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2016-08-14 14:55:00
以前、韓国人チョン・チャンヨンさんの「英語は絶対勉強するな!」という本をご紹介し、勧めたことがある。非常にくせのある方針だが、私は正しい方針だとおもうと述べた。★ もともとこの「英語は絶対勉強するな」という本は何種類も出ているようだ。私は今回「英語は絶対、勉強するな! 文法は知らない・辞書も引かない・だけどスラスラ・リーディング編」サンマーク出版、2004年という本をブックオフで見つけた。この人の「英文読解」方針が、「辞書や文法に頼らず、ただひたすら読め」という方針であることは以前から知っていた。さて、わざわざ「リーディング編」と名付けるからにはもっといろいろなことが書いてあるかと思ったが、「ただ、ひたすら、読む」方針は本書でも変わらない。★ ただ、おやっと思うことが書いてあって、私はおもわず手を打った・私も実はおなじようなことをしていたからである。
★ エッセイの読み方の中で、この本は、こう言っている。「エッセイは長いぶん情報量も多い。伝えたいテーマはひとつでも、それを知らせて納得させるため、さまざまな小さなエピソードが動員されるうえ、登場人物も多い。プロットやあらすじというものまであるのだ。/なにより、タイトルや冒頭のパラグラフだけでは内容全体を把握できない。エッセイに登場する小見出しは、主にその章のテーマを知らせる役割なので、内容についての具体的な情報は得られない。冒頭のパラグラフはとても重要な情報をもっているが、それだけでは、文章全般を通じて伝えようとしているメッセージをすべて知ることはできないのだ。/一見、エッセイが小手先では読めないと思えるのは、このような理由があるからなのだ。/元来、そういったエッセイは、ともかく最初から最後まで一度読み流すべきだ。仮によく理解できなくても、最初から最後まで通読すれば、全体の脈絡が分かるからである。それからふたたび最初のページに戻り、読みはじめると、前項で例としてあげた新聞記事や広告を読むときと同じ地点に立つことになる。そのようにして何度か読み返すと、母国語でその内容を完全に説明できるようになる。」(62ページ)これは孔子の言葉、「読書百遍意自ずから通ず」を地でゆくものだ。辞書も文法もお構いなしに「テクストを読む」ということになれば、目につき、意味がとりあえず分かるのは、いままでに知っていた単語だけだ。知っていた単語だけを手掛かりに、何度もテクストに目を通して、大意を把握してゆくようにすることが、「読む」第一歩だといっている。「エッセイでは冒頭の一行あるいは最初のパラグラフに要旨が書かれ、最後の行がまとめになっている」(128ページ)という「エッセイの組み立て」を英米の読解教育では確かに教える。しかし著者が言うように、それだけでは読解に入れないね。そこで「読書百遍意自ずから通ず」(論語)ということになるのだ。東洋人には、よくわかる説明だね。★ 私自身もそうしている。最近David Halberstam, War in a Time of Peace, 2002という557ページの英書をタダ同然でブックオフから買ってきた。1990年代米国のテロ対策戦争外交史を述べている本だ。クリントン女史やトランプ氏の演説などよりよほどこのほうがおもしろく、現実的である。ただ、私の英語力ではスラスラというわけにはゆかないが、このチョン氏流で読むのだ。ある一章を、ともかくしゃにむに通読すると、おのずとアウトライン・輪郭、梗概・が把握され、そのアウトラインはそう間違ってはいないのだ。★ 昔私は米国で学習していたときに、一人の韓国人と知り合った。最初はお互い日本人・韓国人ということを全然意識していなかった。(少なくとも、私はそうであった。)ところがある時突如その人物は、私が日本人であることに「気が付き」、さあそれからはひどいもので、私の顔を見るたびに嫌悪感を漂わせて、いろいろなことを喚き散らし、つばをぺっぺっと吐くのである。(どうしてこういうことになるのか、いまだにわからない。)コト英語に関しては、およそ日本人と韓国人ほどよく似ている(悪い意味で)民族はないのにね。まず、ともに発音のノリが悪い。そして、文法病・単語病にかかっており、自国語に翻訳するような英文読解しかできないのである。助け合うべき両民族がケンカして何になる。このチョンさんという人物は、韓国人の英語教育には救世主のようなものだ。日本人もチョンさんに学んでよい。英語学習上、日本人は韓国人とすっかり同じ欠点をもっているからだ。大学院の入学試験を受けるのに、1年程度でさまになる英文読解力を手に入れたいという大学生が札幌市内にいないかね。ただで、教えるぞ。ただし、その間アイランドコーポに住んでいただきたい。
