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2019-04-28 00:41:00
私が特に万葉集に詳しいわけではない。大学1年の時に取った教養科目の国語で、万葉集をテクストにしていた。講師はアララギ派の歌人といわれる扇畑忠雄という人。巻頭第一巻第1号(国歌大観第1号)雄略天皇御製をまず講義なさった。★籠もよ、み籠持ち、堀串もよ、み堀串持ち、この岡に菜つます子。家宣らへ。名宣らさね。空見つ大和の国は、おしなべて吾こそ居れ。しきなべて吾こそ座せ。吾こそは宣らめ、家をも名をも★私がこれを引用した折口信夫訳『万葉集』河出書房新社、平成三年の7頁は、折口先生が現代語訳して示している。私が学生の時に習った本は、どのような版だったかももう忘れてしまった。★歌の意味はたいへんはっきりしている。天皇が岡で会った娘に「じゃれている」やりとりで、僕は天皇だが、君は誰だい。君の電話番号教えないかと言っているようなもの。★私の記憶では扇畑先生は「堀串(ふぐし)、箆の意」のところにいやにこだわって、この「ふ」というのは現代にはない発音で、強いて言うと「ぷ」に近い発音だという考証を延々と話していたのが印象に残っている。★その後の人生で私は取り立てて万葉集を学習したことはない。せいぜい岩波新書『万葉秀歌』を手にしたぐらいのものだ。★それにしても新年号を万葉集から採ったというから、機会があればもう少し万葉集に親しんでみようと思う。