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2017-02-25 14:37:00
株式会社は本来は公益的事業にのみふさわしいものというのが、19世紀までのイギリス資本主義の認識であった。19世紀までは、私的営利的事業に株式会社を当てるのは、「不適当」であり「無責任」であると社会的に認識されていた。株式会社制度についての19世紀のこの「縛り」が、何故、どのように、解除されてしまうのかいう議論は、どこかに風化してしまって、20世紀になると株式会社制度が「当たり前」のように私的・営利的事業に広く適用されるようになる。(株式会社の元来の公益性という問題は、法人企業のパブリック・リレーションズというものの存在を考察するときにのみ、今日でもなんとか公衆の念頭に残っている。しかし元来株式会社が公益的性質をもっていたという記憶が社会的に薄い日本のような国では、パブリック・リレーションズ?広告のことだろ、という程度にしか一般に認識されていないのではないか。)なにしろ法人企業の株主総会を数分で済ませることに経営陣が情熱を傾ける国だからね。★通例は営利的事業をのみ旨とするような株式会社に、事業の経営合理性を実現するために、公益的内容の事業をあえてやらせる(これが近年日本ではやった官業の民営化だろうけどね)と、株式会社の制度的ねじれは再転してさらにひどくなる。公益的事業にふさわしい政治的・行政的運用が、すっかり宙に浮きあがってしまう。これは内容的には政治的無責任である。★もちろん最近の新しい経済のありようの中には、「損をしてももうかる」とか、「公益的内容に対して料金を取らない」とか、従来にはみられない領域が現れてきていることも、私は念頭に置きながら、こう言っている。