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土曜日・曇、17‐12度、やや小寒い日・札幌。★道新6頁「陰性証明で出入国緩和へ」。これは日本コロナ禍の出口戦略のひとつを示す。タイ、ベトナム、オーストラリア、ニュージーランドの4か国に対しては、ビジネス目的の往来を画策しようという。うまく行けば、次に留学、農業労働の分野だという。★同6頁「『8分46秒』抗議象徴に、米各地で黙とう広がる」。ジョージ・フロイト氏が、警官に膝で首を抑えられた時間がこれだと。なお6日に予想されるワシントンのデモは、大規模になるらしい。
土曜日・曇・札幌。★北海道新聞6頁。「米欧コロナ急増懸念、デモ激化『社会的距離』保たれず。『抗議は権利』の声も」。☆わたしはいずれこういうときがやってくると思っていた。それがわりと早くやってきた。抗議デモについての記事が、コロナ禍の下での集団的密集行動を社会悪としてなじる記事である。☆わたしはこう思う。いまコロナ禍の下で社会は不時の臨時行動をとっている。それは多くの不都合も生み、いまの記事の多くがそういう不都合を話題にする。☆ところが黒人暴行死に端を発したこの全米的抗議デモは、コロナ禍の下での社会秩序では圧殺しがたい全米の恵まれない地位にある人々の社会的歴史的に低位の地位の抜本的改善を訴えるものであるようだ。この「突出性」こそがこの「事件」の大きな特徴だ。★ジン氏の『米国史』通読中。6.Intimately Oppressed. 「虐げられたる者」として、女性が、話題となる。この話題の登場にびっくりするのは、身が男性成るが故のふつつかさ。なにやらここに書かれている「女性の歴史的受難」が、今も身の回りの自然とも感じられる。しかし米国史としては、1810年代、20年代に女権主張のうねりが始まり、30年代、40年代、50年代と発展してゆくのだろう。女性にとって「家庭の」身近な隷従者である黒人奴隷の人権への配慮も、女権伸長にかかわる面が少なくないと(米国史の場合)、知った次第。7.As Long as Grass
Grows or Water Runs. インディアン受難史。なんだこんなに遅く今頃この話題を扱うのかと思ったが、ことは受難などというレベルではなく、かって全米的に居住していたインディアンが、結局「白人の邪魔なので」全米的に絶滅に瀕するありように追い込まれた歴史で、特にここで主な話題になる19世紀前半の「移住強制」の流れは、乱暴なものであった。(白人の目でみればこれは輝かしい西部開拓史だ)タイトルのAs long as Grass Grows or Water Runsは、白人が当時永遠に続くものとして約束した(まもなく破られた)インデイアン部族の居住権の形容。この文句は、ベトナム戦争に従軍したインディアン出身兵士が自ら被った差別と権利の侵害を思って泣きながら口にした文句として引用されている(133頁)。「子供用の歴史の本は、インデアン移住の意味について、実にかんたんにしか扱っていない」(124頁)という筆者の怒りの声は、至当に響く。昨日テレビでみたニュース解説で、やけに日本語のうまいアメリカ人が画面に現れて、いま行われている抗議デモについて、小学校低学年担当の教師を呼び出して10分ほど「感想」聞いていたが、この教師がどれほど正当にデモの評価を日本人に伝えられるんだろうね。ミネソタパブリックラジオの解説ニュースでは、あらゆる人々の人権が現在は法によってこれほど守られているということをわかりやすく、聞きやすい英語で話している。(日本の大学生諸子も、勉強のあいまにこういう英語を聴いたらどうだ)。しかし虐げられた人々は、現実に法が示唆する補償を長いこと受けられないでいる恨みが、「白人が簡単に約束を破ってきた」歴史的思い出とピタッと重なるのではなかろうか。これが今の全米連帯抗議デモではあるまいか。