2016-08-13 17:07:00
8月12日・金曜日、日ハムは楽天との初戦に、延長11回で敗北。投手は有原。この日、ソフトバンクもロッテに負けていた。勝負は時の運。ドンマイ。今晩も日ハム、楽天の第2回戦がある。
2016-08-12 10:43:00
冲方丁著『光圀伝』角川書店、平成24年。751ページの分厚い小説です。たいへんに面白く読んだので、紹介もかねて、率直な感想を綴りたい。私は日本の「新しい作家」はめったに読まない。うったえるところがなく、おもしろくもないからです。しかし、この作家は、変わっているな(もっとも、どうかわっているかは、うまく言い表せない)。★ 徳川光圀・水戸黄門の名で知られている・については、たいへん興味の持てる歴史的人物だが、いままで私が知っていたのは次のような断片的な知識でしかない。統一的人間像ではありません。この「断片」は完結した知識ではなく、私の中ではみな疑問符がついている。この「断片」を手掛かりに、本書を読んでみましょう。★ 諸断片。1.「兄の子を自分の養子にして水戸家を継がせ、自分の子は兄の養子にして高松家を継がせた。」(どうしてそういうことになったのだろう。)2.「大日本史の編纂者。大日本史は明治になって完結した。」(どうして光圀が大日本史の編纂者になったのか。そんな大名がめったにあるわけはない。)3.「水戸黄門漫遊記という娯楽作品が知られている。黄門は隠居した中納言の号。」(どうしてこの人物は隠居が長いのか。助さん、角さん、という従者は、現実の水戸家ではどういう人か。)4.「徳川5代将軍綱吉との対立。」(どうして綱吉と特に対立するようになるのか。)5.「そもそも御三家の水戸家というのは、どのような地位にあるのか。」(極めて独特な地位のようですが。天下の副将軍という世評もこれとかかわるようですが。)6.「水戸家にお家騒動があり、その首魁が悪家老藤井紋太夫ということになっている。」(藤井紋太夫とは何者で、その悪事とはどういうことか。藤井はもともと光圀の小姓頭だったといわれるが、それだけ光圀の薫陶を受けた人物だと思うが。さてこのお家騒動なるもの、まともに描こうとした文章がいままでなかったのではないか。)★ この6つの断片を私が書いていたら長い文になってしまう。私自身の疑問は本書を読んで氷解した。みなさんご自身が読む楽しみを奪ってはならないから、私は擱筆しておこう。ただ、最後にひとこと申し上げたい。★ 私は幼時に『渡辺崋山伝』を読んだ記憶がある。封建時代のさなかに生きた人の処世についての理解はこの崋山伝で基礎がついたのかもしれない。この水戸光圀という人は、楠木正成の墓に碑文を書いた人として著名で、大日本帝国最盛時には、忠君愛国の歴史的人物と時代が評価していた。『大日本史』編纂事業は後年の水戸学の基本となり、水戸は幕末期に吉田松陰とは別の意味で勤王思想の震源地であった。この徳川光圀のころの江戸幕府の「文治」とは、儒教道徳を中心とする思想を根幹とするものであったが、おなじく儒教思想でも、形式的・秩序的なものと、光圀が重んじたような精神的なものがあり、この精神的儒教が水戸学につながったのであろう。精神的儒教の中に「反覇権」の要素があり、これがのちの勤王思想につながったのである。★ 秩序的儒教思想の中に反権力的エネルギーを思想的に抱えるという水戸学の姿が、本書の文中で「藤井紋太夫」に別様のニュアンスを与えている。いま時代は保守ブームと言われ、憲法を変えうるほどの人数の保守派国会議員がいる。その保守派の人々に、しゃんとしたものはあるのか。ひとりひとりの政治家に思想はあるのか。ただ野放図に権力と利権だけ求めているのではあるまい。この清冽な『水戸光圀伝』の一読を勧めたい。もちろん本書は封建時代のさなかの倫理を表している。いまは基本的人権、主権在民、男女同権の世だ。その現代の儒教精神とは、どういうものか。それは諸公がお考えになることだ。
2016-08-11 17:01:00
8月11日・木曜日・今日の日ハムは、対西武三連戦の最終戦で敗北。西武の好守を称えたい。
日ハム増井は7回目まで投げた。