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2024-06-13 15:55:00
ろう児の学習権保証を。道新6/11社説に追記2。社説は、日本で用いられている手話に、日本語に追従する「日本語対応手話」と、日本語ではない独自の体系をもつ「日本手話」があるとし、前者の「日本語対応手話」にだけ市民権があるのではなく、後者の「日本手話」にも市民権がある、と解説している。/「日本手話は手指に加え顔の動きなどを交えるのが特徴だ。話者の表情も読み取って意味を理解する。原告のような先天性の難聴者が多く使うとされる。」/むろん、後天性の難聴者が、学んで使うことがあつてもいいとおもうよ。この「言語体系から独立した手話」という問題には、いまネットに「うたとかたりの対人援助学・宇野祐介氏」という優れた紹介文があるから、ぜひご一読を願いたい。また、「手話の歴史・下-ろう者が手話を生み、奪われ、取り戻すまで」という「本の紹介文」あるから、こちらもご一読願いたい。
2024-06-11 14:58:00
ろう児の学習権保護を。追記1。社説が先の札幌地裁判決を不当とする論旨は、同社説によれば、次の通り。「誰もが教育を受ける権利がある。」/「だが判決は十分な環境整備を怠った国や自治体の姿勢を問わず、母語で学べない子どもに我慢を強いている。学校側の消極姿勢を追認したに等しい。」(社説は、日本手話が、原告にとって母語になっている、としているのである。大事な論点。)/「判決は学校側が日本手話の教員の確保に苦労してきたとも指摘した。堪能な教員は全国ん的に少ないが、それを理由に子どもの学ぶ機会を奪ってはならない。国や自治体は予算を増やし育成に努める必要がある。」/私は論理的にこれでいいと思うよ。
2024-06-11 12:44:00
「ろう児の学習権保証を」。これは北海道新聞6月11日号の社説(5ページ)の題で、札幌地裁に提起された「日本手話訴訟」が、このほど札幌高裁に控訴されていることに対する、北海道新聞としての見解表明である。内容的に立派なものであり、社説は同時に、「聴覚障碍者の現状や課題が社会に理解されていない」という、より広範な課題をも提起した。/手話自体ですら、重要な論点の社会的理解が、この社説の立派な内容を前提にしてすら、隔靴掻痒の感があると私は思うよ。/新聞には、もっと掘り下げて、参考記事や、読者の討論やを取り上げてほしい。/なにしろ私がこの難しい問題に気が付いたのは、いまから40-50年も昔なのだ。この半世紀、無駄に流れたという事だろうか。これは北海道新聞にとっても、例の有名な自衛隊違憲判決以上に難しい問題かもしれない。
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