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2015-07-21 21:45:00

さっきご紹介した「キャンパス散歩」は、大野池のところまでで、まだキャンパスの上の方が残っているではないか、学部紹介は終了していないではないか、とお思いになるでしょうから、「続報」を続けます。

前回の案内は、大野池のすぐ北の北大工学部のところから東に曲がって、外(北13条門)へ出てしまいました。

この「続報」では、工学部からさらに北に進むことになります。

工学部が進行方向左側、右側に、薬学部、歯学部と医学部、医学部の奥に北大病院、そして大駐車場、があります。

なお北大構内は駐車が厳重に取り締まられていますので、北大に無関係の人の駐車はほとんど不可能です。

そのまま前進しますと、やがて「環状門」という門があって、これが北の出口です。

環状門というのは、なにか変わった形状の門というのではなく、ここは北18条通りで右手(東)へ行けば地下鉄南北線北18条駅なんですが、この同じ通りがこの門の外で「環状通り」という名になってずっと西の競馬場のほうにつながるバイパスになっているのです。環状通りに繋がる門なので「環状門」という名になっているだけです。

ところが、この非常に幅広い「環状通り」を越えた先に、北大キャンパスはまだあるのです。このブロックに入るとすぐのところに獣医学部があります。そしてさつきの環状門からいうとすぐ向かいぐらいの位置に、札幌農学校第2農場があります。

この札幌農学校第2農場というのは、北大の前身である札幌農学校時代の施設をいわば記念のために保存しているわけで、これを現在農作業に使っているというわけではありません。しかしこれらの施設のたたずまいがいかにも明治期の北大をしのばせますので、北大構内をテーマにして絵をかく人々のちょうどよい画材になっています。だから北大構内に一度も入ったことがない人でも、この農場の絵はよくみたことがあるのではないでしょうか。

札幌観光に来られる人々が最初にターゲットにされる「札幌時計台」という施設が、札幌市内の中心部にあるのですが、確かに歴史的にはそのあたりに昔の札幌農学校があったのでしょう、開拓使(道庁)の学校だから都心部に置かれていたのでしょう。残念ながらあの時計台(今風にいえば、体育館、演武場)はどうも終戦時の米軍のかまぼこ兵舎を連想させる代物で、(たしかにアメリカの歴史的クロック・タワーというのはあのようなものですが) 正直のところいただけません。むしろ北大キャンパス北部にある札幌農学校第2農場のほうがそれらしいではありませんか。

あるいは、札幌市真駒内にエドモンド・ダン農場跡というのがありますが、こっちのほうが北大農学部の昔をしのびやすいのではないでしょうか。

あるいは、羊が丘展望台というのが、札幌市西岡にありますが、こっちのほうがそれらしいではありませんか。「羊群声なく牧舎に帰り、手稲の頂 たそがれこめぬ」(北大寮歌)といったって、いま羊が1匹でも北大キャンパスにいるもんですか。

そして内村鑑三、新渡戸稲造らがクラーク博士の影響の下で入信したキリスト教のひろがりは、札幌北1条教会(札幌テレビ塔付近)などに濃厚に残っています。

大学としては、北大農学部だけではなく、酪農学園大学(江別市)、帯広畜産大学(帯広)のほうに農学と実学の伝統が残っているのではないでしょうか。

つまり私がいいたいのは、北大というものの存在は、いろいろの仕方で全道化しているというのです。