インフォメーション

2016-08-12 10:43:00
冲方丁著『光圀伝』角川書店、平成24年。751ページの分厚い小説です。たいへんに面白く読んだので、紹介もかねて、率直な感想を綴りたい。私は日本の「新しい作家」はめったに読まない。うったえるところがなく、おもしろくもないからです。しかし、この作家は、変わっているな(もっとも、どうかわっているかは、うまく言い表せない)。★ 徳川光圀・水戸黄門の名で知られている・については、たいへん興味の持てる歴史的人物だが、いままで私が知っていたのは次のような断片的な知識でしかない。統一的人間像ではありません。この「断片」は完結した知識ではなく、私の中ではみな疑問符がついている。この「断片」を手掛かりに、本書を読んでみましょう。★ 諸断片。1.「兄の子を自分の養子にして水戸家を継がせ、自分の子は兄の養子にして高松家を継がせた。」(どうしてそういうことになったのだろう。)2.「大日本史の編纂者。大日本史は明治になって完結した。」(どうして光圀が大日本史の編纂者になったのか。そんな大名がめったにあるわけはない。)3.「水戸黄門漫遊記という娯楽作品が知られている。黄門は隠居した中納言の号。」(どうしてこの人物は隠居が長いのか。助さん、角さん、という従者は、現実の水戸家ではどういう人か。)4.「徳川5代将軍綱吉との対立。」(どうして綱吉と特に対立するようになるのか。)5.「そもそも御三家の水戸家というのは、どのような地位にあるのか。」(極めて独特な地位のようですが。天下の副将軍という世評もこれとかかわるようですが。)6.「水戸家にお家騒動があり、その首魁が悪家老藤井紋太夫ということになっている。」(藤井紋太夫とは何者で、その悪事とはどういうことか。藤井はもともと光圀の小姓頭だったといわれるが、それだけ光圀の薫陶を受けた人物だと思うが。さてこのお家騒動なるもの、まともに描こうとした文章がいままでなかったのではないか。)★ この6つの断片を私が書いていたら長い文になってしまう。私自身の疑問は本書を読んで氷解した。みなさんご自身が読む楽しみを奪ってはならないから、私は擱筆しておこう。ただ、最後にひとこと申し上げたい。★ 私は幼時に『渡辺崋山伝』を読んだ記憶がある。封建時代のさなかに生きた人の処世についての理解はこの崋山伝で基礎がついたのかもしれない。この水戸光圀という人は、楠木正成の墓に碑文を書いた人として著名で、大日本帝国最盛時には、忠君愛国の歴史的人物と時代が評価していた。『大日本史』編纂事業は後年の水戸学の基本となり、水戸は幕末期に吉田松陰とは別の意味で勤王思想の震源地であった。この徳川光圀のころの江戸幕府の「文治」とは、儒教道徳を中心とする思想を根幹とするものであったが、おなじく儒教思想でも、形式的・秩序的なものと、光圀が重んじたような精神的なものがあり、この精神的儒教が水戸学につながったのであろう。精神的儒教の中に「反覇権」の要素があり、これがのちの勤王思想につながったのである。★ 秩序的儒教思想の中に反権力的エネルギーを思想的に抱えるという水戸学の姿が、本書の文中で「藤井紋太夫」に別様のニュアンスを与えている。いま時代は保守ブームと言われ、憲法を変えうるほどの人数の保守派国会議員がいる。その保守派の人々に、しゃんとしたものはあるのか。ひとりひとりの政治家に思想はあるのか。ただ野放図に権力と利権だけ求めているのではあるまい。この清冽な『水戸光圀伝』の一読を勧めたい。もちろん本書は封建時代のさなかの倫理を表している。いまは基本的人権、主権在民、男女同権の世だ。その現代の儒教精神とは、どういうものか。それは諸公がお考えになることだ。