともと物事の開示には、「顕教的開示」と「密教的開示」の二つがある。前者は明晰で即物的、後者は「不立文字」(ことばではとうてい言い表せない・ないしは、あえて言い表さない)。ゆつくり語るとは、密教的内容を顕教的に言い表すことだろう。英語でいうと、パラフレーズ。★通常の人々にとって投機とはどういう内容の事か。あえて江戸時代に身を移そう。ばくちだな。丁半サイコロ目に賭ける賭博。この掛け目は、基本的に1対1. 丁に自分の持ち金を張って、当たると自分の持ち金が倍になる。これがだれにでもよくわかる投機倍率だ。通常人にとって「まともな」投機倍率だ。この賭けを保証するのは、自分と相手。相手がこの賭けの約束を守ってくれなければ、直ちに争いになる。「賭場」というのは、この賭けの約束を守る「社会的仕組み」のはずだが、賭場の親方自体が賭けの一方の当事者になったりすると、この「社会」は再び「自他」二者しか当事者がいない姿に戻る。賭場の外側に広がる世間は、賭場の存在にもともと批判的だから、賭場の約束を守るありようには、私的暴力が付きまとうことになろう。(かくして、投機は、通常人には、根本的に、まともなこととは思えないことになる。)これがマルチプル倍の世界。(西洋のルーレットのように、掛け目の倍率がいくらか複雑になつても、ここでいう限りのマルチプルの性質は変わるまい。)★この場合の世間の目は、たとえ賭場を嫌悪しても、1対1の掛け目で掛けることそのこと自体は、「賭けとしては当然」と思うだろう。自分はやらないだけで、やるとなればそうなるのが当然と思うだろう。しかしこの江戸時代当然の姿にも、考えようによっては、世の常ならぬおどろおどろしい倍率が「つながりうる」。
2020-05-15 09:07:00
金曜日・晴れ・札幌。朝方、申し分ない快晴。無風。今日予報されている気温が最高22度から最低7度。人通りまつたくなし。★北海道地区、東京地区、大阪地区の3地区を除外して、日本全国緊急事態宣言は解除、段階的に経済社会の正常化に進むと。★欧米世界は感染者数、死者数、膨大なのに、あえて自粛解除の方向を取った。日本もこの欧米の政策方針にお付き合いした。この政策の適否、薄氷を踏む思いがあるが、まあ頑張ろう。★強制怠業の毎日なので、「バックオフィス」業務をのんびりいそしんでいる。視点を変えれば、これ、貴重な命の洗濯。★最近まとまった英文を読むことが少なかった。見回せば、以前買ったマイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』(英文)の特装版が見つかった。これをベルリッツのDictionary of American English を座右にして通読。なにどんどん飛ばし読みする。どうせおおまかな内容はすでに知っているのだ。気になった単語いくつかを辞書でゆつくり読む。こういう無用の営みが、たいへん楽しい。
2020-05-14 07:58:00
コロナ禍の日本国内統計を見ると、数地域では、拡大傾向にあるという問題。★欧米では今、膨大な感染者と死亡者を抱えながら、経済の段階的回復を急いでいるようで、欧米は「それでいい論拠」(あくまでひとつの論拠だが)として、「コロナ禍の拡大傾向が減退に転じる様相が認められる」としているようだ。★しかし日本国内では、例えば東京都心部は「コロナ拡大傾向」だし、北海道もまた、統計上は「コロナ拡大傾向」だ。東京都の場合には「富裕層が生活する領域」にそういう傾向が強いとか、こういうことには「地域的特殊性」があろう。それにしても日本の「数地域」にだけ「拡大傾向」を残すが、どうして日本全体としては感染者数も死亡者数も欧米よりは遥かに少なく、拡大傾向もないのか。この問題をどう考えるか。★PRESIDENT Online 5月7日配信記事。世界中で日本だけ「コロナ感染のグラフがおかしい」という不気味。「統計データ分析家」を名乗る本川 裕さんの詳細な記事である。「不気味」と言っているが、決して悪い意味ではない。まあ「不審」とでも言っておけばよかった。欧米で一様に「減少傾向」が見られるのが、どうして日本の一部地区だけでは「増加傾向」なのかという「不審」を吟味しておられる。★わたしは「減少傾向」という文句を使ったが、本川さんは終始「横這い傾向」という文句を使い、「日本全体」なら安心してよいなどとは言っておられない。「3万人の者が2万人に減少した」のと「100人の者が200人に増加した」という話を「趨勢」だけを問題にして比較考証するのもどんなものかというツイートを書いていた御仁もあったが、かといってこういう「趨勢」を無視していいことにもなるまい。★本川さんは、「どうして日本では他国のように収束へ向かう横ばい化への転換がなかなか認められないのか」の原因として、次の3つがあるとする。1.感染拡大防止対策の違い。2.もともとの体質や生活習慣の差、3.ウイルスの変異。1と2は、読んでいただければわかる。問題は3だ。本川さんは3月以降の欧米型コロナの日本への流入を要因として挙げている。★わたしがこの「お知らせ」5/12で取り上げたコロナウイールスK型による集団感染・集団免疫が起きていたのではないのか、というのは、本川さんの想定には入っていない。みなさんも、考えてごらんなさいよ。
2020-05-13 09:11:00
水曜日・曇・札幌。★今日のヤフー天気予報は、曇りのち雨。気温20度--10度。毎日自粛に耐えるしかないな。
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